鬼『子』の眼にナミダを 肆
肆
三石きこ。
同じクラスの女子生徒。
鬼の角を持つ少女。
人懐っこくないトイプードル。
ちくしょう。何が『トイプードル』だ! おもちゃ(トイ)にされてるのは、僕の方じゃないか。こんな小枝みたいな細い腕のどこに、こんな力が備わってるんだ!? 人体構成完全無視ですよ、筋肉量も骨質もあったもんじゃない! ――いや、あるんだろうけどさ。
そんな、どうでもいい事を考えていると、彼女は、その可愛いアヒル唇(ここ、やっぱり個人的にヒット)で喋り出した。
「あぁ、けど『蛇に睨まれた蛙』は、なんか意味違うねぇ、だって今、キコが無理やり動けなくさしてるんだもんねぇ、もっといい言葉あるかねぇ?」
どうでもいい! 本当にどうでもいい!! 今のこの現状に、現文、古文の話しなんかしてられるか、しかも、お前の手が邪魔で喋れない、というか息をするのも、やっとの状態なんだよ。
しかし、それを知ってか、知らずか、三石は僕の首を絞めてる左手を緩めた。
と思ったのは一瞬、さっきの力以上に絞め出した。
今度は息ができない、し、死ぬ。
「にゃっはは。昔ねぇ、蛙のお尻にねぇ、ストローを刺して空気いれて遊んだよねぇ? そん時のねぇ、蛙の顔にソックリだねぇ。ゲコッて言ってよぉ。ねぇ? ゲコッて言ってケロォ?」
こ――コイツ、悪魔だ。いや、鬼だ。
正しく。
正しく。
正真正銘の鬼だ。
「か、はぁ……」
僕は息を漏らす。本当、何処にそんな息が残ってたのか、自分でも分からない。
その漏れた息を聞き、三石は喋り出した、本当に気だるそうに。
「あぁ、ごみんねぇ、ちょいち力、入れ過ぎちったねぇ、まだ慣れてないんだよねぇ。」
首への圧迫感が緩んだ、同時に空気が体中に入っていくのが分かった、空気の大切さを、ここまで感じた事は人生で初めてだ。地球温暖化ダメ、ゼッタイ。
それでも首には、三石の左手が残っている、というのは変わりない。絶対絶命っていうのも、変わらない。
さぁ、どうする? 僕。
すると、三石は、自分の右手、僕の左手を握っている右手を、そのまま左右に振った。
「んじゃねぇ、さっきも言ったようにぃ、質問ねぇ? 同じ事はねぇ、言わないよぉ? おバカな人はぁ、イヤなのねぇ。」
お前は『バカボンのパパ』か。『バカボンのパパ』のクセに、『天才バカボン』否定するな、赤塚不二夫さんに謝れ。
そんな『おバカ』な事を考えてると、三石は口を開いた。
「質問その一ねぇ、キコのぉ、正体知ってるのかねぇ?」
初っ端から、核心を突く質問だった。僕は正直に、三石の右手を、二回握った。
「マイナス二だねぇ」
なにが!? ってかポイント制だったの!? しかもマイナスって…『正直ものは馬鹿を見る』ってオチなのか!?
「質問その二、なのねぇ。」
『バカボンのパパ』もとい、三石きこは一瞬の静寂の後、僕の顔に、自分の顔を近付かせた。
それは、カップルがキスをする程の距離。
後、一センチでも顔が動けば、唇が重なる程の距離。
三石の髪の匂いと、その可愛い口から吐き出される息に、僕は少し眩暈を感じる。
「この事、誰かに話した?」
恐怖。
きっと『恐怖』だったのだろう。
今までの気だるい、滑舌の悪い喋り方とは、まったく違う、ハッキリと、一語一語に力を入れた言葉。しかし、色でいうなら、青。内に秘めた噴気を抑えてるような、青の炎。
恐怖を隠すことに僕は必至で、いや、隠し切れてなかった、と思う。返答するのに躊躇していると、三石きこは、先程のように気だるく喋る。
「んー、良い子だねぇ。誰にも喋ってないんだねぇ、良い子良い子してあげるのねぇ」
そう言うと、僕の頬に、自分の頬を当て、上下に擦りつけた。少し唇が当たったかもしれない。
いつもなら、日常なら、こんなシチュエーションに歓喜する所だが、今の僕には、『恐怖』しかない。
素直に、怖い。
「んじゃ、質問その三、なのねぇ」
三石はしゃべる。僕の頬に、自分の頬を合わせたまま。
「もしねぇ、他の誰かに喋ったらねぇ、君の四肢も、五感も、ついでに第六感もグチャグチャにしちゃうのねぇ? 生きてるって素晴らしいって思えなくなるねぇ」
それは質問ではなかった、警告、忠告、いや、脅迫だった。
「あ、それとねぇ。その話しを聞いた人もねぇ、同じ事ねぇ、しちゃうのねぇ」
その時、足音が聞こえた。一人、だと思う、誰かがこちらに近づいてくる。三石は、と咄嗟に音のした方を振り向く、足音は一旦止まり、そして、再度、足音。しかし、足音は小さくなっていく。離れていったのだろう。
