431. 這い出 2
431. Dugout 2
「そう…か…」
貴方の冷たい笑みによって、ようやく確信へと至った私は、寧ろ心より安堵したのだった。
清々しいとまで、言ってやりたい。
「それで分かった。」
「皆が目撃した通りで、それで良かったんだ。」
やっと、すっきりした。
「あいつなら、大丈夫です。」
「……?」
「Teusは…確かに、大馬鹿者です。とんだお人好しだ。」
「貴方の友にも、きっと引けを取らないでしょう。」
「しかし、きっと、その代償を受け入れ、支払うことを、望んでいると思います。」
二匹を救った、その代償を。
二人で分け合った、あの時に、悟ったはずだ。
きっと、取り乱すことなく、足を踏み外すことだろう。
「それを看取るのが…」
「最期まで、傍らにいることが。」
「せめて、救われた私がしてあげられる役目だと考えています。」
「Teusの死に立ち会うのは、きっと貴方では無く、この私です。」
「約束したのです。私は、彼が人間へと戻る瞬間を、見届けたい。」
「ずっと口にしていました。それこそが、彼が予てより望んでいた、彼女の傍らに寄り添うのに相応しい自分だと…」
「しかし、傍らにいる自分が、これほど鮮明に想像できておきながら、私は、彼を、どのように死なせるでしょうかと、考えています。」
「自分に、彼の死を、どう迎えさせるか選ぶことが出来るなんて思わない。ですが…」
「もし長い放浪の果てに、貴方の元へ辿り着き、Teusが姿を現すことがあったなら。」
「その時は、どうか…私に免じて、迎えてやってくれませんか?」
「彼は、誰よりも、狼のことを、大事にします。」
「きっと、貴方とさえ、もう一度友達になろうと試みるでしょう。」
「…推し量りかねるぞ、主よ。我が狼よ。」
「だが今は、主が、我をこの世界に蘇らせることに固執しなかったことを、心から安堵しておる。」
「我になりたい、か…」
「主に、無理やりにでも、鱈腹喰わせておいて、正解だったかのう…」
「いいえ、きっと、それも違います。」
「私は、貴方に会いたいと強く願うことこそあっても、不思議なことに、貴方がこの世に蘇って欲しいと考えたことは、確かにありませんでした。」
「それは、私が、Teusのようなお人好しでなかったことの、何よりの証左でしょうか。私は、彼のような、馬鹿げた勇気に背中を押されるのが嫌いです。」
「それでも、貴方だけを、追い続けた18年間でしたが…」
「ええ。貴方と会いたい景色は、初めからこの世界には、無かったのです。」
「何よりも、貴方となることを望んでいました。」
「憧れていたんじゃない。」
「初めは、そんな小さくて浮ついた芽であったかも知れませんが。」
「貴方であることで、私はこんなにも、怪物から免れ、それでいて苦しい狼でも在らずに済むと、本気で思っていた。」
「貴方が辿った、地獄への道さえも、知らずに。」
「私は、勝手に貴方になることで、私の苦しみから解放されたかった。」
「それが、あの時、叶ったと思った。」
「でも、違ったんです。」
「私は…何というか、私の中に、貴方がいる感覚が、居心地が悪かったのです。」
「本音を言うと、乗っ取られるぐらいされても、良かった。」
「忘れてしまいたかった。」
「あの時、死に瀕した醜い自分を思い出し、夢見心地から醒めてしまったせいで。」
「消えたのが、貴方でなく、私であったなら。」
「悔やんでも、悔やみきれない。」
「もう、二度と叶わない縫合だ。」
「私が、私を忘れることは、私が幸せになるための、究極的な課題であると、私は考えています。」
「忘れる…?」
どれだけ辛いことも、いつかは糧となってくれるから。
だから、死に瀕するほどの傷跡も、或いは群れとの唐突な別離も、
ちょっとした、心に響いた出来事でさえも。
なるべく鮮明に覚えていたい。
それが出来ていなかったのなら、
貴方は心から恥じ入り、己を責めて、地獄の淵からさえも、飛び降りてしまうであろうと。
どうして、あんなことがありながら、
目の前の飽食に、満足しようなどと考えられようか。
片時だって、我の内に巣食っているのでなれば、
自分は生かされた意味が無いのだ、と。
「精神を保ち続けることさえ、私の薄弱な意志では、叶わない。」
「そう貴方は、笑いました。」
「主よ、考えられるか?」
「のうのうと忘れてしまったのだよ。って…」
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本当に楽しい、毎日であった。
この仔と一緒に、眠っている時以外は、ずっと遊んでいた。
地獄で出会えた群れ仲間たちは、我にかけがえのない幸せを与えてしもうたのだ。
“我は、幸福に、Garmであったのだ。”
まるで、あんな日が、無かったかのように暮らせたのなら。
それで惚けていようとも、
我は幸せである。
そういうことだ。
主には、少しも交わらぬ世界よ。
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「それに…」
「お言葉ですが、我が狼……」
「貴方自身も、そう信じていたのでは、ありませんか?」
「娘を、救えるかも知れないと。」
「だから、気付かないふりをしていた。」
「本当に、願いが叶うのなら。」
「この身が、何処まで堕ちようと構わないと。」
「彼を…友達を、信じたのではありませんか?」
「申し訳ございません。こんな、失礼な口を聞いて…」
「ただ、貴方が、末仔の狼に対して向けた愛情は。」
「私には、‘当然’ のことに、思えました。」
「それがとても、とても…」
「私には、温かい。」
「それこそが、私のなりたい、貴方でした。」




