7.憂鬱な火曜日 1
7. Depressing Tuesday
「…。」
殺される日に見る夢としては、上出来だったように思う。
こんなに寝覚めの悪い日は久しぶりだ。
今日は自分を虐げようという気分にはならなかった。
なんとなくすっきりしたような、今日でこんな重荷も背負わなくて良いという開放感があったのだ。
こんな気持ちのまま死ねることを願いたいものだ。
死出の準備はできる限りしたつもりだ。あの侵入者が俺の居場所を見失うことがないよう、洞穴へと向かう道中の大木に爪痕を残したり、折り倒しておいたのだ。
みだりに木々を傷つけるのには気が引けたが、間もなくこの森もあいつらの手に渡ってしまう。そうなればどのみち終わりだ。俺が守らなくちゃならなかったのに。
とにかく俺の憎悪と受け取って、獰猛な印象が与えられればそれで良かった。
それからは体力の許す限り、思い出の場所を歩いて回って、そこの空気をもう一度だけ吸って確かめて、別れを告げてきた。
特に心が揺さぶられることもないと思ったが、そうしておきたかったのだ。
にしても、そうした作業がこんなにも辛くなっているとは自分でも驚いた。
想像以上に衰弱している。一度出かけて戻るだけがしんどい。身体が毒を盛られたように重い。どうやら本当に寿命らしい。
まあ今日で死ねるのだ。体調を気にする必要はない。
こんな景色も、もう見ることがないと考えた途端に、鬱屈としていたはずの森は輝きだした。末期の目だ。
顔を上げる元気すらない俺の目に映る、草でさえ、花でさえ、陽の光を浴びてこの俺に向かって輝いて見せた。
ああ、生きているのだなという感じがした。
この草花よりも遥かに巨大な奴が、こんなにも弱いことを嘆いた。どうして俺は、こんな風に生きられない?
まだ小さい頃の話だ。多分初めて名前も知らない花に興味を持ったのだろう。
腹這いになって顔を近づけ、その奇跡をまじまじと見つめていた。
そのとき風が吹いて、花弁が自分の鼻先にちょんと触れたときに、俺は…そう、何かを勘違いしたのだと思う。
馬鹿みたいだ。
そんなことを今思い返して、いったい何になるのだろう。
いや、ただあれに似た花が目に入ったから、少し思い出してしまっただけだ。
首を傾げて、すまなかったなと示し、少し微笑んで見せた。奇麗だな、と言うつもりで。
そうしたらまた、風が吹いて、花は左右に揺れていた。
足音が大きくなるほど、謎は深まっていった。
なんと、聞こえてくる足音はたったの一人だったのだ。
もう虫の息とはいえ、一人で怪物退治とは、いくら何でも舐めすぎだ。このご時世、勇者を気取ってもパーティーを組むものだというのに、いったいどういうつもりなのだろう。
背後には気配を消した伏兵が大勢潜んで合図を待っておりこいつは哀れな特使、さしずめそんなところだろうが、どうも解せない。
こんなことをされれば流石に警戒するのは当然と言えた。何故わざわざ、不都合にも油断の種を摘むのだろう。
正午を過ぎ、日和が実に春らしい暖かさとなった。
すっきりとした青空に、普通であれば活気づく心持になるだろうが、どうしてもそんな気分とは程遠い。
失うものがないせいで、ぽっかりと空の心があるだけだった。
眠気を覚え、またも睡魔に玩ばれようかという頃、その訪問者は遂に姿を現した。
その日は火曜日だった。
短髪に、整った容貌で、それなりに鍛えた体つきの男、人なら二十代後半だろうか。
その程度の特徴しか認められないぐらい、普通の奴だった。
周囲に気配は感じられない。本当に一人で来たことに驚いた。
「Fenriswolf…だな?」
その神は、俺に向かって話しかけてきた。因みにこれは俺の別の名だ。
好きじゃなかった、お前は狼だと、言っているようなものだから。
俺は沈黙のままそいつをじろりと睨みつける。
注意深くその訪問者を観察する。こいつが俺をたった一人で殺せるほど強いと言うのだろうか。
