313. 勇者のくせに 2
313. What did I do to deserve this 2
黄金砕き。
怪物退治に特効があると評判だった、
お得意の範囲攻撃は、あっけなく封じられた。
巨体によって僅かにうねった地平は、彼から英雄的殴打の技を奪う。
しかしその程度で、絶望させられたと思うな。
Torが紺青のマントの代わりに羽織った覇気が、
周囲に立ち込めた霜の冷気を打ち消し、湯煙へ変える。
孤軍とさせられたあの勇ましい兵士は、誰に向けて怒り、何に対して猛っているのだろう。
きっと当の本人にさえ分からない。
嘗ては、知っていた、見出せていたのかもしれないが。
そんなもの、疾うの昔に忘れてしまった。
だが、主が闘う理由とやらは、きっと肯定されるよ。
それが、死に至るまでの、生きる道であると言うのなら。
楽園への追放、それこそ、オ嬢の露払いを任せられた俺の為すべきことだから。
どうか、女神の加護を失ったその世界で、
主が彼女と出会うことの無いよう。
Torは、左脚を大きく踏み出し、大狼に向って険しい表情をがばりと上げると。
「はぁぁぁぁぁっ…!!」
“……っ?”
雷鎚を、宙に向って、放り投げたのだ。
重心に振り回された柄が、不規則な孤を描いて、大狼に向って行く。
武器を投げ出す。
それの意味するところは、
投了、か?
いや、違う。
“下ガッテイロ、オ嬢。”
彼は、全速力で、真っ直ぐに向かって走った。
少しでも、両腕の空いた距離を稼ぐつもりだろうか。
Teusよりも屈強な筋肉を纏っているにも拘わらず、大した瞬発力だ。
地道な鍛錬を積んだ人間の動きとは、本来このようなものなのかも知れないと思った。
とても、平生から緩慢な動きで狼と触れあう彼とは、比べ物にならない。
あいつが、運だけで戦場を生き残って来たというのも、甚だ疑問だ。
だが、彼は目を見張るような俊敏さを披露している訳では無い。
大狼が、黙ってその接近を許し、しかし瞬きすることなく見守っている程度には。
「っらあっ……!!」
高々と右腕を掲げ、Torが雷鎚を受け取る。
そして、次の踏み込みに、彼はその掛け声を合わせて大きく飛び上がった。
重力に抗うような跳躍に、彼もまた、元来は天を司る神であったことを容易に想像させる。
迫ったのだ、大狼の顔面まで。
しかし…それで、何だと言うのだ…?
我が狼が、素直に大口を開き、勇者が飛び込んで来るのを待つ筈も無い。
一歩退いて、Torから距離を取ると、振り下ろす前脚で応戦する。
この、猫がじゃれるようなサイズ差。
勇者相手に、怪物も手を焼いているのが見て取れる。
「ふんぬっっ!!」
ガキンッ……
当然、致命傷とならない威力の鉤爪で切り付けられ、あっけなく終わるかに思えた。が、
バチチィィッ…!!
「ぐぁぁっ!!」
“チィッ……”
身体がバウンスするほどの勢いで叩きつけられ、地面に転がるTorに対し、
大狼も、追撃の爪先を反射的に引っ込める。
何だ…今の……弾けるような衝撃は。
神具の大鎚が、黄金がくすんで、黄昏色味を帯びている。
“……。”
“オ前ノ制御無シデハ、容易ク暴走スルラシイナ。ソイツ。”
“握ッテイラレルノハ、ソノ鉄ノ籠手ノオ陰カ?”
Torは怯むことなく、すぐさま四つん這いから立ち上がる。
「まだまだぁっ!!」
“ソイツニ、触レナイニ越シタコトハナイ、カ。”
タンッ…
「っ!?」
「ど、どこだっ…?」
“確カニ、貴様ニハソノ闘志ヲ宿シ続ケテ貰イタイモノダガ。”
“…カト言ッテ主ノオ遊ビニ付キ合ウ気ハ無イノダ。”
何度、その躯体からは想像もつかぬ挙動に、翻弄されたことか。
俺の動体視力でも、追い付けない。
彼は再び、宙を舞っていた。
“踏ミ潰シテクレルッ!!”
