317. Helena
315. What's the worst you take from every heart you break?
“…ヨウヤク、首魁ノオ出マシカ。”
アース神族の誇る主神の介入に対してさえ、大狼は怯えた様子を見せなかった。
それどころか、彼の本能に従い、ご機嫌に尾を膨らませて、不敵に笑う。
“コレデ、我ヲ縛ッタツモリカ?”
“当座逃レニ参ッタカ、コレハ随分臆病ナ介入デアルコトダ。”
“我ノ前ニ、姿ヲ現スコトヲ躊躇ッテイルノガ、ソノ証左デハ無イノカネ。”
“或イハ、コレハ警告デ在リ…”
“我ニ、慈悲ヲ与エルツモリカ?”
虚勢か?いや、違う。
そのニタニタ笑い。眉間を貫く大剣さえ、さして気に留めていないようであった。
鼻先を焼き付けたTorの大槌さえも、今の彼に悲鳴を上げさせるには至らないだろう。
もし、自分がこの大狼と対峙していたらと思うと、心底ぞっとする。
Garmが、不死身であることを疑わなかったこと、今になって、愚かであったと思い知らされた。
この狼が、合一した主の本質に、毛ほども違いなどありはしなかったらしい。
だからあの時、違いがあったとすれば、それは神様であったか、それとも狼であったか。
それだけが、俺達を交らわせたのだと思う。
“フッ……”
刃に記されたルーン文字が、読み取れない形に並び替えられた鎖の文様が、
急速に褪せていく。
解呪に対抗せんと、中心へ送り込まれる錆びた光が、脈々と文字を照らす様は、杭に打たれた心臓だった。
だが、四肢に嵌められた枷は、共振したように震えている。
あと少し、力を込めて唸れば、鎖の輪は、びんと弾けて千切れそうだ。
「…そう、その場凌ぎで良い。」
朗々と、何処からともなく、天より響いていることだけが分るその声は、大狼に向って第一にその事実を認めた。
「いや、それさえ無謀であること、百も承知である。」
「しかし、数秒でも足止めができれば、十分であると考えたまでだ。」
「仮初の鉄格子であっても、それで我が子から牙を遠ざけることが叶うなら、安いもの。」
「…違うかね?」
“……。”
今の大狼は、恐らく誇張なく、Odinに匹敵する。
しかし、その全能の力を得た彼にさえ、
敗北を悟るものがあった。
“…ソノヨウダ。”
そう。
彼女の終わりが、近い。
“内心、ホットシテイルノカイ?”
“…オ嬢ヨ。”
すう……
大狼が纏っていた、周囲の激冬が、和らいだ。
その隙を見逃すまいと、光を強めた拘束具と、大剣であったが、
ガチャン……
もう、Doromi同然の屑物と、Loejingr以下の錆物に成り下がっている。
「父上が…」
「議会が、どのように判断なさるか……実に、楽しみだよ…」
大狼は、捨て台詞を呻く雑巾のような半死の神を、蔑んだ眼差しで見つめる。
“ソノ負傷兵ノ命、キット取リ留メテヤレ。”
“モシ、我々ノ元ヘト送リ込マレルヨウナコトガアレバ、必ズヤ、ニヴルヘイムヘ送ッテヤル。”
“オ嬢ノ世界ヲ穢ス怪物ガ、一匹残ラズ休ラカニ眠ル場所ハ無イ。”
“…覚エテオクコトダ。”
「…また、会えるかい。」
“…アア。”
“アノ世ヘ至レタナラ、喰ラッテヤルトモ。”
“サア、オ嬢!待チ遠シカッタ。ヤット主ヲ、背中ニ乗セラレル。”
“サゾカシ、疲レタダロウ。我ノ毛皮ニ揺スラレ、ユックリ眠ルガ良イ。”
“主トノ帰リ道、我ハ少シデモコノヒト時ガ長クアリタイト願ッテ歩イタモノダ。”
“ダカラ寄リ道ダッテ、シテヤッテモ良イ。”
“……ダカラ、同胞ヲ、彼ラノ故郷ヘ。”
“主ノ故郷ヘ…ヴァナヘイムへ。”
“送ッテ行ッテヤル。”
“ダカラ……”
“主ヨリ、初メヨ”
「……。」
「アウゥォォォォォォオォーーーーーーー……」
呼応の合唱は、
夜明の光を取り戻した遥か東岸より。
時間の琥珀から解き放たれた群れ仲間たちが、
“ウォォォーーーン……”
“アウゥォォォォォォオォーーーーウォォォーーーンーー”
“……ゥォォォーウォォォーーーン……”
嘗ての群れの長の帰還に、加わって行く。
俺も、俺も…
謳わなくちゃ。応えなくちゃ。
でも、喉が開かない。
夢の中のよう、本能を忘れた仔狼のように。
「……。」
“フフッ、アノ老イ耄レヨリモ、遥カニ美シク謳ウ。”
“デハ、参ルトシヨウカ。”
「待っでぇ…我がぁ…おおかみぃっ…」
「置いて…か…ないでぇっ…!!」
「やだぁっ…!!い゛やだぁ、い゛っちゃ…!!」
「俺もっ…俺もい゛ぎますっ……!!」
「も゛うっ…一匹はっ…いやだぁっ…!!」
「ふぇん゛りるぅっー…!」
「う゛う゛っ…うぅ……」
“……。”
“サア皆、帰ルゾ。”
「ねえ、パパ。」
「少しだけ、待って貰えないかしら?」
「……帰りたくないのでは無いの。もう貴方を困らせるようなことは、しないわ。」
「でも、私の我が儘を、一つだけ聞いて欲しいの。」
「私…最期に…」
「私を愛してくれた人に、」
「最期に、抱きしめさせてと。」
「お別れを言って来たいのです。」
“……。”
“オ嬢…ソナタノ頼ミナド、一回ト言ワズ、コレカラ幾ラデモ聞イテヤルサ。”
“オ迎エダッテ、本音ヲ言エバ…”
“今ジャナクタッテ。”
“オ嬢…ドウシテ、”
“我ガ…コノ役目ヲ……?”
「泣かないで…?Fenrir。」
「いいの。」
「これは、私が望んだ最期だから。」
「ちゃんと、役目通り。次に繋いで上げられたと思っています。」
“アア……”
“最期マデ、全テヲ、”
“主ハ、全テヲ与エ尽クシテシマッタナ。”
“デモ、コレカラハ、我ラガ主ニ、返ス番ダ。”
“皆、ソレヲ望ンデイルヨ。”
「ありがとう……うれしい。」
「…すぐ、戻るわ。」
「これで、ルインフィールド家の血は途絶えます。」
「そして、此処では生きられない私は、泡となって消える。」
「この世の果てで、またお会いしましょう。」
「だから」
「だから今は、笑って?」
「さようなら。」
「テュールさん。」