野生の勘は、この神から何ら脅威を感じとらなかった。
今の俺でも、楽にあしらってやれそうだった。
「それ以上近づくな…。」
更に歩み寄ろうとするそいつに俺は警告した。
「殺すぞ」
獣の低い唸り声、容姿に見合った台詞、それだけで俺は立派な悪役を演じることが出来た。
十数年という歳月を経て、自分の心はだいぶ捻じ曲がってしまったなと思う。
俺は神という存在が大嫌いだ。
俺を怪物としか見ない、そんな奴らのせいで、他を寄せ付けない、一匹狼へと成り果てた。
こんな奴に殺されるなんてまっぴらごめんだ。俺を誰だと思っていやがる。
弱ったふりをしてこんな神様に手柄をくれてやるほど、狼の尊厳は失われてはいない。
きっと口車に乗せられたのだ、返り討ちにするつもりはないが、こいつには帰ってもらおう。
誰かに殺してもらえるほど、甘くはなかったらしい。やはり俺は自らの手で…、
自らを終わらせる運命にあるのだろう。
来るな。これ以上俺を苦しめるつもりか、もう放っておいてくれ。
がっかりだよ、期待していたのだがな。
「餌を持ってきたんだが…喰うか?」
俺の脅し文句を気にもかけずそいつは言うと、一匹の動物の死体をその場においた。そして一歩下がる。
「手土産だよ、腹減ってるんじゃないかと思ったんだ。」
カモシカだった。死んでから時間は経っていなくて、旨そうな血肉の匂いが漂ってくる。
やはり相手はこちらの状況を把握できているらしい。まあ神様なのだから、それぐらいは造作もないのだろう。
久しくお目にかかっていない肉塊に俺の目は釘付けになった。口に唾がたまる。
「餌、というのは…。」
俺は気怠そうに立ち上がった。
「お前のことか?」
そして、瞬時にそいつの目の前に移動する。
牙を剥き出し、威嚇の唸り声をあげた。
「どうせ毒か何かが入っているのだろう…あいつらのやりそうなことだ、そんな小手先でこの俺を殺せると思った!?」
俺は吐き捨てるように言った。どいつもこいつも本当に腹の立つ野郎どもだ。
挙句の果てに毒殺だと?
あまりにも見え透いていて、逆に訝しむことすら憚られるほどだ。
神様がこの俺に施しを授けたもうことなどありえないのだから。
一体なんなのだ?俺は馬鹿だと思われているのか?
人間に育てられなかった野生動物の知能は神様の足元にも及ばないということか?
忘れるな、俺だって神なのだ。お前らに追放された神なのだ。
この状態なら俺はいつでもこいつを丸のみに出来る。
「代わりにお前のことを喰ってやっても良いが…?」
思いっきり脅してやった。
昔は一匹でいるのがあれほど嫌だったのに。
怖がらせてやろうとか、震え上がらせてやろうとか、そんな思いは全くなかったのに。
こんな獣になってしまった。
だが意外にもその神は、俺の威嚇に怯えた様子を見せなかった。
「毒なんか入ってないさ、俺はお前を殺す気なんてない。」
そう言って軽く受け流して見せたのだ。
予想外の受け答えに俺は面食らう。
「もっと頭は良いやつだと思っていたんだけどな…。なあ?フローズヴィトニル。」
「…んだと…!!!」
流石にカチンときた。俺の目の前でその名を使うとは。
「舐めているのか貴様…!?」
俺が怒り猛った様子を見せても、彼は妙に落ち着き払っていた。
「本当のことを言ったまでだ。…狼の嗅覚と直覚なら、毒が入っているかどうかぐらい、すぐにわかるんじゃないのか?」
「…。」
面白い、と思わなくもなかった。嘘を見破られたときの顔が見ものだった。
俺はゆっくりとその神から視線を外すと、置いてあった鹿肉に鼻を近づけて匂いを嗅いだ。
…血の匂いしか伝わってこない。怪しいものは入っていないようだった。
果たしてそうだろうか、疑心暗鬼になりすぎるということはない。
そんなものいくらでもごまかせそうな気がしてくる。
これを、俺はあいつからの何と受け取れば良い?
