つい、疑心暗鬼になりませんか?
どうしよう……。
ホームルームが終わった後の僅かな休憩時間。私は教科書を準備するのも忘れて、教室の真ん中を見ていた。
他の男子と楽しそうに喋っている、伊藤君。
今朝、転びそうになった私を助けてくれたばかりか、手を繫いで下駄箱まで連れていってくれた――。
何となく、声が伊藤君に似ていると思ったけど、まさか本当に彼だったなんて。
それに。
「智奈美ちゃんと手ぇ繫いで登校できて、俺すっげぇ嬉しいから」
嬉しいって……!
男子から、初めてそんなことを言われた。
あれは、本心なの? それとも明るい伊藤君なら、あれくらい社交辞令みたいなものなのかな?
うう……どっちなんだろう。
わかんない。
歩調を合わせてくれたり、段差を教えてくれたり。私が不安そうにしていたからかな。たくさん話しかけてくれて……。
ねぇ、どうして?
ねぇ……
「チナ、チナ、聞いてる?」
「ッ! ……ごめん」
いけない。ボーッとしてたみたい。横にいる友達の存在に気づかないなんて。
「チナ、目は大丈夫? 視点が定まってないってゆーか……。痛かったりヘンだったりするなら、保健室で診てもらった方がいいよ?」
「う、うん。目はもう大丈夫だよ。ゴメンね、ボーッとしちゃって」
心から心配してくれる友達に、「寝不足かな」と曖昧に笑う。
言えないよ……。伊藤君に……転びかけたとは言え抱きついちゃったようなものだし、手を繫いで……うわあぁ~~!
大きくて骨張った手は男の人のもので。でもしなやかで、温かくて。思い出した途端、ボッと頬に熱が集まる。
わ、わわ私、挙動不審じゃなかったかな。風の音がうるさくて、自分の声もよく聞こえなかったの。うわ~~ん! 噛んでたり、ヘンなこと言ってたらどうしようッ!
「チナ? ちょっと顔赤いよ? 震えてない? 本当に平気?」
「だ、大丈夫」
もしかしなくても、顔に出ちゃってる?!
思わず両手で自分の頬を包む。熱い……。
クールダウン!
クールダウン!
いつもの『私』に戻らなきゃ……!
恥ずかしい……。
「伊藤ー! 見て見てこのスタンプ! ちょ~お可愛くね?」
明るい寺嶋さんの声が聞こえる。振り返ると、笑顔の寺嶋さんと伊藤君が私にはわからない話題で盛り上がっているのが見えた。寺嶋さんのスマホをのぞきこむ伊藤君。笑ってる……。
――そうだよね。
伊藤君は地味な私に気を遣ってくれただけだよね。
寺嶋さんが伊藤君に近いのは――彼女が伊藤君のことを好きなのは、周知の事実だから。
私はただ、伊藤君の親切を受けただけ。
彼にとって、私は『困っていたクラスメイト』だった。
うん……そうだ。
伊藤君は優しいから。
きっとそうだ。
伊藤君から視線を外して、いつも無意味に眺めている窓へと目を移した。ポツポツと水滴の弾ける窓ガラスの向こう――灰色の空の下、強風に煽られた細い雨が白く煙るカーテンのように、校庭に揺らめいていた。
◆◆◆
昼休憩――。
少し落ち着いた私は、田辺さんと談笑する寺嶋さんに声をかけた。伊藤君は……いない。彼にも朝のお礼を言いたかったんだけど。
「寺嶋さん、あの……文化祭の準備、私も手伝っていいかな?」
突然の提案に、寺嶋さんは目を丸くする。
「え……でも、山中さんて塾が忙しいんじゃ?」
……確かに、週四で通ってるけど。
「出られる日は少ないかもだけど……」
金曜のカラオケで、たまたまその場に居合わせて、わかったの。
寺嶋さんは率先していろんなことを引き受けてくれるけど、笑顔の後ろでかなり負担がかかってたみたいなんだ。それに、原因は私絡みだから……。
先週から文化祭に向けて、クラスの出し物をどうするかの話し合いが始まったんだけど、ほとんど意見が出なくて。そんな中で、彼女だけが「何か考えてくる!」って。彼女だって忙しさは変わらないはずなのに。
だから。
「製作はァ、この図案のどれかがいいねーっつってたんだ。模擬店はみんなやりたいって言うけどまだ何にも決まってないよ」
田辺さんが、スマホ画面を見せてきた。製作の図案候補みたい。
曰く、ペットボトルの蓋とかお菓子の包み紙を集めて、壁画みたいな大きな絵を描くのだそうだ。
「みんな塾優先だし、手間のかかるモノはぶっちゃけ無理しょ? でも三年だからショボいのはダメって、言いたい放題だよねー」
田辺さんの声には憤りの色。寺嶋さんは苦笑している。
「男子は言うだけ言ってふざけてるし」
伊藤君が「メイド喫茶やりたい!」って言って即刻却下されてたもんね。資材や予算的にカフェは厳しいのだ。
「他のメンツもアヤが考えるって言ったら『任せた!』になっちゃうし」
……それは、ゴメン。私も当てはまるよ。
だから、今からでも何かしたい。
二人と少し話し合って、私は飛び入りで彼女たちに加わることになった。




