429. ここ掘れ 2
429. Dig it 2
お恥ずかしい限りですが。
遠吠えを私の方からすることで、貴方が答えてくれると思っていなかったのです。
或いは、そうした飛び道具なしに、自力で探し出して見せよ、と。
尤も、当初の見立て通り、隠れる場所など、このLyngvi島には限られておりまして。
まず、リシャーダ港には寄り付かないでしょう。
それは、貴方がTeusという男を露骨に嫌っているのを知っているからでもあり、それでも尚、彼との対話に臨むことを余儀なくされているのであれば、私はその会話を盗み聞くようなことをしたく無いからです。
喧嘩までは行かずとも、口論になっていなければ良いのですが。
少なくとも私から見たTeusは、貴方のこと、決して嫌っていません。
寧ろ、彼自身が、ダイラスという、嘗ての貴方の友の後継者であることを誇って、貴方に受け入れられることを心から望んでいる。
勿論、それを貴方は知っているでしょうし、その上で彼に牙を剥くかは、貴方の自由です。
多分、好かないんでしょう。何となく、いや、かなりはっきりと、嚙み合わない空気感に苦戦させられるやり取りが脳裏に浮かぶ。
ですが、私の顔に免じて、その、会話だけはして下さると信じています。
そして、それが無事執り行われた、としましょう。
貴方もまた、私とSkaが話し合った内容を、耳に入れたくは無いと図らって下さっているはずです。
まず、この山麓には彷徨かないでしょう。
そうなれば、Lyngvi島を大雑把に四分割するなら、自ずと彼が身を隠した場所は絞られて来る。
中央闘技場を挟んで、南海岸か、
既に多くの灯りで賑わいを見せている、西部の第2保養地。
Teus夫妻に、あれだけの一等地を明け渡したのは、それはそれは並外れた歓待であったに違いないことが分かる。
同じほどの広さの行楽地に、方や百数名の息遣いと、殆ど一人暮らしの老人が土地を与えられているのだ。
Van神族の顔を立てただけと、取れなくも無いが。
あいつ、本当は、王子様か何かなんじゃないか、本気でそう訝しんでしまう。
それにしても、騒がしいな。
ここからでも、人間の息遣いが僅かに聞こえてくるぞ。
あの大噴火にも関わらず…いや、だからこそか。
きっと、修復作業にも、悠長に時間をかけていられないに違いあるまい。
普通なら、いつ再び焼け付く双陽が降り注ぐかと、恐れて滞在などしたくない所だが。
よっぽど、その冬至祭とやらを敢行したいらしいな。
Vesuvaでの転寝を妨げる、ヴァナヘイムの喧騒を思わせる。かなりの人数だが、あれは再興に駆り出された、神様の中でもごく市井の者たちだろう。そこに要人はまだご到着になられていない。
いずれにせよ、灯りが煌々と並ぶ神族の住処に、まさかあの大狼が潜むまい。
それができるだけの胆力こそあれど、それでは私が入り込んで探しに行けない、その気付きも当然我が狼は持ち合わせているだろうから。
「つまり、入り口で待っている、と…」
私がLyngvi島に足を踏み入れたあの海岸に、いらっしゃるのですね。
来た当初から、特段心を揺り動かされる景色では無かったし、
Ska御一行を歓迎するに当たって、周囲は念入りに探索したが、二匹きりで会話をするのにお誂え向きのスポットがあったとも記憶していない。
何か、お考えがあるのでしょうが、
それだったら、私は洞穴で、どきどきしながら話をしたかったです。
「……。」
ずっと、貴方の亡骸に向かって、話しかけていましたね。
今日は、鹿を何頭狩りました。はい、もちろん、一匹で、です。
だからこれ、一緒に食べて貰えませんか?
