鬼『子』の眼にナミダを 拾陸
拾陸
始まりとも言えない儚げで朧げな存在に三石きこは魅せられた。
それは僕がななかに魅せられるような感覚と似ていたのだろう、と今の僕は思う。
誰しも言葉では表せられないような、心でしか曝け出せれないような感覚に襲われる時があると思う。それはななかに対する僕や、言果たたらに対する三石きこのように。
偶然にしては無理やり過ぎて。
運命にしては曖昧過ぎて。
この感覚を言葉で表せれるのなら、きっとななかのいう戦争や革命は起きなかったはずだ。世界は平凡で世界は大衆で世界は単調であったはず……とまで言ってしまうとななかのように仰々しくも矮小、だから子供の戯言だが、それとなくなんとなく思ってしまう。思いたくなる。
――願いたくなる。
だから僕はどこか自分に似ている、それこそ言葉では表せられないように、三ツ石の神に『願った』三石きこなんて、鬼なんて存在に自ら首を突っ込んだのかもしれない。
「どう言う、事……?」
「そのままの意味です。混濁無しの伏線皆無。そのまんまの意味。言果たたらという人間はこの世にいません、という意味です。存在しなかったのですわ」
ななかは淡白に飄々と言った。それが三石きこへの最後通告、最終宣言、死刑宣告そのものだというのに、まるで学校であまり喋った時のない同級生と会話をするように、人間味はあるが何処か無機質で、温もりがあるのだが何故か冷たい会話。
それこそ僕が最も恐れた結果だったのだ。仙夕ななかという人間は『それ』が出来てしまう人間だという事を知っていたはずなのに。
僕はその事を事前の電話で把握していた。『言果たたら』という人間は存在してなかったのだ。この存在とは昔生きていて今はもういないとか、何かの生まれ変わりとか、ましてや『幽霊』なんてものではなく、まったくもって何処をどう探しても存在しない。伝奇にさえならず伝記になんてなりえない。
妄想。
三石きこの妄想。言果たたらという存在は三石きこによる架空の人間だったのだ。根源はあるが根拠のない二次妄想の類。
ただそれだけだったのだ。
三石きこの人生には友達といった友達は中学の時の『言果たたら』という妄想を作るまではまったくの皆無。それまで一人で孤独に自由に生きていた。
そう、自由にだ。
人間関係という複雑怪奇な代物に対して自ら背を向け、人間模様という支離滅裂な代物に立ち向かわなかった。自分の都合の良い様に生きて、自分の都合の良い様に解釈していたのだ。
子供の頃の癖は大人になっても直らないというが、得てしてそんな感じ。自分で言っててどんな感じ? とツッコミを入れたくなるが、まずそんな感じだと僕は考える。
彼女は独りでいる事に慣れてしまったのだ。
まだ十七歳の僕等だが、まだ子供だとも理解してるのだが、今よりもっと子供の時代の癖だ。それこそ取り払えないし直せない。根源にギッシリとビッシリ張り付いてへばり付いて、風呂場の垢のように簡単には取れない程に三石きこは独りでいる事に慣れてしまった。
孤独が三石きこの『普通』だったのだ。
それはもう救いようも無い程に。
では何故、三石きこが『言果たたら』という妄想を自ら作り上げたのか。という疑問が出てくるだろう――そんなものは簡単だ。
人目である。
三石きこは孤独ではあったが一人でないのだ。いや、これは世界のどんな人間にも言える事で、在り来たりな言葉で申し訳ないが――。
人は孤独に生きていけるが一人では生きていけないという事。
幼稚園、小学、中学、高校、そして僕はまだ経験してないが大学に社会。その中で形成される人間関係に集団生活。
それら全てに背を向け、息を潜め、拒否し続けた。
しかし、良い事なのか悪い事なのかは個人の解釈に任せるとして、そんな少女を、そんな異才な少女を他の人間は無視できるだろうか?