今度はこちらから鎌をかけようか、と考える。それでこいつはどう出るだろうか。
顔をあげ、そいつを見て驚いた。
「な、毒なんか入ってないだろ? ほら、遠慮せずに喰えって!!」
この俺に向かって、笑いかけたのだ。
「よろしく、俺Teusって言うんだ。」
この恐るべき怪物に向かって。
――――――――――――――――――――――
そいつは適当な場所に座り込み、俺にその肉塊を喰えるような雰囲気をつくった。
警戒を解くつもりは毛頭なかったし、促されたとて喰うものかと示したが、その間にもぽかんと口を開け、旨そうなそれを凝視してしまっている自分がいる。
結局俺は肉を目の前にして自制心を言い聞かせることはできず、気づけば夢中で齧り付いていた。
その罪悪感たるや、耐えられるようなものではなかった。
あれだけ苦しい思いをしながら我慢を積み重ねてきたと言うのに、ちょっとちらつかされただけでこうもあっさりと尻尾を振るだなんて、今までの自分にどう申し訳するつもりか。
ああ、情けない。舌触りがひどくそそる、口が勝手に獲物を頬張っていく。
でも旨かった。久々にありつけた食事は皮肉にも大満足だった。
暫くの間、辺りには俺が肉を食い散らかす音だけが響いた。
できる限り行儀悪く喰ったつもりだ。乱暴に引き裂いては喰いちぎり、口元と爪先を真っ赤に染める。見ていて気分が悪くなるようにと、そんなことをして壁をつくっていた。
「うん、良い喰いっぷりだ…。やっぱり腹減ってたんだな。」
「…ぁあ゛?」
全く予想していなかった言葉に、俺は素っ頓狂な声を上げてしまう。
何を笑っていやがるのだ、こいつ。
本気で俺のことを舐めてるのか?
さっきからそうだ、俺の通告とも言える威嚇をものともせず、かえってこちらの領域に土足で踏み入ろうとしてくるではないか。
はじめて出会うとともに、俺はこういうやつが一番苦手だと悟る。
そう、なんだか、
俺のことを怪物と思っていないかのように、話しかけてくるのだ。
勿論、それは演技にすぎない。道化として、これ以上似つかわしいやつはいないだろうと思った。
喉の奥からくっく、と含んだ笑いを漏らす。
俺は段々と、肝が据わっているのか、それとも本物の阿呆かわからないこの男に興味が湧いてきた。
それでも、声を震わせ、びくびくしながら話すほかの連中よりもましな態度だ。
少しは礼儀と言うものが分かっているらしいな。
なかなかに立派な奴じゃないか、こいつ。卑屈も極まった俺はそう思いなおした。
「もっと持ってこれば良かったなあ…、こんなに速く平らげてしまうなんて…。」
骨までしゃぶりつくしている俺を見かねて、また笑う。
「そうだな、もう一人ぐらいなら、簡単に喰ってしまえるぞ?」
俺は俺で、悪役を演じ続け、受け答えてやった。
できる限り距離を保たなければ、俺は今の態度を保ち続けることが出来そうになかったのだ。
顔を上げ、そいつをもう一度睨みつける。
あちらが返す目つきは、とても怪物を見るそれとは思えないほどに、優しい。
それでも、その目はじきに豹変してしまうのだと思うと、怖くて、怖くてたまらない。
もう、こちらが逃げ出してしまいそうなほどだった。
それで、しまった、少し言い過ぎたなと思った。
折角相手は、この俺を怖がらないふりをしてくれているのだから、俺は怖い存在の振りをするのではなく、同じように怖がらない振りをしなければならなかったのだ。
…そして願わくば、彼にはこのまま、その目をしたまま、俺のもとを去って欲しい。
そうしたら俺はきっと幸せな気分のまま、今度こそ終わることが出来るかもしれない。
たとえ叶わずとも、俺は彼を生きたまま返すことが出来れば、それで良いのだ。
「そう言うと思って、ほら! もう一頭持ってきたんだ‼」
待ってましたとばかりに、どこに隠していたのか、今度はヤギの死骸を目の前にどさりと置く。
「でも、今回はこれで終わり。」
申し訳なさそうに両手を広げて見せる。
「次は、もっとたくさん持ってくるよ。」
「…。」
まただ、また笑ってやがる。
俺の狙いすました脅し文句も、単なる虚勢に思えてきまりが悪かった。
思わず彼から目を背ける。
やはりこういう奴は嫌いだ。
「ティウ…Teusと言ったな、お前。」
俺は、軽く咳ばらいをすると、そいつの名を呼んだ。
「…まあ、話ぐらいは、聞いておいてやろう。」
「良かった!話すらさせてもらえないんじゃないかって心配だったんだ。」
俺が、ほんの少しだけ好意的になったのを察するや、Teusはぱっと顔を輝かせた。
「うん…。お土産も持ってくるもんだな。」
「…。」
こいつ、この二頭のお陰で機嫌よくなったと思っているのか…?
