45.成就
45. Granted
彼女が僕に本気で牙を剥いたことは、今までに一度として無かったような気がする。
そもそもこの地位に落ち着いてからと言うもの、自分に対して示される威嚇の表情は殆ど恐怖による消極的なそれだった。平和ぼけた考えだが、あったとしてもその例にもれなかったと記憶していたんだ。
“グルゥゥゥッ!!”
“ひぃぃっ! ごめんなさいっ!”
だからこんなに恐ろしいとは露にも思わなかった、まだFenrirさんに喰い殺すぞと脅された方がまし…か?
満身創痍の夫を出迎えた彼女の第一声がそれだった。
そのひと吠えにどれだけの感情が込められていたことだろうか。
昨夜黙って寝床を出て行っておいて、その上助けを求めるような遠吠えに私が気が付かなかったなどと微塵も思うな。
子供たちの安らかな眠りを守らなくてはならない私が堪え、それでもどれだけ今すぐに貴方のもとへ駆けつけたかったと思う?
明け方まで眠らずに待ち続けていた私が…必ず、必ず貴方が無事で返って来ると最後まで信じられなくなりそうなぐらい心細かったことを…貴方は、貴方は……!
愛情表現のぎりぎりを、彼女は僕にぶつけてきた。裂けた顔面を傷つけぬよう大口を開いて鼻面をばぐりと噛みつくと、首の下へ顔を滑らせて毛皮をごしごしと擦りつける。
その力があまりにも強く、足元がおぼつかなかった僕はふらつきを覚え、喧嘩の真似事でも押し倒されたことが無かった巨体を容易く組み伏せられてしまった。
腹を見せて情けなく仰向けになり、尚も彼女の牙が首元の毛皮に甘く宛がわれる様を、周囲の狼たちは驚きと戸惑いを隠せない様子で耳を立てている。高い声で鳴いて許しを請うとは一体何事かと思うのも無理はない。
そして子供たちがそれを遊びの一種であると捉え、目覚めと程なくして現れた父が作った小高い丘に我先に登ろうと割って入るものだから、僕は終ぞ群れのリーダーが周囲に見えるところで屈辱的な姿勢を晒し続けるという罰を与えられたのだった。
抵抗なんて、許されるはずもないよね。
でもお願いだから、顔から登ろうとするのはやめてくれ。
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それと殆ど時を同じくして、彼女も一言、病床の男に語りかける。
小雨が予期されるせいだろうか、静けさはその言葉に大きな意味をもたらしていた。
「ずっと…お待ちしていたんですよ?」
「貴方が此処に戻って来て下さる、その日を。」
窓辺を見上げると、木々が音もなく強い風に靡く。
「あの子が助けようとしてくれたと言うのなら、私は貴方を信じます。」
「ですから、目を醒ましてください。」
「そうしたなら、私はまた、あのお部屋で待っていますね。」
「……。」
応えるかのように、薄っすらと開かれた目に光が宿るのは、まだ少し先だろう。
「…うん。」
それでも、彼女が言ったことは、しかと胸に刻まれていたのだ。
「おはよう、Freya。」
「…はい、おはようございます。」
最後にそうとだけ、聞きたかったようだ。
彼女は安心したように笑顔を見せると、まるで、その日の面会の時間はこれで終わりだとでも言うように、静かに病室を去っていったのだった。
まさか、狼に助けて貰える日が来るなんてね。
貴方の物語が、どうかそのまま祝福に満ちていますように。
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いつもFenrirのお話に付き合って下さりありがとうございます。
最近主役の出番が少ないですが、次ぐらいからまた頑張ってくれることでしょう。
さて、いつだったかSkylineという狼犬にはモデルがいるのだと言う話をしたかと思います。
(第35話 「星界の翼」のあとがきにちょっと書いてます)。
昨日の昼過ぎ、第47話 「夜明けの宝冠」を投稿して暫くしたあとに、連絡がありまして。
なんとスカの飼い主である友人が結婚するとの報告を頂きました!びっくりしました、おめでとう!
こんな物語を書いているとは彼は夢にも思っていないでしょうが、ちょっぴり数奇めいたものを感じつつ、なんとも幸せな気持ちで祝福の言葉を返したのでした。よかったね。本当に良かった。
この章を彼と婚約相手、スカに捧げ、そしてやはり読んで下さった皆様に感謝申し上げます。
2021.5.17




