鬼『子』の眼にナミダを 陸
陸
『言葉』ってのは面白いものだ。
鬼の少女をリスペクトするなら、
「日本語ってぇ、おもろいねぇ」
本当におもしろい。
言葉ってのは心を、感情を、思いを、声帯を振動させて、相手に伝えるものだ。言葉の発達があってこそ、今の世界がある。
言葉を発する事は思いを伝えること。
しかし、その言語の発達、思いの発達は少し歪んでしまったらしい、それは必然――必然的矛盾と云うべきか。
言葉を発する事は思いを隠すこと。
やはり、言葉ってのは――おもろいねぇ。
朗報である。いや、自慢させていただく。本日は日曜日、天気は快晴、朝から快便。髪を整える時間も、平日の倍はかけている。
要はデートだ。
高校二年の男子、異性に興味を抱き、性に興味を抱き、抱き枕でも買っちゃおうかな? なんて思ってしまうのも、至極当然。そんな陶然する気持ちを抑えながら、鏡に向かう僕は、素晴らしい程に健全だ。この年頃の男子は、どんな異性とでも交友を深めたい、デートをしたい、恋をしたい、なんて考えるものだ。この少子化問題が叫ばれてる昨今、僕等が動かなくてなんだというんだ。
恋せよ女子! 愛せよ男子! 日本でも一夫多妻制を認めるべきだね! ――ごめんなさい、調子に乗りました。ななかの癖がうつったかな……。
しかしだ、デートの当日だってのに、この憂鬱な感覚はなんだ。前に述べたように万全な日――デート日和なのに、気持ちが高揚しない。無理やり高揚させようとしたが、やはり無理だった。
それもこれも、昨日の電話だ。このデートのキッカケとなる電話――。
昨日、土曜日の夜、夕飯も済ませて部屋で漫画を読んでいると、凶々しい携帯の着信音が聞こえた。溜息を吐きながら携帯の着信ボタンに押すと、開口一番に着信相手はこう告げた。
「デートです、お兄様。バラの花束を持ち、白のタキシードを羽織り、『君の瞳に恋してる』を口ずさみ、手を繋ぎ、スキップしましょう」
電話を切った。着信拒否設定の仕方ってどうだったっけ……。しかし、すぐに再度、同じ着信が鳴る、僕も再度、溜息を吐き電話に出た。
「デートです、お兄様。バラのは――」
「僕は花粉症だ、白のタキシードもない、その曲の年代でもない、さっきトイレ行ったばかりだし、スキップは小学生の頃にできなくて軽くいじめられたからトラウマだ」
電話相手は、この返答を待ってた、と言わんばかりに、すぐに言葉を返してきた。
「鼻にテッシュ詰めてください。制服のブレザーを白に塗って下さい。曲はそれっぽく口ずさんでおけばバレません。トイレは……むしろ喜んで! トラウマに関しては、『一緒にトラウマを克服してほしい』という、告白と解釈します」
「お前の愛の深さに、感嘆するよ」
「こんな事、簡単ですわ」
変態とは、『究極愛の伝道師』なのかもしれない……。
変態もとい、仙夕ななかは告げた、デートだ、と。そんな気分じゃないんだよ、三石きこに関してはどうしたんだ? お前の『行動』の結果は? この数日間、学校も休んでたクセに――心配したんだぞ……。そんな言葉にするには、恥ずかしい事を、頭に浮かべていると、ななかは見透かしてるように、「心配なさいました?」と一言。
「ぐっ……してないって。」
そう言うと、少しの無言の後、ななかは話し出した。
「ふふっ。そうですか、そういうことにしましょう」
少し、恥ずかしそうだった。
「だ、だから!」
僕の方が、恥ずかしかった。
「ですが、お兄様」
言い訳をしようとしたが、遮るように、ななかは喋り出した。
「人間というのは、脆いものですわ。感情で、気持ちで、思い込みで、一瞬に崩れてしまいます、欠陥だらけです。こんな事で心配なされては困りますわ」
無言になる、その言い方が、突き放すように感じられて、寂しくなる――確かに、脆いものだ。
「だから、ポジティブにいきましょう。気持ちは変わりやすいもの、ならば良い方向に変えればいいのですわ」
さっきとはまったく違う、優しく、包み込むような、聖母マリアのような、愛を感じられる――
「今回の事は、『放置プレイ』と考えてくださいませ」
「マリアー!」
生神女に、傷心させられてしまった。
「――で、何を掴んだんだ? お前のいう『行動』は」
そう、この数日間音信不通だったのが、連絡してきたということは、何かを、『三石きこに関する情報』を掴んだのだろう。
深く言えば――対策を。
「あら、お兄様。楽しい会話はお終いですか? 人間、時間は有限ですけど、結構長いものですわよ」
「すまないが、僕の理念は、Time Is Money(時は金なり)なんだよ」
時間が少ない――とは思わないが、早く不安要素は棄てたい。『平凡であり、単調であり、大衆である』事を望む僕には――特にね。
その後、ななかの行動により掴んだ情報を聞いた。
「まぁ、話は分かったよ。それで――なんで、デートなんだ?」
「お兄様の顔を、久方ぶりに拝見したいですしね」
それは、有り難い事だ。
「しかしですね、デートのお相手は、私ではございません。残念ですわね――というか、私が残念無念また来世、ですわ」
相手がななかじゃない? どういう事だ? それじゃ誰なんだよ?
