6.魂の粉砕
6.Soul Shatters
気付かないふりを、していただけなのかもしれない。
辺りを見渡せば、その目は一様に恐怖と憎悪を湛えていた。
いいや、知っていたさ。最初から。
だから僕は、泣いていたんだ。
身体に絡みつく鎖の数は、次第に増えていった。
なんとか脚で踏ん張って立っていたが、今にも負けそうだった。
鎖は堅牢だった、牙で喰いちぎることが出来ない。表面に刻み込まれたルーン文字に何らかの意味があるのだろうか。四肢も、胴も、口も、鎖で縛り上げられ、更にきつく締めあげられる。
どうして、僕がこんなことをされなくちゃならないんだ?
なんで僕のことをいじめるの?
そんな言葉も、開きかけた口は無理やり鎖によって閉じられ、声にならずに消えていく。
薄暗い神殿から姿を現したのは、生気のない目をした人間たちだった。
皆、屈強そうな体つきをしており、揃いもそろってその手に武器を携えている。
そして、誰一人として、息をしていない。耳に息継ぎが聞こえてこない。
あまりの不気味さに、全身の毛が逆立つ。
誰なんだろう、この人たち…。
状況を未だ把握できず、その場に立ち尽くしていると、一人の兵士が手に持っていた槍を構え、力一杯自分めがけて投げ放った。
わぁ゛っという情けない叫び声とともに飛び上がり、すんでのところでそれを躱す。
すぐ傍を掠めて凶刃が地面に突き刺さる、それを見て、心臓が締め付けられるように痛んだ。
それが戦いの合図だったのか、死人のような軍団は雄叫びを上げるでもなく、こちらへと向かってきた。
本気で命の危険を感じた僕は、真っ先に人だかりの先頭にいる二人のもと目がけて走り出した。
父さんと母さんだったら、こんな怖い思いをしている僕を、助けてくれるはず。
二人なら、守ってくれるはずだと。
恐怖でこわばった身体を精一杯動かして、泣きじゃくりながら二人のもとへ駆け込んだ。
そうしたら、悲鳴とともにこれが現れたのだ。
牙を剥き出して必死の抵抗を見せる狼のことを、周りの神様は目の色一つ変えようともせず見守っていた。
その目が、僕の力を奪っていくような気がした。抗う気力が失せていき、鎖が身体に食い込んでいく。
背後には、お誂え向きの檻が大口を開けて待っていた。
だって、その目は、僕がこのまま縛り上げられて、動けなくなるのを望んでいるんだろう?
僕は、このままあの檻にぶち込まれるべきなんだろう?
まるで皆の望むことが自分のすべきことであるかのような錯覚に陥る。
少なくとも二人の前では、精一杯良い子であり続けてきた僕は、おかしなことをうっすらと考え始めていた。
僕以外の人たちが幸せであるのなら、抗う意味はないのではないか。
群衆の喧騒が、僕を傷つける言葉に聞こえてくる。
まあ、実際そうだったのだろう。それを僕は知っていた。
僕の耳は、狼の耳だ。そりゃあ、悪口だってよく聞こえる…。
僕のことなんて、みんな大っ嫌いなんだ。
「ぐるるるるるる…。」
全力で唸った。周囲のどよめきが大きくなる。
鎖に抗い、口が徐々に開きだす。
でも、それでも。一人、いや、二人でも、僕のことが嫌いじゃない人がいたら、
僕は幸せであっても、少しは良いような気がしたんだ。
「…かあさぁん…。」
「…とおさぁん…。」
二人の目は、周りの目と対して変わらないように見えた。嘘だと思った。
「た…すけ…てぇ…。」
俺は期待した。二人が助けてくれることを、愚かにも、当然ながら期待したのだ。
理由は…必要だろうか。
「た…すけ…てよぉ…。」
必要だろうか?
僕は、母さんと父さんの子供なんでしょ?
涙で腫れあがった目で、僕は訴えかける。
痛いよ、こんなに泣きそうなのに、どうして?
うまく言えない。二人にこんなにも助けて欲しいのに、助けてくれる理由と言うか、二人が助けてくれることが、自然なことなんだと思える理由と言うか、そんなものが上手く言えない。
母さんは、顔を僕から背けた。
父さんは、僕の目を見ないように、僕を見ていた。
「どお…し、て…? ねぇってばぁ…」
遂に大声で泣き出してしまったわが子を目の当たりにしても、二人は表情一つ変えない。
いったいどこが嘘泣きに見えるんだ?
こんなに苦しくて、痛いから、泣いているのに。
お願い、ねぇってばぁ、聞いてよぉ…。
「うぁ゛っ…えぅっ…わあ゛あ゛あ゛あ゛ん…。」
泣きじゃくりながら、必死で叫んだ。
最後の力を振り絞って、優しい二人へ最後の一歩を踏み出す。
「おねがいぃっ!…ころざなぃでぇっっ!!」
僕は、二人がいないと、生きて行けない。
それが罠の引き金であったかのように、鎖に刻まれた文字が青白く光りだす。
「っ!?ぎゃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっ!!!」
鎖から棘が生え、縛り上げていた獲物の全身に深々と喰い込んだ。
あまりの痛みに耐えきれず、その場に無様に倒れる。
二人の顔が、一瞬だけ驚いたように見えた。
俺の負けだ。
狩られた狼のように前足と、後ろ足が縛り上げられ、そして口枷がはめられた。
「たすけ…て。」
それでもまだ、血だまりの上で藻掻いてた。涙が止まらなかった。
檻へと引きずられる身体を止めようと、地面を爪で引っ掻いてみる。
俺は…そんなものを信じたのだ。
哀れっぽく、悲痛そうな声を上げて泣く俺は、子羊か、その皮を被った狼か、
どのように映ったのだろうか。
「…のこと、…きらいだったの!?」
最後に、聞いておきたかった。
こんな感情も、あなたには、伝わることはないだろう。
俺と、あなたは、違うから。
でも、知って欲しい。
つらかった。
死ぬほど、つらかったんだ。