チャンスは不意打ちでやってきませんか?
土日を挟んで月曜日。
ダルい行きたくないとぐずる心を引きずって、俺は通学路を歩いていた。いつもの道が、やたら長く感じられる。
ヒュウゥゥゥ……
ヒュオォォォ……
台風が近づいていて、生ぬるい風が不気味な呻り声をあげる。
バタバタバタバタッ!
ガチャン
カーーン!
カラカラカラ
風が、ビニール傘をお猪口にして脅かすようにバダバタと煽りたてたり、道端の空き缶をここぞとばかりに甲高い音をたてて転がしたりする。
直撃するのは明日の未明らしい。
ヒャオォォォ……
ピウゥゥゥ……
ザザザァ………
ゴミ置き場から飛ばされたのだろうか。段ボールの切れ端がアスファルトを滑ってゆく。
風に目を細めた先では、つむじ風が公園の砂を巻きあげ、さながら砂嵐だ。並木の煽られ具合もヤバい。
もう、着いてしまう。
(ああ……智奈美にどんな顔をしたらいいんだ)
あの夢以来、俺は頑張ったんだ。
ほんのひと言でも、挨拶だけでも。自然に……できればカッコ良くふるまえるように懸命に。
嵐は、激しさを増していく……。
◆◆◆
ひどい風……。
身体ごと持っていかれそうな強風。今朝のニュースによると、今夜から明日の未明にかけて台風が通過するのだという。親からも、今日の塾は休んで早めに帰ってくるように言われている。
ザザザァ……
ザザッ ザザァ……
数メートル前を段ボールの切れ端が、まるで自分の意志で歩いているかのように道を横切っていく。
カッ カサカサッ
カサカサカサ
カサカサカサカサ……
かと思えば、今度は新聞紙。つむじ風に巻きあげられて空中でクルリと回ったそれは、次の瞬間、折重なった紙が解れてバラバラになった。
思わず目で追ったのがいけなかった。
ビュオッ
ビュオオッ
シャーー
シャサーーー
「あっ!」
思わず両手で目を覆う。砂が……。
しまった! と思った時にはもう遅く。公園は砂嵐になってる、気をつけなきゃと、わかっていたのに。
強風が私の髪の毛を煽り立て、毛先が顔を引っ掻き回す。もう……何でゴムで纏められるロングヘアにしておかなかったんだろう。
(大丈夫ッ! この道をまっすぐ行って、横断歩道を渡るだけだしッ)
いつもの通学路。砂が目に入っただけだもの。すぐに治る……。
でも、今日の私はとことん運がないらしい。
突然、顔にピシャッと冷たい感覚。そのえも言われぬ気持ち悪さと折悪しく吹きつけた突風に、
「きゃああっ?!」
足がもつれ、グラリとバランスを崩す。
嘘?! 倒れる!?
「?!」
でも。覚悟した痛みはやってこなくて。斜めになった身体は、何かにバフッと受けとめられた。
「大丈夫? やま……智奈美、ちゃん」
◆◆◆
サボろうと思って回れ右をしたら、ほんの数メートル後ろに智奈美がいるなんて。
風に煽られ倒れこんだ彼女に駆けより、なんとか間に合った。彼女の髪に張りついた落ち葉を払い、腕の中でビクリとして警戒心を露わにする彼女に、咄嗟に「大丈夫? 山中さん」と言おうとして、やめた。
ふと、気づいたのだ。
俺はいまだに、一日にひと言かふた言くらいしか彼女と言葉を交わせてない。風がバタバタと彼女の黒髪を煽り立て、彼女は目を押さえていたから。
俺が見えていない。声だけじゃ、智奈美は目の前にいるヤツがこの前最悪な言葉を吐いた野郎だって、気づかないんじゃないかって。
「大丈夫? やま……智奈美、ちゃん」
なんとも浅ましい思考から出た台詞がコレ。智奈美がどう反応するか――いきなり名前呼びした俺をどう捉えるのか。言った後で怖くなって、俺はオロオロと風に踊る彼女の黒髪を無意味に注視した。
「あの……すみません、私、前が見えなくて」
か細い、微かな吐息交じりの早口。夢で言い訳してたのと同じ口調だ! ああ……リアルで聞くとなんっって可愛いんだろう。ドキドキと胸が高鳴る。
「すごい風だしな。危ないから下駄箱まで一緒に行こ? な?」
紳士的な大義名分を出して、彼女の手を握る。彼女の手は外気で少し冷たくて、細いのに骨張った感じがなくて、柔らかくて、吸いつくようで――。
校門までのほんの数十メートルしかない。なんでっ! なんでもっと長くないんだよ! 智奈美と一緒に歩けるってのにッ!
俺は心中で、数分前とは真反対な罵詈雑言を物言わぬ通学路に叫び散らし、千載一遇のチャンスをくれた台風十何号かにありがとうを連呼した。
「ごめんなさい。時間、ギリギリなのに」
気後れしたような声を、俺は「大丈夫だって」と笑い飛ばす。
だって、好きで好きでたまらない君が、事故とは言え胸に飛びこんできて、しかも手を繫いで登校しているんだぜ? こんなに嬉しいことってないだろ?
校門に近づくにつれ、強風に顔や服を押さえる学生たちの姿が増えていく。吹き荒れる風に、誰も聞き耳なんか立てる余裕もないし、こっちを見る余裕もない。
つむじ風は校庭の土も舞いあげて、視界が悪い。土の臭いがすごい。俺も智奈美も正面から砂を喰らわないように、自然正面から顔を背け、互いに額をつきあわせるような態勢で前へ進む――。
肩と肩が触れあう。
呼吸の音さえ聞こえそうなほど近くに、君がいる。
長い睫毛を伏せた不安げな顔。俺を頼って手を握り、身を寄せてくる存在が愛おしくて、離れたくなくて。
風がピュウピュウとうるさいから。
誰もこっちを見ていないから。
ある意味、俺と君しかいないから。
俺の……お調子者キャラを演じる鎧は、凪いだ水面みたいに透明になって。いつもは怖がって波紋で本心をうやむやにしてばかりの『俺自身』が喋っていた。
風の音がひどくてイマイチ何を話したのか、はっきりと思い出せないけど。
下駄箱に到着すると、寺嶋田辺コンビに出くわした。機嫌よく俺が挨拶すると、強風で乱れた髪を直していた二人が顔をあげて目をぱちくりさせた。
「伊藤? 山中さん?」
「すごい風だったからさ」と言いながら俺は、まだ目許を押さえたままの智奈美に段差を教える。
「おはよう、山中さん。どうしたの?」
寺嶋が寄ってきて、智奈美もようやく周りに人がいることに気づいたようだ。
「おはよう、寺嶋さん。私、砂が目に入っちゃって、それで……」
「ええっ?! 大丈夫?」
「歩ける?」
びっくりして駆けよってくる二人。あっという間に、智奈美の手は彼女たちに取られてしまった。