僕も記憶にあるのだが、小学の頃に独りでいつもいた同級生はやはり異彩を放ち、端的に言えば目立っていた覚えがある。
ましてや、三石きこだ。その唇だけでも涅槃に達する程の魅力。
いや、僕の主観に則り、唇と云ったが、三石きこは客観的に見ても可愛い。外国では日本の女性が人気があると聞いた時があるが、その類に入る可愛らしさだろう。そりゃ、みんなが注目もする。
そう。人間は天才も奇才も異才もひとくくりにしてしまう癖がある。
その本人が望もうと望まなくとも……評価され、区分され、区別され、そして隔離される。
ここまで否定的な言葉を言わせてもらったが、この事に関しては、当事者に対して僕はなんら同情もしないし、自ら救済もしない。だってそうじゃないか。
人間は変われる。
「変わらぬ美しさというのもありますけどね」
ななかはそう言いながら自分を指さしていた。
否定したいなぁ。
まぁここで否定したとしても、この女は何も聞かないし、何も効かないのは分かっているので口を閉ざしておく。
静寂。三石は何を言ってるのか分からないという顔でななかを見つめている。
三石きこに対して、ななかは淡々飄々と言葉を向ける。
「三石さん。私は貴女の事を色々と調査したのは言いましたよね? 殺人事件さながら、浮気調査さながらの調査を致しました。今の私なら貴女の好きな食べ物から好きな殿方のタイプ、はたまた貴女の脇毛の処理期間までも知ってるかもしれませんわ」
それは気になるな……いやいや。
「そんな私が言果たたらさんの事に辿り着いたのは、是当然。女の感、感じても悶えて果て参じて、この方に何かがあると私は踏みましたの。しかしですね、『なにもなかった』のです。いえ――『何も無さ過ぎた』のですわ。貴女の他の友人に言果たたらさんの事を伺っても、皆さん『名前は知っているけど見た時はない』とのこと」
そう言いながら、ななかは三石きこへと一歩一歩、闊歩闊歩と向かう。
「おかしいですわよね。誰も見た時がない人物なんて、そんなの居る訳がございません。写真もなければ、経歴もない。そんなの生きていると言えるのでございましょうか? だから私はこう推理いたしましたの」
三石の前に立ち、ななかは顔を近づけて、最後の言葉云う。
「これは貴方の、三石きこというメンヘラ妄想少女が作り出した架空の人物で、正しく夢物語の登場人物だったのではないか、と」
風が切れる音が聞こえた。
それと同時にななかの黒い髪が空で舞っていた。
今、僕の目の前に見える光景から推測するに、三石きこがななかに対して、鬼の力を以て拳を振り上げたのだと思う。
それは正しく一瞬の出来事で、開始さえも曖昧にさせる程の早さだった。
しかし――。
しかし、何故そんな一瞬をななかは避けれたのだ?
そんな疑問をかき消すように、三石きこは拳を再度ななかに向けて振るう。
「たたらは絶対に存在した! だから神様は私の願いを聞き入れた!」
その言葉と行動は、我武者羅で我儘な子供のように視えた。
「聞き入れた? 貴女の願いは『鬼になる事』ではないでしょう? とうとうそこまで妄想に囚われましたか」
そして、三石きこはもう一度、拳をななかに向けて振り上げる。しかし、それもななかは寸での所で避ける。
その後も何度も何度も、殴りに行くも拳は虚しく空を切るばかり。
それを避けながらななかは口を開く。
「三石さん、貴女って直情過ぎますわ。もっと大人になりなさいな。あぁ、いえ、違いますわね――」
「現実見なさいな」
そして、ななかは前に突き出された三石の拳を、しゃがむ様に避け、何重にも強く多く巻かれたスプリングのように、雑草の中を縦横無尽に飛び跳ねる飛蝗のように、力強い跳躍で、その細く長くしなやかな足をバネにして、三石の顎に頭突きをかました。
ず、頭突きって……、どこぞの不良漫画とかじゃないんだから。
しかし、その一撃は、三石を気絶させるには至らなかったものの、僅かだが隙を作るのには十分な威力だった。
傍から見ても分かるような事なのだ、ななかがその隙を見逃すわけもない。
その一瞬の隙にななかは、ついでとばかりに頬にビンタを入れ、風船が割れたような炸裂音が廃病院の壁に反響する。
立て続けにビンタを入れようと、ななかは手を振るうが三石はその鬼の力を用いて、一回の跳躍で二十メートル程、距離を取った。
そして三石は僕と同じような疑問をななかに向けて投げかけた。
「な、なにそれ」
そんな、この場になんとも単純で、もっとも相応し過ぎる疑問に、ななかは屈伸をしながら答える。
「人間やればなんでもできる。という事ですわ、三石さん」
屈伸をし終えたななかは笑みを浮かべながら、言葉を続ける。
「鬼が出てくる物語といえば、やはり有名なのは『桃太郎』だと思いません? えぇ、私も絵本とかで拝見させて頂きましたわ。私、あの話が大好きなのですよ。だって、鬼なんて架空の存在が、犬、猿、雉なんて動物にボッコボコにされてしまうんですもの。爽快愉快痛快なお話ですわよね」
その話しの意味を理解した三石は、苦虫を噛んだように顔を顰める。
「ですから、私もそれを見習いまして、貴女の事をボッコボコに、のしてしまおうかと思うのですよ。聞き分けのない子供に折檻する母親のように人間風情溢れる程度にのしてあげようと思うのですわ。あぁ、感謝はいりませんわよ。猿のように機敏に、雉のように優雅に、犬のように従順に、貴女をのしてあげますわ。」
「この、純情、純粋、純真、純然、純良、純正、純潔で至純、清純たる純国産の乙女、仙夕ななかにお任せあれ」
~続く~