好きな人が友達と被ると臆病になります
12月に入り、いよいよ受験への追い込みが始まった。かく言う俺も、浪人にだけはならないように勉強に向きあう日々だ。クラスでも、どこが滑り止めだの、どこが本命だのという話題が目立つ。
飛ぶように日々が過ぎ、二学期も残り数日。
センター対策が本格化し、休み時間も参考書と睨めっこする生徒が大半だ。俺も。智奈美も。
ふとした瞬間に目が合うことはあるものの、俺たちの関係は未だにただのクラスメイトから半歩も進んでいない。文化祭のように生徒同士で集まる理由もなくなり、接点は煙のように消えてしまった。
そんなある日のことだ。
「ねぇねぇ山中さんて、好きな人いるの?」
昼休憩終了間際、トイレから戻ってくると、教室から女子たちの会話が聞こえてきた。智奈美と話しているのは寺嶋だ。
智奈美の好きな人……!!
教室の二メートル手前で、思わず立ち止まって俺は耳をそばだてた。思い出すのは、文化祭前夜の電車の中。物言いたげに潤んだ瞳。文化祭を一緒に、という曖昧な約束を覚えてくれてもいた。
もしかしたら、もしかしたらという期待が膨らむ。
数拍の沈黙――
「え……えっと、い……いない、けど?」
戸惑いも露わな、ぎこちない智奈美の声を耳が拾う。
マジ? いないの?
少なくとも八木の野郎ではないってことか。てことは俺にチャンスも……
「じゃあ、伊藤でもないんだねぇ。よかったぁ、私、山中さんがライバルだったらどうしようって」
(え゛え゛ーーー?! 寺嶋ァーーー?!)
いや、アイツマジで何言ってんのォ?!
「う、うん……違う」
………。
…………。
……………。
え?
智奈美ちゃん……
今、今……なん、て?
オレハスキナヒトジャナイ
どういう、ことだよ?
どういう……
どう……
足が勝手に速くなる。
心臓がドコドコと風のように速く。
彼女はどんな顔をしているんだろう?
本当に俺のことは眼中になかった?
本当に?
本当の本当に?
血の気の引いた顔で教室へ戻った俺が見た彼女は。
ほんの一瞬も目を合わせることなく、その顔は机の参考書の文字を追っていた。まるで雪の女王のような、入りこむ隙もないような、気高い無表情――
嘘だろ……
◆◆◆
フラれた時期が二学期の終わりというのは、思えば幸いだったのかもしれない。気を紛らわせるにはある意味最適な、受験勉強があったから。
俺は、ただただ、勉強に勤しんだ。
知らないうちにクリスマスが過ぎ、冬休みになってお正月が過ぎて三学期が始まり、同時に受験本番を迎え――
……。
………。
……………。
猛勉強のおかげか、俺は無事志望校に合格した。来たるべき大学生活に向けて親と物件を探したり、家具を買い揃えたりで忙しく、何だかんだで卒業式は数日後――
桜の開花宣言があって、すっかり春めいた教室。こことも間もなくお別れだ。クラスメイトも、進む大学は当然ながらバラバラで。もちろん、智奈美とも。風の噂で、彼女が都内の有名私立に合格したと聞いた。
高校生活、最後の半年を賭けた恋は、告白もできないまま間接的な玉砕で散った。
なぁ……智奈美。
どうすれば君は振り向いてくれたんだ?
俺はいったい、何を間違ってしまったんだろうな。
ハハ……。
フラれた今となっちゃ、すべてが遅いんだが。
わかっているのに。
君の背中を、柔らかそうなボブカットの黒髪を、目で追わずにはいられないよ。
そして。
校庭の桜の蕾も膨らむ中、卒業式は滞りなく終わり。俺は足早に母校となった高校を後にした。キョロキョロする寺嶋を見かけた気もしたけど、振りきるように駅までの道を走った。
◆◆◆
卒業式が終わった。
講堂の前には、スマホで友達と写真を撮る女子グループや、卒業証書の入った筒を弄びながら男子生徒たちが名残惜しそうに談笑している。
私はその中に、彼の姿を探していた。
伊藤君――
彼を意識しはじめたのは、二学期も終わりに近づいてからだ。
境目がいつだったのかはわからない。
自習室で一緒に宿題をやって。笑わされて。
台風の朝、転びそうになった私を助けてくれて、並んで登校してくれて。
サッカー部の試合になぜかやってきて、あれは……ねぇ、何だったんだろう。
一緒にハンティングモンスターをやって、笑って。
文化祭の前の日、居残りしていた私と一緒に帰ってくれた。電車の中で、人混みから庇ってくれた……
一緒に回ろうねって言われて、飛びあがるほど嬉しかった。
だから……。
だから………。
最後に、ちゃんと言いたいと思ったの。
自分勝手、身勝手だよね。
寺嶋さんに伊藤君のことを聞かれたとき、明るくて伊藤君の近くにいる彼女には敵わないと思って、逃げてしまった……。 水面のような鎧を波紋で揺らめかせ、水底の本心を誤魔化した。悟られてしまうのが、怖くて。嘘をついたの。
本当は違うの。
本当は……
だけど、このままうやむやに別れてしまうと、後悔するから。
それだけは間違いないから。
本当に身勝手な理由で、私は伊藤君にもう一度会いたいと思っている。
教室には戻ってきてない。
職員室にもいない。
校庭にも姿が見えない。どこに……?
……何にも言えないくせに。
内なる私が嘲笑う。
ちゃんと笑いたいのに、彼の前ではうまく笑えなくて。
もっと柔らかい言葉を話したいのに、彼を前にするとロボットみたいにぎこちなくなっちゃう。きっと、彼に映る私はひどく可愛げのない女子だったろう。
魅力がないことなんか、わかってる。
優しいあなたは、私が格好悪く告白したって指をさして笑わないよね?
だから、ちゃんと告白して、ちゃんとフラれて――
私はやっぱり身勝手だ。
どうしようもなく。
どんなに探しても、伊藤君の姿は見えなかった。寺嶋さんとも一緒にいない。
ああ………。
もう、会えないのかな……。
お昼過ぎに高校を出て、それでも未練がましく私はゆっくりゆっくり駅へと向かっていた。どこかに、まだ彼がいるんじゃないかって叶わない期待をして。
……。
……。
ついに、駅に着いてしまった。
去年の秋、伊藤君と一緒に通った改札を前に今さら……呆然と立ち竦む。
どうして……
どうしてあの時……
私は何にも話さなかったんだろう
今頃後悔したって……
泣いたって……
時間は戻らないのに……
瞳からこぼれた温い雫が、顔を覆う指の間を伝う――
「お嬢さん」
情けなく俯いていると、不意に声がした。
「お嬢さん、涙をふいて」
差し出されたハンカチを追って見えた顔は、背を過ぎる長い白髪の、腰の曲がった小さな老婆だった。
「ありがとう、ございます」
ぺちゃりとしたハンカチを遠慮がちに受け取る。すると、老婆は持っていた巾着からおもむろに何かを取り出し、こちらに差し出してきた。
「甘いものでもお食べなさい」
皺くちゃな掌の上には、透明な包み紙に入ったまん丸な飴玉。
「夢渡りの飴というのよ」
夜空のような紫紺のグラデーションに見惚れる私に、老婆はしわくちゃな口許に妖しげな笑みを浮かべて、そう言ったのだった。




