315. 死の影 2
315. 13/13 2
それが、我が狼の見せた姿だった。
間もない夜明けの、静かに吹雪く、心地よい青の世界での一場面である。
竜巻の目だけが、その中心で荒れ狂っていた。
びゅうぅ、ごう、ごうと。
彼女が一歩、正しく迷い無き足取りで、Torへ向かって近づくたびに
周囲の空気が青白く燃えては巻き上がり、狼の毛皮を彩る氷となって張り付く。
Freyaの身体は、吹雪に時折掻き消され、
鼻面に醜く皺を寄せた狼の形相が乱れて混じる。
それが、権現だ。
俺が、Fenrir自身と混ざり合ったように。
我が狼が、Garmに希望を託したように
今や、女神は、死神となった。
「そ…ん、な…」
口元には、その契約の印に、
2匹の怪物を瀕死に追いやった、あの狼殺しの大剣が咥えられている。
それで、何を為さるおつもりですか。
“…平伏セ。”
狼の言葉で、そう唸ると、大狼は天高く四肢を蹴って飛び上がる。
「……!?」
彼は、私に代わっての仕返しであると言わんばかりに、
雷神の御業をその場で披露なさったのだ。
ガキンッ
御神渡りだ。
凍り付いた地面を、半回転して切り付けた刃が切り開くと、
割れた氷塊どうしが隆起し合ってせり上がる。
バキキキキキキンッッ……!!!
それが起点となって、次々に崩壊する亀裂が、まっすぐとは言い難い道を辿り、Torへ向かって進んでいくのだ。
「なっ……!!」
応じてやらんと左手で負傷した右手首を掴み、高々と振り上げたミニョルミルだったが、様子が些かおかしい。
Torの引き攣った表情が、震える瞼が、対抗策を持ち合わせていない手札を晒すように、険しい。
立膝の姿勢から、浮遊により力を溜めるだけの余裕が残されていない。
そして、それ以上に、
構えの姿勢に移行するだけの気概に欠けている。
反撃の眼は、もう無い。
「……。」
戦士であるにも拘わらす、あろうことか、彼は、刺し違えたつもりでいたのだ。
絶望の色が、今までの誰よりも濃い。
全力を振り絞って、ようやく捻じ伏せたかに思えたラスボス。
Tor自身も、身を削っての力の解放であったはずが。
こうも容易く、第2形態に移行されては、戦意を削がれるのも無理はない。
それが喩え、俺が味わった一瞬よりも儚い絶頂であったとしても。
見る者には、あの狼が完全に見える。
もう、彼女より長く、生き永らえる希望を見出せない。
ガガガアガガガガガガアガアアッッッ!!
光の亀裂と、氷棘の猛進が、激突する。
しかし、両者の勢いが止まり、拮抗する様な鍔迫り合いは無かった。
呆気なく、一方が輝きを失い、青白い濁流に呑み込まれていく。
「がぁぅっ……!!」
Torの身体は、氷上を弄ばれる粉雪のように、舞い上がった。
“主ヨ、3度ダ。”
ガキンッ……ミシッ…
ズガガガガガガッ……!!
「うぅっ……!!」
“ソレガ、我ノ力ヲ推シ量ル為ニ、主ニ与エテヤル猶予ダ。”
宣告の唸りが聞こえ、
小枝より脆い左腕をだらりと垂らし、はっと顔を上げる。
「うぅっ……」
Torは、がぶりと自らの焼け焦がれた手首に噛みつくと、従者を嗤って震える鎚を眼前に引き寄せる。
「……。」
それは、振り下ろすと表現するには程遠く、
額を打ち付けて、首を垂れる乞いに等しかった。
「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁっーーーーーーーーーーーー!!」
ドチャァッ……
「あ゛あ゛っ……あ゛あ゛ぅぅ……ぐぶっ……」
「げほっ……ぼぇぇっ……ぐっ……」
「はぁっ…あぁっ…うぁぁっ…」
ガチャンッ……
ドゴゴゴゴゴゴゴ……
「……!!」
我が狼は、3発目に、手加減をしなかった。
それが、慈悲を与えることにならないと、知っていたからだ。
仔狼に玩ばれる、リスの死体のように。
ぽーんと宙へ投げ出される。
グチャッ…
彼は実際、叫び声の類を漏らさなかった。
「……。」
晴れぬ雪煙の合間に、
観客席の足元に打ち付けられ、だらりと四肢を伸ばしている姿があった。
“ソノ手ニ、武器ヲ焼キ付ケテクレテ、助カッタ。”
“ソレヲ手放スコトガ無イノダ。”
“主ハ、キット、オ嬢ガ迎エズニ済ム。”




