315. 死の影
315. 13/13
息を潜めて見護る観客の、その一等席で、
跪いたまま
顔を伏せたまま、ぶるぶると震えるその両手に、祈りを捧げている。
掌を合わせるのでなく、血が滲む程にきつく、指を組み合わせ。
「持ってくれ。もう少しだけ、もう少しだけ…」
あの時、死神に言い渡された通りに、
彼女の最期を見届けようとしていた。
執行猶予は終わり。
…ねえ、Freya。
君が、こんな契約に署名をしなければ。
寿命を、縮めなければ。
あと、何日、俺達は一緒に過ごせたのかなあ?
一か月?一週間?…それとも、三日?
分からないけれど、今日が、最後の日では無かったはずだ。
終わりに向って、より一層激しく燃える君の命。
どうして、君のお願いを、聞いてしまったんだろう。
勿論、断れるわけなんか無いよ。
君の意志を尊重するなんて、聞こえは良いかもしれない。
正直…寝たきりで、ちっとも目を醒まさない君の看病は、辛いなんてものでは無かった。
自分の身体が、言うことを聞かない以上に、無力さに打ち拉がれていた。
ずっと、どうしてこんなことに、って。
ずっと、ずっと、頭の中で、ぐるぐると。
暗がりを打ち消すことのできる思い出を、ありったけ、記憶の濁流から。
これでもかって、もう呆けた老人のように繰り返し。
擦り切れて、色が消えるまで。
眠っている君に話しかけた。
それが、もっと自分を惨めにするとは知らずに。
俺は、自信を以て、君と過ごした時間を語れない。
多分、今まで過ごした二千年と数百の中で、輝いていたのは、
この一年余りぐらいでしかない。
だから、あっという間に、尽きた。
馬鹿だ。これからもっと、埋め合わせるつもりだったなんて。
本当なんだ。
信じてくれ、Freya。
俺は、この物語を、終わらせたくなんかなかった。
それがどれだけ、苦しい行間に満ち満ちていたとしても。
君の一生が、一秒でも、長くあって欲しいと、本気で願っている。
空虚で自堕落な後語りで引き延ばすくらいなら、
華々しく、美しく、そして勇ましい最期を。
そんな銃口が、自分以外の誰かに、
そして、よりによって君に、
向けられるとは思わなかった。
君が望む最期が、俺によって、肯定されないなんてことが、あって良いはずが無い。
でも…
“ア゛ア゛ッ…”
でも……
“ヴゥッ…ウゥゥゥゥゥッ……”
もう駄目だよ。Freya。
耐えられ無い。
見ていられない、無理だ。
見届けるなんて。
「頑張らなくて良いから…」
「ふれぁぁっ……」
「もう、やめてくれっ…」
「お願いだから。」
「やめてくれえええええええええええええっっっーーーー!!」
その蝋燭の造る影は、その灯りが乏しくなる程高く伸びる。
燃え尽きるまで。
“アウォォォォォオオオオオオオオオーーーーーーーーー……”
Garmの遠吠えが、頭上で轟々と鳴り響く。
耳障りな高音の乱れに、仰け反った首が、がくがくと震えているのが分る。
ちっとも、美しくなんか無かった。
でも、恐る恐る見上げたその先に広がる景色は。
「Fre……ya?」
多分、俺が、求めていた彼女だったのに違いない。
心の中で、ずっと。
多分これが、俺が一番見たかったんだ。
きっと、肉体から解放された君が。
どうしてかな。
俺は、今の君を見て見ぬふりをしていたんだろうか。
なんて、図々しいんだろうと思う。
きれいごとを言えば、盛り、なんて、現在進行形で。
一瞬一秒を君と重ねる度に、君は美しく、自分のことを色盲に魅了していて欲しかったのに。
これからも、君のことを思い浮かべる時に。
真っ先に目の前に現れる姿は、
きっとこれなんだ。
その透き通るような肌が、不安になるくらい好きだ。
少しは、日に当ててあげた方が良い、なんて、外に誘って。
今になって考えてみれば、なんて下手な口説きだっただろう。
良く考えてみれば、その眼の色、Fenrirにそっくりじゃないか。
彼は頻りに、青色のそれが、欲しかったと憧れを零していたっけ。
髪色は、ずっと変わらないね。
俺のくすんだ瞳の中でも、それだけは、変わらなかった。
撫でてあげるような大胆さを覚えたのは、つい最近のこと。
ああ、ああ。
まるで、夢みたい。
切り取られた絵画では無く、
瞼の裏に焼き付けた思い出でも無く、
ずっとただ、そこにずっと在り続ける、貴女が。
魂の解放が、
どうか貴女にとって、最高の瞬間の味わいでありますように。




