428. 巣穴の探査 7
428. Lair Delve 7
“うあ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……”
“あ゛ぁっ…ぁぁっ……”
“ごめんっ…ごめんなぁっ…すかぁっ……本当にぃっ…ほんどうにすま゛ないぃっ…”
“たのむ゛っ…お願いだからっ……見ないでっ…見ないでくれぇっ…”
地面に頬を擦りつけるようにして、涙を拭い、
それでも自分では止められない、
お前じゃなきゃ。
だからこんな泣き顔、お前にだけは見せたく無かった。
“……。”
Teusでさえ、かける言葉を躊躇うほどに、情けない吠え声を上げて泣く俺は、
お前が狸寝入りを続けていられぬほどに、耐えきれなかったことだろう。
あいつには、散々このような醜態を晒してきた。
それでも、少しも許された気持ちにならないし、増してや慣れることなんて絶対に無い。
お前には、どうだっただろうか。
俺は、お前に決して弱みを見せることの無い、全能の狼だったか?
もしこれが、最初で最後であると言うのなら。
まるで、俺が我が狼を見る目で、今まで俺のことを見つめていたのなら。
幻滅した英雄は、さぞかし醜く映ったことだろう。
それでも、幾分かは、こうしてすっきりとする。
お前にこんな泣き顔、Teusにだけ見せた様な、本当の自分を晒せた。
羞恥的な、心地よさ。はっきり言って楽だ。
実際、本当にどうだったのだろうか、永遠に暇なら、一つ一つ、読み返してみたいものだ。
記憶を遡る力が、随分弱まっているように感じる。
朧気に、沢山泣いたなあ。などと。
此処しかないと感じられた瞬間は、数えるほどしか無かったのに。
その一つ一つに、俺はまともな体裁を保てなかったものだ。
“あ゛うぅっ…う゛う゛っ…う゛う゛ぅぅぅぅ……”
そろそろ、俺だって、相手を笑顔にさせる側に、なりたいのに。
“でもっ……でもお゛れはぁっ…う゛う゛ぅぅぅぅ……!!”
瞳の端に滲んだ涙が、震えるお前の毛皮の脈動が、
俺の頭を一層滅茶苦茶にかき回す。
“だがっ…それでもぉっ……、それでも俺は……憧れた道を目指したいっ!!”
きつく目を瞑って。
人間の言葉で無くて良いのだ。
もっと俺は、楽に言葉を紡いで、
俺の番だと、胸を張れるはず。
“俺などが…そんな我を貫き通すことに、一体…何の意味があると言うのかっ…!!”
“しかし、それだけの我儘を、俺はしてみたい。…しなくちゃならないんだっ!!この生の間にっ!!”
“…それだけ、お前が示した狼とは、価値があるのだ。”
“Ska。どうか、そのまま目を醒まさずにいてくれ!”
“……少し、怪物の話をしてやろう。”
最後になるかもしれん。
“これは、俺がお前の主に、Teusに言われた言葉だ。”
“それを思い返すように、独白などしてやる。
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そう。
これも、独白なのだ。
俺も、お前と同じような問いかけを、あいつにぶつけたことがある。
そう、こんな薄暗くて、外の凄惨ぶりが見て取れるほどの口を開けた洞穴の中でだ。
俺は、狼であり得るのだろうか、と。
今のお前とは、立場も素性も違う。しかし俺にも、自分のことをどちらにも思うことがあった。
俺には、ほんの少しの間だが、人間と一緒に暮らしていた時代というものがあったからだ。
俺は、Teusが嘗て暮らしていた都市にいた。
驚くだろう。俺だって、遠い昔の話であるが故に、それが本当にあった出来事であるのか、時折、信じられずにいる。実は、そんな過去、俺の妄想なのではないか。俺が、自分を特別扱いするためだけの、悲劇の主人公に保とうとするためだけの、自分しか知りえないバックグラウンドであるように思えてくるのだ。
あいつと出会わなければ、気を狂わせて、本当にそんな結論に至っていたかも知れないな…。
Ska、お前は俺と同じ苦しみを分かち合いながらも、お前にだけ与えられた特権がある。
それは、お前が一度も、人間であると感じたことが無い事実だ。
誰かに望まれるような狼こそが、自分を狼たらしめる。
そして、それ足りえないと自覚して初めて、お前は狼という存在から脱却し、自分を客観的に眺めようとする意識が生まれたのだろう。
しかし、お前が狼でないと悟った時に、では誰か。
‘怪物’ とは、お前が狼でいかも知れない、その状態を指し示す言葉、不安だということを忘れてはならない。
何者か、が分かれば、その時、お前の心の中に、怪物という疑念の影は消え去るのだから。
お前は、狼では無くて、では何であるのか?