明日はちょっと頑張って、あそこまで走って行こうと思うんです。一度も休まずに。
無事に辿り着けたら、そこで遠吠えの練習をします。
ちゃんと、聞いていて下さいね。
Sirius、昨日は、夜中に駆け出してしまって、すみませんでした。
起こして、しまいましたよね。
嫌な夢を、見たんです。また。
また、僕が父さんと母さんに捨てられてしまう夢。
僕がどれだけ、嫌だって泣き叫んでも。
二人はずっと笑って、僕に行ってらっしゃいって言うんです。
元気でねって。こんなに、泣いてるのに。
それが、それが恐ろしくて、堪らなかった。
そんな話ばかりを、僕は貴方にぶつけてしまいました。
でも今度こそ、私たちは互いに、最高の話し相手になれる。そうですよね?
でも…貴方の目を見て、何を話せば。
そう考えるだけで、また忽ち、顔が火照ってしまう。
「と、とにかく、お待たせする訳には行かない…」
Teusの元へ、寄り道するのも考えたが。
どうせあいつとは、最後にじっくり、話すことになる。
結局は、真っすぐに突っ切り、南下するのが良いだろう。
「でも…嫌だなあ、また、あの闘技場を通過するのは…」
思い出すだけで、ぼろぼろになった四肢の関節が軋む。
もう仔狼じゃないんだ。そんなトラウマ、乗り越えなくちゃ。
決して、それは我が身を縛った筋の戒めによるものでは無いのだから。
「まだ、観客なんていない…よな…流石に……」
そう心に言い聞かせても、ぐるりと会場の周囲を迂回するようにして通過するときでさえ、俺は息を押し殺し、揺らめく灯の光に照らされぬよう進むので、精一杯だった。
どうして走りにくい、そう訝しむまで、尻尾が股に挟まれていたことに気づけなかったほどに。
そして通り過ぎさえすれば、次第に軽くなる足取りだ。
誰かがいたような気がしたが、その存在に気を配る必要に駆られない。
「着いたぞ……」
南岸の海辺は、唯一この島において、大噴火の影響を受けずにいたらしい。
ちっとも水浴びをしたいような日差しは無く、これから荒れ模様にさえ傾きそうな水平線だが、それでも爽やかな一枚絵だと息をのむほど、その景観は目覚ましい。
唯一、侵されていないとは、それだけで心洗われたのだ。
私を此処へ呼び込んだ理由が、少しだけ理解できた気がする。
「さあ…何処に行かれたのです?我が狼…?」
しかし、辺りを見回しても、貴方の足跡は打ち消されてしまっているようです。
潮の匂い漂う中、手掛かりらしい糞や、マーキングも嗅ぎ取れない。
「おかしいな……招待状の一つや二つ、残してくださっているものと…」
らしくない、と言った方が、正しいだろうか。
貴方なら、きっとその痕跡を、私にだけ伝わるように、こっそり残してくださるものだと思っていたのに。
或いは私の推論が、貴方の期待に沿うものでは無かったということでしょうか?
「やっぱり、すれ違っているんだ…」
深読みし過ぎてしまったんだ。
きっともう、呆れた奴だと欠伸をしながら、洞穴の中で、丸くなっているに違いない。
一秒でも、此処には訪れていたのかも知れないが、
やはり、貴方のお気に召すような場所では…
「……?」
そう思い至り、ぐるりと尾を翻した視界が捉えた僅かな雲間の濃淡に、俺は目を洗われる。
「ああ……」
「そうか。そちらに…」
「いらっしゃるのですね。」
そう思っていましたとも。
やはり、この海岸に、私たちの対話をこっそりと見守ってくれる土地なんて、無いのです。
そして、もっと言えば、Lyngvi島とは、それ全土が、それに相応しくない。
「冬の便り、以来だったか…」
その説は、お世話になりました。
また何処かへ連れて行って貰えるというよりは、
その土地自体が、私たちの舞台となる、ということでしょうか。
泳ぎで、十分にたどり着ける距離だ。
「ちょっとは、冷たくなっていると良いが…」
母島の傍に、再び孤島が廻り廻って来たのだ。




