429. ここ掘れ 6
429. Dig it 6
“ふふっ…聡明とは、よく言ったものよ。”
“…主は、そうやってすぐ、結び目を飛んで、真相に迫ろうとする。”
“も、申し訳ございませんっ…”
一つや二つ、秘密にしておきたいことだって、ありますよね。
いや…そうじゃないか。
貴方は自分本位で、私に伝えるべき記憶を選別するような方じゃない。
喩えそれが、恥ずべき、覆い隠したい記憶だったとしても。
知るのに、相応しい時期が来るまで。
行く行く、私に伝えようと思っていたことの幾つかを、こうして私がしることになったのも。
私に、鍵穴に満ちる鍵を探させていただけのこと。
扉を解放させるのに、試練を課したと気が付けない、私は確かに、答えばかりを求め過ぎた仔狼でした。
“ふむ…そのように受け取るのなら、それでも構わぬが。”
“確かに、あのテュールという男の勇敢さ…いや、その場凌ぎの勇気は、我にとっても、主にとっても、度々驚かされる所だったであろう。”
“だがあいつが、お前の元に姿を現すこと自体は、何となく想像がついた。”
“え……!?”
“我がつるんでおった、あの老い耄れの存在を、主が窺い知るのと、ちょうど同じような自然さで。
それは、主が、仔狼たちの巣穴で目にした壁画であったり、
或いは、一匹旅で、鉢合わせることとなった、ヴェズーヴァの一角から得られる、ある種の期待。“
“それと同じような、触れ合いが、我にもあった。”
“主だ。我が現身の狼よ。”
“主が、我の元を訪れたのは、全くの偶然という気がしない。”
“主の臭いを一つ嗅いだだけで。”
“ならば、主の元にも、とんだ人好しの害悪が、訪れるであろうと。”
“別に、在奴が特別な人間であったとは、主にとっては、そうやも知れぬが、我は露ほども思わない。”
“……。”
“それと、念のため言っておくが、意識して、選択的な受領が出来たとも、我は思っておらぬ。”
“しかし、死に至るまでの間で、自然と我の中で、何度も思い返される記憶と、そうでない記憶に、明瞭な差が現れ始めていたのは事実だ。”
“そして、思い出したくない記憶とは、必ずしも不幸な日々とは限らない。寧ろ、そうした瞬間こそが、我をどうにか狼として生き永らえらせる、救われるべきでない過去である。そうは思わぬか、主よ。”
“……。”
“だから、表層に浮かび上がってきた…?”
つまり、私が、貴方を喰い散らかしてから、
繰り返した夢の中に、ぼんやりと現れていた貴方の姿とは。
貴方自身が、良く思い返していた日々であった、ということですか?
“…納得、行きません。”
“貴方が教えてくださった日々は…”
“ずっと、一匹ぼっちでした。”
“それは…それは、私にとって、生き抜くためにそのまま糧と出来る知恵でしたが。”
“我が狼は、自分が完全に孤立して、一匹狼と成り果ててしまった日々だけの中で、生きてきたと仰るのですか?”
“もっと…もっと、心の支えになるような、群れ仲間や、彼女とのやり取りを…思い返して、幸福な気分に浸ろうと、思わなかったのですか?”
“何もかも忘れて、たった一匹で生きることを選ばざるを得なかった。”
“貴方が、貴方自身から、隠し通そうと思うだなんて。”
“それじゃあ…それじゃあ、記憶喪失よりも酷い…”
“それが、’忠’ だなんて。”
“あんまりだ…”
“余りにも、つらいです。我が狼。”
“主は、良く、思い返しておったのか?”
“え…?”
“追い出されたと言う、両親の住む神様の世界のことを。”
“……。”
“お恥ずかしながら…”
“恥ずかしがることも、無かろうに。”
“…だが、それは主と我で、大きく異なるところであるのだ。”
“それは、取り戻せると、思っているかどうかの、違いであるのかも知れぬ。”
“そ、それは…”
“いつか、そんな日々に戻れると、信じているからか。”
“ち、ちが…”
“少なくとも、我には、そのように映った。”
“とても良いことだと思う。”
“……。”
“では、我が狼は、その…”
“二度と、取り戻せないと、諦めていたのですか…?”
“だったら何故…”
“ああ、死ぬまでは、な。”
“オ嬢に出逢うまでは。”
“え……?”
“驚いた。”
“彼女は、我のことを、覚えていると言った。”
“だから、遊んで欲しいと。”
“……??”
“どうしてだ。”
“初めは、本気で訝しんだとも。”
“もし、主に出逢うことが無かったなら、きっと、狼違いであると…”
“我には、他に探して居る人間がおったのだ。”
“しかしそれでも、戯れに、相手はしてやっていたとも思うがな。”
“…あの仔に芽生えた愛情だけは、忘れることは出来なかったのだ。”
“その時、悟ったのだ。”
“拭い捨て去ったと思い込んでいただけであった、と。”
“そうと気付かされた途端に、我は…我は、沢山の思い出が、毛皮にこびり付いていたことに気付かされたのだ。”
“我を慕って、鼻先を擦りつけ、身体を半ばぶつけるようにすれ違う、彼らのことを。”
“腿に鼻を埋めると、若狼どもの青臭さがする。”
“腹を捩って、尾に触れてやると、狩りに長けた、我が猟友どもの毛先の感触を思わせる。”
“舌先で、鼻を舐めれば、それは…老狼らの味がした。”
“腹を舐めれば、我が仔の臭いがあった。”
“気が付けば、我の身体全身が、皆の身体の臭いで埋め尽くされ、彼らによって、構成されておったのだ。”
……。
“それで、思い出したのだ。”
“我は、皆によって、生かされておったと。”




