324. 浸食された渓谷 3
324. Eroded Canyon 3
“何を、したか…だと?”
“我が……”
“彼女に?”
“……。”
喰い殺されるんじゃないか。
本気でそう思った。
随分と長い時間、Siriusさんは次の一言を発さなかった。
言葉を、選んでいるのでしょうか。
或いは、怒りの余りに、汚らわしい悪態の言葉さえ出てこない。
Fenrirさんと同じだった。
じっと獲物の眼を睨みつけて離さない。
唸り声も一切出さない。毛先も逆立たない。
ただ、僕の眼一点を穴の開く程見つめているだけ。
その中心に吸い込まれそうな立ち眩みを覚えた直後でした。
“ふふふっ……くくっ…んクククククッッ…”
“フハハハハハッッ!!”
嘲りの高笑いと共に、黒い影が強風に煽られるように、ゆっさゆさと揺れた。
まるで森のはっぱが、くすぐったいぞと笑うように。
“何を言いだすかと思えば…”
“面白いことを尋ねるものだな、狼の仔よ。”
“我に出来ることなど、甚だ限られておるわ。”
“我を、神様の類に比するものと捉える勿れ。在奴と同じにするでない。”
“もし、我を、神様たらしめる何かがあるとすれば…”
“我は、そう。死を齎すだけだ。”
“仮に神様であったとして、死神であるに過ぎぬ。違うかね?”
“しかし、そうは言っても、我がいつも、誰かの寿命を奪って生き永らえているなどと思うなよ。小童。”
“我は、オ嬢から、結果として余生を奪ったが…”
“あれは、そういう契約であった。”
“……。”
“わかっています。”
全ては、Freyaさんが、自ら選んだこと。
彼女自身が、Teus様とFenrirさんの為に与えた余命。
その為にSiriusは、僕の可愛い末子は、
貴方を影に縫い付けることを認めたんだ。
“そうか、分かっているか。ならば、話は幾分早い。”
“ふふっ…無粋だった。これはこれは、失敬した。”
“……?”
“ならば聞こう。”
“我が、我が妻に何をしたと考えているのかね?”
“……。”
“妻、ですって?”
挑発に、乗っちゃ駄目だ。
落ち着き払って、Fenrirさんみたいに。
“そうだ。主は、我の仕業にしたくて堪らないようだ。”
“しかし我は、決して彼女の寿命を縮めない。それを主は分かっていると言った。”
“彼女を、何か不思議な力で洗脳したとでも、本気で訝しんでおるのかね?”
“それとも、我の美しい毛皮と、王たる立ち振る舞いに魅せられ、不憫で矮小なる主を捨て去り、あっという間に見初めてしまったと?”
“貴方の過去に、何があったか。僕は知りませんっ!!”
“Fenrirさんは、決して教えてくれなかった!!”
“だろうな、我は在奴に流るる血肉に、伝え聞かせておらぬ。”
“……っ?”
“そして主には、決して関係の無い話だ。”
“でもっ……でもっ!!”
“でもぉっ……”
“……。”
“うぅっ……ぅぅぅぅっ……”
これは、僕の独り言のつもりだった。
誰にも、言う必要の無い言葉だった。
“Yonahが何処へ行こうと、僕は、僕は気にしませんっ……”
“それが、Yonahの、大好きなYonahが望むことなんだったら、僕は……”
“僕はそれで良いっ、貴方の元へ向かいたいなら、喜んで見送って上げるつもりだ…”
“僕よりも、強くて、皆を護れる、かっこいい狼の元へ……Yonahが行きたいなら!!”
“その名を口にするでない、耳障りだ…”
“Yonahを僕が一番幸せにできるなんて思ってないっ!!”
“聞こえなかったか?主よ…”
“でも僕が一番愛している狼はYonahだっ!!”
“それはあなたにだって変えられないっ!!”
“喩え、どれだけ時代が巡ろうとっ!!”
“物語が繰り返されようとっ!”
“僕が散ろうとっ!!”
“……すみません。”
“僕、感じるんです。彼女が、心の底で、ずっと戸惑っていること。”
“Yonahは、本当に貴方に逢えるのを待っていた。”
“ずっと、ずっと、Siriusさんが、やって来るのを待っていた。”
“すぐそばに、いる。寂しくないよと。”
“長老様は、そう願って僕の息子の一匹に…”
“黙れ…”
“偉大なるヴァン族の長、ゴルト…”
“軽々しく我の前でっ……”
“ダイラス・ルインフィールド様はぁぁぁぁぁっっっ!!”
“Yonahを沢山の狼が愛してくれるよう、そんな名前を授けたんだっっっ!!”
“やめろぉぉぉぉっっっーーーーー!!”
“貴方がやって来てくれて本当に良かった!!長老様はずっと、待っていたから!!”
“あなたが!!やって来てくれるのを!!”
“グルルルルゥゥゥゥァァァァアアアアアアアアアッ!!!!!!”
“はぁっ……はぁっ…はぁっ……”
“僕は、貴方たちの愛に、お邪魔してしまいましたか?”
“……?”
“でも、もう耐えられ無いんです。”
“僕じゃあ、もう誰も、救えない。”
“それがもどかしくて、辛くて、”
“僕自身が、毛皮を剥いで、彼女に植え付けられたら良いのに。”
“そう思ってしまうほど…彼女は寒さに凍えていた。“
“僕だけが、仲間外れ。
再びこの世界に巡って来た、狼の物語。
やっと、やり直せるのに。“
“そんな世界の真ん中に、僕はうっかり産まれてしまったのですか?”
“そうだとしたら。”
“繰り返す様なおとぎ話の、一ページに過ぎないのなら。”
“僕は…誰だったのでしょうか。”
”僕だけが、ぽつんと浮いて、一匹ぼっちだ。“




