428. 巣穴の探査 2
428, Lair Delve 2
“あのう…誰か、いらっしゃいましたでしょうか?”
程なくして、黒く輪郭の無い影が、入り口にぼんやりと映し出される。
決して許しがあるまで境界は踏まぬ。そんな誠実さを、お前はこの期に及んで崩さない。
“…いや、そんなことは無い。”
警戒することは無い。此処には、ずっと、俺一匹だった。
初めから。
“よくぞ参った。”
“お前のことを、待っていたよ。”
何の歓待もしてやれないが。
実りある時間とさせて貰えればと思っている。
“すみません、そしたら、お邪魔しますね!”
“何だか、懐かしいですね。”
天井の様子、足元のごつごつとした模様をしげしげと眺めながら、お前は嬉しそうに尻尾を揺らす。
そうだろうか、こんな所の、何処が良いのかと俺は心の中で呟かずにはいられない。
冷えて固まった溶岩の敷かれた地面は、御世辞にも踏みやすいとも、寝転んで心地よいとも言えない。
ぼろぼろと、毛皮にこびり付く粉塵は、毛皮を震わせても中々に飛び散らないのも厄介だ。
古巣のように、藁を敷いた寝床が用意出来れば、幾らかましな惰眠を貪れただろうが。
生憎、調達する為の散策も、その見返りとして得られるだろう安眠も、余りにも短いものだったのだ。
しかし、今の俺には、此処しかない。そして、数日の仮住まいには十分だ。
俺が鉄の森を抜け、あいつと彼方此方を闊歩して回ったうちの、一つの巣穴に数えてやれるほどに思い出を焚きさえしなければ。
俺は此処に、拘置されているだけ。
こんな島に、思い入れなど、作ってなるものか。
“初めてお会いした頃は、勝手にFenrirさんの洞穴の中へ入るの、遠慮していましたね。”
“それに、僕をお出迎えするときは、いつも入り口の隣のベッドで、眠っていらっしゃった気がします。”
“覚えていますか?あのすべすべな大岩を越える寝床は、中々ありませんよね。”
“ああ…そうだったな。”
…まるで、自分も楽しんだことがあるような、物言いだ。
俺が、席を外している間に、お前も案外、大胆なことをしていたのか。
“此処では、良く眠れましたか?ちょっと、硫黄の臭いがまだ、残っているようですけれど。”
“…仮住まいには、十分だった。”
“どうせ、長くは留まるまい。”
“そうですね。”
“早く…帰りましょう。”
“……。”
“何か、食べたいものは無かったか?”
ほんの少しの沈黙さえ、お前との間では耐えられぬ。
何度か分からない回避策に、俺は早速頼ってしまうのだった。
“えっと…お構いなく、と言いたいところなんですが…”
“何も…無い、ですよね…?”
申し訳なさそうに白目を見せて見上げる表情が、伝えたいことは痛い程わかる。
自分だけでなく、お前の主人もまた同じ危機的状況に瀕しているのだな。
“そうとは、得てして限らない。”
“暫し待て。”
ようやく、腰を降ろさず、落ち着かずにいた理由を見せる時が来たようだ。
俺は洞穴の奥へと身を隠すと、すぐに口の中に咥え込んだ褒賞を、訪問者の前にぼとぼとと転がり落した。
“わあ……!!”
“肉は生憎、持ち合わせていない。だがこいつの処分は…手伝ってくれるな?”
“で、でも…どうして?”
“此処は、リンゴを貯めておけるような場所じゃ、無かったはずなのに…”
“リシャーダのお店屋さんも、食べ物は全部、灰を被って、形も残っていませんでした。”
“確かに、その通りだが…”
俺は腹から乱暴に腰を降ろし、灰の盛土に火を吹きかける。
“俺達の対談を、細やかながらに祝ってくれる輩もいる、と言うことだな。”
“それって…Siriusさん、ですか?”
“おいおい…俺に感謝は、してくれないのか?”
“Siriusさん、ですよね?”
“あの方は、白を切るのが苦手だ。”
“…きちんと礼を言っておけよ。”
“はい、勿論です!”
“あれ、やだなあ…また雨が、降って来ちゃったみたいですよ?”
“心配ないだろう。もう、灰は含まれていない筈だ。飲み水だけは、必ず気を配れよ。”
“あの…帰りは送って行って、くれませんか?”
“お前が背中に乗ってそうしたいのなら、そうするが良い。”
“背中じゃ、濡れちゃって意味ないじゃないですか。”
“では、口に咥えられて、仔狼のように揺すられたいと言うのか?”
“そうです!…みんなが楽しそうに叫んでるの、実はちょっと、羨ましかったんですよね。”
“……まあ、これで最後に、なるかも知れないしな。”
“やった!…実はちょっと、脚の調子が悪かったんですよね。”
“そうなのか。何処か、怪我でも…”
“そうじゃないんですけど。どういう訳が、右後脚の爪の間に挟まった石が取れなくって。”
“ずっと気持ち悪かったんですけど…Fenrirさん、取ってくれません?”
“Teusに取って貰え。俺の爪先は、細かい作業にほとほと向かない。”
“そう仰ると思いました。帰ったら、Teus様の前で、お腹ごろんってします。”
“そうだ、そうやって、べたべたに甘えていろ…”
Skaはあっという間に、4個目のリンゴを平らげ、芯の部分を険しいと言うには余りにも間抜けな顔つきで牙を噛み鳴らしていた。
“大雨の間は、此方に避難されていたのでしょうか?大丈夫でしたか?”
“そうだな、俺が辿り着いた頃はまだ、辺りの溶岩が赤熱していたが…”
“俺からしてみれば、何の問題も無い。毛皮が灰塗れになることの方が、問題なのは、明白だしな。”
“流石は、Fenrirさんですね。”
“でも…”
“何だ。”
“でも、Teus様は、大層心配されていました。”
“リシャーダならば、安全だと言った筈だ。”
“違います…!ずっとFenrirさんの身を、案じられていたんです…”
“それくらい、Teus様と相思相愛のFenrirさんならご存知だったでしょう?”
“どうして、僕の遠吠えにも、応えて下さらなかったんですか?”
“まさか、Fenrirさんに限って、聞こえていなかった、なんてことは無いはずです。”
“…すまない。此方でも、ちょっとした、いざこざがあったのだ。”
“やっぱり…Siriusさんと…?”
“やっぱり、とは、どういう事だ。”
“いえ、別に、大した意味では…”
“ただ、ずっと大雨の間、Siriusさんと一緒に、過ごされていたのかなって。”
それに、何か、問題があるかのような物言いでは無いか。
“そうは言って無いです。”
“ただ、それはTeus様にはお聞かせできないような、会話だった。違いますか?”
“……。”
“生憎だか、我が狼と語らい合うような時間は無かった。”
“お前が此処に辿り着くのが今でなかったなら、話は違っていただろうが。
少なくとも、お前がしていたことは、邪推に過ぎないと弁明しておこう。
…だが、あいつの元へ向かえなかったのは、悪かったと思っている。
もう暫くしたなら、迎えに行くつもりだ。“
“…お前が先に戻ったなら、そう伝えてくれるか。“




