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【続編連載中】Wolfhound(ウルフハウンド) ー神話に殺された狼のやりなおし  作者: 灰皮 (Haigawa Lobo)
第6章 ー古き神々への拘束編
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430. 無題/消失の末子

430. No title/Banishing Lastborn


済まぬ。

許してくれ、ダイラス。


我は、もう見ていられなかった。




この仔は、必ず、主と彼女の奇跡によって、息を吹き返す。

そんな夢物語を、我が信じてやらなくて、どうすると言うのだ。


我は、最もこの場において、楽観的で、すべてが上手くいくと信じ切った道化でなくてはならない。

たとえ一匹だけでも。そうと心得ておったとも。

今の我は、群れの生存を第一に見据えることのできるリーダーでも、

狼の知性を宿した人間の友でもない。


ただ、あらゆる判断力を失い、妻とその仔狼たちの幸せを希うだけ。

神様に縋るだけの、哀れな父親であったと。


しかし彼女が、再び最後の仔を腹に迎え入れてから、十日目の夜。


遂に主が、再びあの縫い目に鉄鋏を入れた時。

苦しそうに呻く彼女の姿を、直視出来なかった。


我が、その縫い目を受け入れることは、出来ぬのか。

そう懇願したのに、主は取り合ってもくれなかった。


「……ごめんね…」


それが出来るのならば、初めからそうしている、と。


我が、代わりに、その胎児を宿すのでは、足らぬと言うのか。

我の腹を縦に割いて、彼女さえも取り入れることができるぐらい、広い口を裂くが良い。

そこで、この仔が、再び息が出来るようになるまで、ずっと、温めてやるのでは、駄目なのか。


なぜ、彼女がこれ以上、苦しむ必要がある。


お願いだ。主よ。


その縫い目を彼女から剥ぎとって、我に移して、縫い付けてくれ。

子供たちも、乳を飲むのに、きっと邪魔だ。


お願いだから。






“すまない…”


“すまない……主よ…”


“我が、愛しの狼よ……”


腹の様子をのぞき込むことはおろか、

仔の様子を、聞くことすら怖くてしなかった。


“少し、夜空の下を走らせてはくれないか。”


“すぐ、戻るから…”


一晩中、看病を続け、いつしか彼女と眠ってしまった束の間を見計らって、

我は、到頭、逃げ出してしまったのだ。




誰の命が潰えることにも恐れず、

我らが幸せに暮らすことを許される。


仮初ではあったが、確かに存在した、

青の世界へ。




――――――――――――――――――――――





「これ、は……」


「どういう、ことなんだい?兄さん……」




確かに、その母狼のお腹には、毛を剃られた痕と、兄さんの不器用な施術による、這うような縫合が残されていた。

何の医学的知識も無い彼の切開が、彼女の命を取り留めていたのは、文字通り神の奇跡によるものだ。


そして、この中から、傍らのマントから這い出て、母親の元へ向かおうともがく、5匹の仔狼が産まれてきたことも、どうやら確かなのだ。

父親が、あの大狼であること、それも別に、信じ難いとも思わない。

僕らだって、遠い昔には、霜の巨人の子であったと言うのだから。



子宮は、まだ残っていた。

二股に分かれたうちの骨盤側が、色黒く膨らみを失っているのは、合点がいく。

此方は既に、胎仔を娩出した後だからだ。


しかし問題は、もう一方の、縫い目の残っている側だったのだ。


その中に、未だ生を受け取れずにいる死体が取り残されているとしたら、

もう腐って、どろどろに溶けてしまっているのではないか。

少なくともその僅かな膨らみは、明らかに仔狼が包まれた大きさをしていなかったのだ。




あの狼が、洞穴をこっそりと抜け出したのを確認すると、

僕は意を決して、縫い目に指を入れる。



しかし、僕が開いた子宮の中に、その仔はいなかった。




いなかったんだ。


空っぽだった。

胎盤だけを残して、




まるで、既に取り上げられた後のように。


消えて、無くなってしまっていた。




その意味をよくよく考えるだけの気力は、もう僕にも、彼女にも、残されていない。




兄さんは、僕に嘘を吐いたの?

それとも…?


「この仔は、何処に行ってしまったんだ…?」


ぐったりとして、目を閉じたままの雌狼に向かって、問いかけるも、返事は無い。

喩え得られたとしても、狼の言葉に、僕が嗅ぎ取れる真意など、高が知れているね。




今の僕に、出来ることは、何だろう。




「ごめんね、Fenrir。」


「俺には、出来なかった。」




「もう、此処にはいないんだよ。此処には……」




「…救って、上げられなかった。」


「俺は、この仔を、一匹ぼっちにさせてしまったんだ。」







出来なかったんだよ。兄さん。




「初めから、出来なかった。」




「僕には、初めから。」




僕も、彼女(Freya)を一人には、させたくなかったから。




兄さんへ、

結婚おめでとう。

出産おめでとう。

僕が唯一できると思う、自分なりの贈り物。




そしてFenrir。


君は、この真実を、どう受け止めるのかな。




僕を、喰い殺すかい?

それだけでは、飽き足らないだろうか。


そもそも、いつ、君は、僕が僕でないことに、気が付くのだろう。

それとも、君は悲しみに暮れて、そんなことも、どうでも良いと嘆くのかな。



しかし、いずれ君はきっと、訪れることだろう。

ダイラスが暮らす、僕らの里へ、

ヴァナヘイムへと。




僕が、兄さんだったなら。

ヴァン神族の、長であったなら。


僕が、出来ることは、これぐらいしか無い。




Fenrirへ。

これは、一匹娘を失った君への、僕からの贈り物だ。




今は本当に、その罪悪感だけが募っている。








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