「……っ!?」
あの狼の、顔を見てはならない。
鼻先を背けた方向へ、駆け出すように、容易く騙される。
足元だ、もっと言えば、全身が繰り出す瞬発の方向を見抜かなくては、彼の裏を書くような戦術は成り立たないと思った方が良い。
仮に、予測が成り立ったとしても、
そうだ。その眼にもとまらぬ、俊足。
「ぐっ……」
彼は直感で緊急回避をやってのけるも。
次の瞬間には、Torの背後から爪を忍ばせていた。
バンッ……!!
地面への叩きつけも、自分の周囲だけに発生させるだけの防護魔法としてなら、まだ使い道がある。
「はぁっ…はぁっ……」
しかし一発の持続時間は、それ程でもない。
振り返ったすぐ目の前には、大狼の大口が彼を飲み込まんと迫っていた。
“ウガアアァァッーッ!!”
「っ……!!」
ローリングで抜け出せるほど、開かれた狼の口は小さくない。
ハンマーも、たった今、地面から鎚が持ち上がったばかりの体勢だ。
詰みの一手を察するのに、十分だった。
にも拘らず、彼はまたしても、黄金迸る雷鎚を手放すのだ。
「お゛あ゛あ゛あ゛゛―――――っっっ!!」
そう、素手で。
鼻面に向って、ぶっ放す。
“ヴッ……??”
思わぬ威力に、大狼は大きく目を見開く。
艶のあるこげ茶の鼻に、ぐにゃりと皺が寄って、色の無い血が飛散する。
そしてそのまま、全体重を押し込んだ大狼と共に流されて行く。
「う゛う゛っ…うあ゛あ゛あ゛―――――っ!!」
背中で数メートルを滑り、最後には、がくりと頭を地面に横たえる。
「はぁっ…はぁっ…あぁっ…」
“ブッ…”
血反吐を吐くと、大狼は何が起こったかを理解する為に、全身の毛皮を静止させて注視した。
“……。”
“ナルホド…大シタ怪力ダ。”
“概シテ主ハ、巨人狩リノ専門家、トイウ訳カネ…?”
“簡単ニ捻リ潰セルカト思ッタガ、トンダ誤算ダッタラシイ。”
Torは、豪胆に笑い立ち上がった。
「ふははっ…制空権は、譲ってやる。」
「だが人間は、喰い慣れていないようだ。」
「とはいえ、次に手合わせする頃まで、このように拮抗していられるものか…」
「なあ、我が友よ。」
「……。」
「俺は、お前のようには、行かないようだよ。」
「だからこそ…今、此処でやるっ…!!」
「一発、一発でも当てさえすれば…」
「それで、耐えられ無かった者はいない。」
「其処に伏した貴様の現身は、これを棘鞭か何かのように思っているようだが。」
「アース神族が誇る戦士の膂力は、こんなものでは無い。」
「……。」
「…まさか、此処で外すことになろうとはな。」
Torは、俺とSiriusを退治し終えた時に一度外した鉄の手袋を外し、
それから、もう一度、素手で地面に落した鎚を拾い上げる。
ジュウゥゥゥッ……
「…っ…」
「う゛う゛っ……」
“……ッ!?”
持ち手から、煙が上がった。
焼け付いているのだ。
「……。」
「これで、もう手放さない。」
そして、刻まれたルーン文字が放つ光は、今や黄金とはかけ離れ、
血染めの月が如く、脈々と波打っている。
「たった今、こいつは、飼い主を失った。」
「お前を屠るまで、我がミニョルニルは、力を増し、暴走を続けるだろう。」