そして、何も聞こえない。
無音。
三石は少し、安堵したのか、肩の力を緩めた。そして三石は口を開く。
「お話し過ぎたねぇ、あぁ、君は一回も喋ってないのに、お話ってぇ、滑稽だねぇ、おバカだねぇ、キコって。」
そして、首に纏わりついていた、左手を放し、同じく右手も。
ついでに、密着していた頬も。ここでやっと残念、と思ってしまう自分は、不謹慎なのか、常識的なのか。
「けどねぇ、約束はねぇ、約束ぅ。破ったら、メェ! だからねぇ」
そして、彼女は踵を返し、去って行く。今まで、僕の首を絞めていた左手で、手を振りながら。
さも、友人との会話を楽しんだ後のように。
また明日会う約束をしてるように。
当然に。
そして、僕は廊下に尻餅を着く、安堵からか、恐怖からか、どちらか分からないが、いや、きっとどちらもだったのだろう、足がいうことをきかなかった。
「ちくしょう、スンゲェ怖いじゃねえかよ。」
そう言った後、ため息を吐く。図書館で食べた、焼きそばパンの臭いが、鼻に突く。
その時である、僕の真横にあった、図書倉庫のドアが、勢い良く開け放たれた。
そして、彼女はいた、てかいつから居たんだ? この女は。
仙夕ななかが、扉を開けたまま、立っていた。
右手に焼きそばパンを持ちながら。
「やっぱ、学校で食べるパンは、焼きそばパンに限りますわね。ドラマ・漫画・アニメ等々の学園モノには、切っても切っても離れられない存在ですわ」
そう言いながら、舌を出して、もう一口、と焼きそばパンを口に含む。一々仕草がエロいんだよ。
「お前、何時から居たんだよ」
「おひいはまが、みひひさんのひょほに」
「口の中の焼きそばパンを飲み込みなさい、お母さんが悲しむぞ」
ななかは、少し顔を顰めて、こちらを睨んだ後、口の中の焼きそばパンを、胃の中に詰め込んだ。
「失礼致しました。私という者が、こんなハシタナイ行為を、殿方に見せるなんて。失態です、恥です、羞恥に値します。責任とって下さい」
「責任転嫁にも程があるぞ!」
「転嫁、『嫁を転がす』なんて、厭らしい事を……お兄様の趣味――良い趣味ですわ」
「本当に、お前に対する説明を返してくれ」
追加しておく、仙夕ななかは変態である、しかも『ド』がつく程の。
「で、変態さんは何時から居たんだよ?」
「おっぱぴぃはまーひゃ、めそそぺたみあん」
「どこの宇宙人と交信してんだよ!? 日本語話そうよ! ってか、さっきパン食べ終わってたよね!?」
「……お兄様が、きこさんと頬を擦り合わせていた所、辺り――」
うわ……そこからかよ、今思い出すとスンゴイ恥ずかしい場面じゃないか……
「より、前の前の、お兄様が一人で、図書室で焼きそばパンを食べながら、本を読み漁ってた、辺りから居ましたわ」
「助けろよ! 一部始終見てんじゃねぇかよ!」
「えっ!? あれは営みの最中じゃなかったのですか? 流石の私も、そこに混ざるなんて……イヤン」
「どこを、どう見れば、そんな風に見えるんだよ! マジで死ぬところだったんだぞ? 息も切れ切れだ!」
「息も途絶えるほどに、お二方、貪り合ってたのですね、しかし、ここは学校ですよ、お兄様?」
「エロから抜け出せぇ!」
こいつとの会話は疲れる……何故かコイツは、僕とは、こんなテンションでしか話さないのだ。こっちが本性なのか、はたまた逆か――
「すごい力でしたわね」
「……あぁ」
「およそ、人とは呼べないほどの」
「…………」
「まるで、鬼のような強さ」
何も答えられなかった。
あの力は、どんなトレーニングを重ねた所で、無理な力だ。
プロのアスリートだって、あんなの不可能だ。
ましてや、女子高生なんて、しかも三石きこの体格なんかじゃ、あんな力なんて無理だ、夢だ、幻想だ、架空だ。
しかし、僕はその『架空』と相まった。
認めなければならない。
これは、『現実』だ。
「おい、ななか」
「かしこまりましたわ、お兄様」
「まだ、何も言ってないぞ」
「それも、踏まえて、『かしこまりましたわ、お兄様』」
そう、ななかは、こういう奴だ。
無条件に、僕の助けになってくれる。
だから、僕も、ななかを助ける、無条件で。
三石きこは言っていた。
他の話を聞いた人も、僕と同じようにする。と。
それを聞いたら、もう止められない。
「さぁ、鬼救出にいくぞ」
「ワン! ワン!」
……最後の締めくらいはシッカリやれよ…………
〜続く〜