427. 病的な日和見
427. Morbid Opportunism
空は、中々に、明るくなってくれません。
それは、窓に張り付いた灰泥が分厚いからだとばかり思っていましたが。
どうやら、お空も、分厚い灰が、垂れこめてしまっているようです。
思った通り、此処は昼間のはずなのに、ずっと暗い。
太陽の光も、透けないほどに。
Fenrirさんは、冬の雪空のことを、銀の裏地を纏った雲、なんて表現していましたっけ。
その季節だけは、ロマンチックと言いますか、情緒ある言葉選びを楽しむのに。
夏場は、ずっと文句を垂れてばかりでした。
忌々しい暑さで貴方を苦しめた夏も、ようやく終わりそうですね。
少しは、機嫌を直して、Teus様と仲良くしてください。
僕では、寂しい寝室の隣を埋め尽くすことは出来ませんでした。
冬はきっと、自分からくっ付きたがる筈ですよ。
毛玉なんて揶揄は忘れて、また、皆で焚き火を囲むんです。
僕よりもずっと、貴方といる方が、元気を取り戻すんですから。
「変だよなあ…不気味なぐらい、静まり返っちゃって。」
辺りを散策しつつ、雨の止んだ外の様子を、Teus様と窺っているところです。
あらゆる生き物が死に絶えたかのような静けさ。
余りの変貌ぶりに、ショックを受けるかと思ったのですが、Teus様は気丈にも動じずにいて下さいます。
ですので、何も知らなかったなら、こんな不安げな空の下でのお散歩は、寧ろわくわくして尻尾を掲げていたことでしょう。
“Fenrirさんたち、どうしているでしょうか…”
「うーん…Siriusと、安全な場所にいると思いたいけど…」
「こうも、自分たちの無事を知らせる便りも無いと、流石に心配だよね…」
“…そう、ですね…”
僕は、敢えて知らない振りをしました。
どうやら、入り口の前の、灰泥の中に付けられた大きな足跡。Teus様は見逃してしまっていたみたいです。
無理もありません。今のTeus様は、歩みを進めるのに気を使わざるを得ないんだ。
足元ばかりを見ていると、自分が肉球の真ん中に佇んでいることにも、却って気が付かない。
でも、そこからは、嗅ぎなれた群れ仲間の臭いが、雨にも流されず、しっかりと立ち込めているんですよ。
どちらの狼が訪れた痕跡か、それは僕だけが付けられる検討でしょうが。
やっぱり、夢じゃ無かったんだ。
「どう?Ska…行ってこれそう?」
“……。”
そう来ると、思っていました。
勿論、お二方の居場所を探せるのは、僕しかいません。
大荒れの天候の中、河を辿って上流へと向かうのは、一筋縄では行きませんでしたが。
暫くは良好な視界の中で行動できるのであれば、そして、こっそりFenrirさんの秘密を覗きたい後ろめたさも無いなら、お安い御用ですらあります。
僕にしか出来ない仕事は、ますます増えるばかりです。
だから普段であれば、かしこまりました!と、はきはきした吠え声でTeus様の命令を承るのですが。
今回ばかりは、そうも行きません。
「…どうしたの?Ska?」
“もう少し、待ってみるのは、駄目でしょうか…?”
「そんなに、俺を一人にするのは心配?」
皺枯れた顔を此方に向けて、微笑みかけるので、僕はどきっとして、勘違いしそうになります。
“えっ…と…”
Teus様は、ずっと僕のことを撫でて下さいました。
片時も離れず、夜が明けるまで、ずっと。
そこには、僕が恐れていたような、僕の知らない、いや、知らない振りをしたかったTeus様はいなかった。
僕がいなくなっても、僕の知っているTeus様で、いてくれるでしょうか。
そんな、単純な心配だけで、置いて行けません。
“きゅーう…”
僕も、えーっと…お人好し、になってしまったのでしょうか。
「ありがとうね。心配してくれて。」
「正直に言うとね、君がベッドの下に隠れていなかったら、俺はまた悪い夢に中てられて、変な気を起こしてしまっていたかも知れないと思っているんだ。」
“……?”
悪い夢…ですか?
「外から、一切の光も届かず、隔離された部屋の中で、気が狂って行く自分が、ありありと思い浮かんだ。」
「ああ、このままだと、危ないんだなって。冷静に、まずいとだけ、思ってた。…それこそ、夢の中で、これは夢だって、分かっているみたいにね。そして、何度も見たことがあって、結末を知っているような夢。」
「でも、そいつが襲い掛かる前に、君が追っ払ってくれた。」
そう笑うと、右手を耳の間にぽんと置き、ぎこちない動きで屈んでまで、視線を合わせようとします。
「大丈夫、眠らないようにするから。」
「だから、日没までに、戻って来てくれると、嬉しいな。」
“……わかり、ました。”
“必ず、Fenrirさんをお連れして、戻って参ります!!”
「うん、悪いけど、お願いね。」
“ウッフ……!!”
僕はお利口にお座りをすると、何だか懐かしい気分に浸れます。
初めての、それでいて、一番大変だったお遣いのことを思い出すなあ。
“ヘンキャクキゲン!!”
「…何、どうしたの?」
“何でもありません!!”
「あ、そう。なら良いけど…」
「ああ、でも。行く前に、一つ忠告。」
「もしFenrirが、あいつと二匹きりで話をしたそうにしていても、構わず姿を見せるんだよ?」
“え…?”
「空気を読んで、黙って帰って来るのだけは行けない。」
「順番が、あるんだよ。」
「君が先に、会わなくちゃならない。」
そう言う、筋書きなんだ。
「会って、話をしておいで。」