「それは、明日のお楽しみ。ですわ」
そして今日である。
相手の分からないデート――これはデートと呼んでもいいのか? ななか曰く、「思い深いデートになることでしょうね」と、嘲る様に話していたが――こんな事じゃ気分も高揚しない。
そんな憂鬱な気分でも、髪を通常の倍の時間をかけて整え、お気に入りの服――勝負服と言ってもいい(制服を、白に塗ることはしなかった)、それに着替えてしまうのは、思春期の性か、男の性か……。
ななかが指定した場所は、僕の住む家から、少し離れた喫茶店。この田舎にしては若者向けのスイーツやらドリンクが多く、僕らの溜まり場にもなっている場所――蛇足だが、いつもいる店員も可愛いのだ。
親父の原動付自転車で、二十分といったところか。準備も整え、玄関で靴を履いていると……
「にぃ、お出かけかぇ?」
『にぃ』って、僕のことね。
妹である――こっちは血の繋がりもある、歴とした妹。名前は、『ほがらか』という。 中学三年の極々平凡な妹、であってほしかった妹である。
「あぁ、兄ちゃんはデートだ。嫉妬するなよ」
「可哀そうに」
「誰が!?」
我が妹は、当前の事聞かないでよ。と言わんばかり、溜息を吐きながら、
「デート相手に決まってるでしょ。これって、どら猫が魚を咥えながら走った、時を見た事がないくらい常識だよ」
「お前は、国民を敵に回したな。日曜、七時半のお茶の間にいる国民に謝れ」
「そうやって、火曜日のサザエさんの存在は、抹消されたんだね……人間って怖いね、汚いね」
「お茶の間の空気が、真っ暗だよ! 俺は覚えてるよ、心の中にいつまでも!」
「それよりも、にぃの心が汚いね」
「そっちの方向に向くのは、なんとなく予想してたが、やっぱ言われると傷つくぞ」
しかし、予想してた事だ、耐性があるから、傷は浅い――。
「見た目も汚い、ってか臭い、ってか酷い、ってか惨い。デートも、にぃの妄想でしょ?夢と現実くっちゃくちゃにしないで。妹として恥ずかしいよ。それで私が自殺したら、どうするのかぇ?」
玄関で妹の前に、膝を抱えている兄の姿があった――名前とは正反対の妹に育ってしまったな。
憂鬱な気分を更に憂鬱を上塗りしながら靴を履く。このまま、樹海に足を踏み入れそうだ。
すると、我が妹、『ほがらか』が口を開いた。
「で、にぃ? 夕食はどうするのかぇ?」
ん――そういえば今日は、母親も、父親も、仕事で夜もいないのか、日曜日なのに、御苦労さまです。
少し考えた後、僕は言った。
「七時半までには帰る。茶の間で待っていやがれ。ワカメちゃん」
「私のパンツ見て、興奮するなよ。カツオくん」
そして、親父の原動付自転車に乗る。
ほがらかとの会話で時間を食ってしまったので、少しスピードを上げて行くか。
ドアを閉じる瞬間、「今日の夕食は、カツオのタタキか」と聞こえたのは気のせい、だと思いたい。
~続く~