その過程を、俺は真逆の立場から得たと、告白したい。
俺は、ひょっとしたら人間であったのでは無いか?と。
本気で初めは、そう思っていたのだ。
当時は、自分が人間だと思うことの方が多かっただけ、と言った方が、幾分か正確であるかも知れない。
自分が、自分の外観とか、それから来る周囲との関わり方のぎこちなさから、自分が共通認識としての人間では無いことは、薄々理解はしていても。
少し、変わった人間ぐらいに留まっていられたなら、それで良い、と。
お前からすれば、信じ難い倒錯に陥っていると感じるだろう。
お前は、絶えず人間と関わり合い、その中で、仲間意識を強く持ちながらも、自分が一員として認められる理由に、人間の側面を見出すことは無かったと信じたい。
いずれにせよ、あれは幻想と呼ぶに相応しかったと振り返る。
そんな幸せに蕩けた日々も、長くは続かなかった。
俺は、人間でないと思い知らされた経験が訪れてしまってな。
俺は、俺が人間では無い、という状態に至ったのだよ。
…それが、‘怪物’ の目覚めとでも言おうか。
今のお前と同じだ。
だが勿論、一匹であの森で暮らすようになってからは、今となっては、狼であると信じている。
片時も、自分が人間である可能性に縋ったことなどない。
それが、怪物から逃れるための、唯一の活路であったからだ。
再び、人間へと舞い戻ろうとする道は、早々に捨てた俺にとって。
お前が、自分を誰かと重ね合わせる像として狼を選んだように。
俺にもまた、自分が狼であるかを定める存在を自ら選んだ。
Siriusという名の、大狼を。
それは、新しい何者かに、生まれ変わるこ同じぐらい、無謀な挑戦であった。
どうにか、俺の中の、それらしい手掛かりに縋り、
俺がこんな目に遭うことの原因を、ただ狼に求めて。
そうか、俺には、狼の資質が、僅かながらに、備わっている。
狼と嘲られるに相応しい、意識すらしてこなかった、狼の側面が。
ならばこれだけは、これだけは、決して手離すまいと。
そうでなければ、俺は、本当に、怪物のまま。
何者にもなり得ないことが、恐ろしくて堪らなかった。
怪物に溺れまいと必死だった。
今言ったように、俺は初め、狼では無かったからだ。
だが…どの時代の俺にも共通してあった考えは、きっとその狼と人間の境界は曖昧で、答えなど初めから無くて、俺はその両者を絶えず揺れ動く存在なのだろう、と言うことだ。
実際その通りだ。
未だに俺は、お前たちの視線が集まる中で、変な気を起こそうとする…
だが…それでは俺は、狼でも人間でもない…得体のしれない “怪物” のままだ。
それは嫌だ。何も考えずに、ただ漫然と生きる訳には行かぬ。
だから、その芽生えがお前にも来たことを、心より誇らしく思う。
それと同時に、お前には決して、この問題から、逃げないでほしい。
良いか?Skyline。
お前は、‘狼’ に戻れるんだ。いつだって。
お前はTeusから、初めからそうだった狼であることを、否定されてしまったと感じているのだろう。
だが怪物である状態から脱却するために、人間に希望を求める必要なんて無い。
俺はこれから、お前が、狼であると思えるように、語り掛けるつもりだ。