「それで…何しに来た。今更何の用だ。」
彼は居住まいを正し、それじゃあ本題に入ろうと話をはじめた。
俺は新しい山羊肉に手を付けながら耳を立てることにしてやった。
「まず最初にはっきりと言っておくが、…まあ、わかっているとは思うんだが、この森には…。」
思わず口を動かすのを止めて、Teusの方を見る。
「Fenriswolf…君の獲物になりそうな動物はもう、この森にはいない。」
「…。そうか。」
やはりそうだ、そしてそのことを、向こう側は知っているのだ。
「…一匹も、か?」
そいつは頷く。
「少なくとも俺は一頭も道中見つけられてないし、多分そのことはFenriswolfが一番よく知っていると思う。」
お前に見つけられるとは思わんが、まあそうだろうな。
分かってはいたが、こうして聞かされるとやはり応えるものがある。
こんなにこの森が静かなのも、俺のこうした最期の心持ちから来るものかと思っていたが、ただ動物たちの営みが消えたせいだったようだ。
耳を澄ませてみても、森の息遣いしか聞こえず、晴れた日なのに、何か足りない。
気づけば目を落としている俺に、Teusは神妙な面持ちで告げる。
「…このままでは餓死だ。」
「わかっている。」
声も影を落としていたのか、先方は口を一度噤んだ。
しかしその次の発言は、あまりにも不用意であった。
「どうして助けを求めなかった?俺だったら…」
「お前、本気でそんなこと思っているのか?」
「…。」
凄まれたTeusはその次の言葉を慌てて飲み込んだ。
過去の話は、こいつも百も承知のはずだ。
「全く…お前は誰と話をしているのかわかっていないらしいな…。」
俺は声を荒げると言った。
「…いいか、お前は今、これ以上互いに関わらないと決めた相手と話をしているんだ。本当はあの時からの約束が保たれるはずだったんだ!! …俺は約束通りに生きてきた!! …お前は、お前らはどうなんだ!? あの約束を破ったのはお前らだろうが!! わかっているのか!? 」
腹が立つなんてものではなかった、中途半端に優しい言葉を投げかけるような野郎は。
助けを求める?
助けを拒んだのは誰だ、助けを求める勇気を奪ったのは誰だ。
そう問いかけることすらできなくしたのは誰だ。
…俺自身、そういうことだ。
俺は自らこの道を選んだ。自分の足でこの森に入り込み、自分から二度と神様と関わるものかと言い放った。
そういうことだろう?そういうことに、なっているのだろう?
あの約束を持ちかけたのは俺自身。
だから…
「お前はその平和ボケした頭で本気で言っているんだな!? 神様を自ら敵に回した奴を見て、嘲笑って、憐れんで、本気で言ってんだな!?」
「ち、違うんだ…そんなつもりじゃ…」
この際、はっきり言ってやろう。
俺はぐっと身を乗り出し、狼狽えるTeusに意地悪く言い放った。
「お前は今、”怪物”と話をしているんだ!!」
「…。」
「話にならんな。」
俺はふんと鼻で笑うと立ち上がると、俯くTeusを見下ろし、冷たく言い放った。
「ほら、さっさと帰れ。」
期待した俺が馬鹿だった。所詮オオカミが、ヒトと話などできるはずなかったのだ。
「気を付けて帰ることだ、腹を空かせた狼がうろついているからな。」
「ま、待ってくれ…!」
卑屈に笑い、くだらない捨て台詞を吐いて立ち去ろうとする俺を、Teusは必死で呼び止めた。
「…Fenriswolfの気持ちも知らずに酷いこと言って悪かった!! …謝るよ、本当にごめん!! …だから頼む、話だけでも聞いてくれないか!?」
そう言って喰い下がろうとする。
「だってお前このままじゃあ…わかってるんだろ? 餓死しちまうんだ!さっきも言っただろ、ここに喰い物はもう無いんだ! だから聞いてくれ!…違うんだ、そんなつもりじゃない、俺たちはお前に…」
「話はもう終わりだ!!」
俺は怒鳴り散らしてTeusを黙らせた。こいつが面倒な話をしようとする前に追い払う必要があると悟ったのだ。
「もう遅いのだ。」
目にもとまらぬ速さでTeusの背後に回り込む。
「…お前、喰いものさえ持ってこれば、自分は喰われずに済むとでも思ったか?」
ぞっとする獣の囁きに、これまで落ち着き払っていたTeusも身体をこわばらせる。
「お前の言う通り、俺は飢えている…。狼を相手に、そんな甘い考えは…命取りだと、思わぬか?」
喉の奥で押し殺したように笑い、この哀れな羊を恐怖のどん底に陥れる。
「目の前に転がっているあの屍肉が見えるな?」
Teusは恐るおそる頷く。
「俺は、お前に早くここから立ち去れと言った。先に俺は、この喰いかけの肉塊を片付けるだろう。…どれだけの時間がかかるかは知らないが…まあ、他の獲物には目もくれないさ。」
自分にほとほと嫌気がさしてくる。
「それでは、道中、狼に遭遇せぬよう、心から祈っているぞ。」
勝ち誇ったように笑い、冷酷にも命懸けの鬼ごっこの始まりを告げた。
俺が数字を数え終わる前に、こいつは死に物狂いで逃げるだろう。
彼は、息を震わせたままだった。
…どうした、腰が抜けてしまって動けないか?
しびれをきらしてそう煽ろうとした刹那、彼はようやく口を開いた。
「…わかった、」
それなら良い。
「ほんとうにごめん。俺のどんな言葉も意味がないかもしれなけれど、Fenriswolfを傷つけてしまって、ほんとに済まなった。」
わかっているじゃないか、それじゃあさっさと…。
「俺も獲物だ、腹の足しにしてくれ。」
だめだ、わかっていなかった。
「それで筋を通したつもりか!?軽々しくそんな言葉っ、嘘でも吐くんじゃないっ!!」
真後ろで怒鳴り散らされ、Teusは肩をびくっとさせる。
「だって…、だって…。」
狼狽え、慌てふためき、次の言葉も出てこない。
しまった、俺はこんなにも酷くTeusを精神的に追い込んで知ったことを後悔した。
完全に委縮しきってしまっていたのだ。今のこいつの顔は見えなかったが、きっと絶望し、恐怖に強張り、そして俺を見る目は今度こそ。
怪物を見るそれでしかないのだろう。
そう思うと、無性に悲しかった。
儚い願いは己がせいで潰えた。
しかしもっと俺の胸を抉ったのは、Teusの次の言葉だった。
「助けて、なんて…言えない、から…。」
「…。」
彼は片手に顔を埋めた。泣いているようにも見えた。語尾は掠れ、裏返っていたから。
…やめてくれ。そんなつもりじゃなかったんだ。俺はただ…。
ただもう、一匹で最期を迎えたかっただけなんだ。
そして、それが正しいと俺は悟った。こんな怪物は、容易く人を傷つける、良く分かった。
「さっさと帰れ…そう言った筈だ。」
元居た場所へゆっくりと戻り、溜め息まじりに呟いた。
「俺がこの山羊を片付けるまでの間…まあ好きにするが良い。」
Teusは恐るおそる顔を上げ、先ほどの死体に手を付け始めた俺を呆然と見つめた。
口に一塊放り込んで彼に問いかける。
「どうした。話したいことが、あったのではないか?」
「…?、ああ…。」
俺はもう何も言わなかった。あとは、こいつ次第だ。その間だけでも、喰わせてもらうことにしよう。
ただ少し安心したのは、
「…ありがとう。Fenriswolf。」
彼の目は相変わらずだったことだ。