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【続編連載中】Wolfhound(ウルフハウンド) ー神話に殺された狼のやりなおし  作者: 灰皮 (Haigawa Lobo)
第6章 ー古き神々への拘束編
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311. おおきなしっぽの、ちいさなぼうけん 5

311. A big tail's little adventure 5 


「ここはパパよりおっきい木、いっぱいあるのね!」


「うむ。原始林はいつだって、我でさえも受け入れる度量を湛えておるのだ。」


その言葉の意味を、主が理解するとは思わなかったが、実際、我が歩いていて心地の良い散歩道を気に入って貰えたようで何よりだ。


「ねえ、このはっぱ、一枚持ち帰っても、良いかしら…?」


「そうするが良い。我の背中から、届きそうかね?」


「ええ、動かないで…」


裸足の小さな二本足が、我の耳の間でよろめく。


「ぱぱ、もうちょっと、背伸びできる?」


「ふふっ……どれ、やってみよう…」



実に、胸躍るひと時であった。


目を向けてはくれないかと期待した、あらゆる趣向に、其方は共感を示し、

我は主を喜ばせる術を心得ておったのだと内心でほくそ笑む。


これは、そういうツアーであるのだ。

出来る限り、主に語り聞かせて来た世界に、寄せたつもりである。

しかし主が道中で目にしたもの、耳にしたものは、

主が一人で出歩けぬほどの恐ろしさも孕んでおりながらも、

我が伝えたかった世界の素晴らしさとか、美しさとか、

そうしたフィルターを取り払った、ありのままである。


どうか、その心に、焼き付け給えよ。


嘘で塗り固めた、外の世界へ

ようこそ、お嬢様。


「パパ。私、やっぱり歩きたいわ。降りちゃだめ?」


「それは、ならぬぞ、主よ。」


どれだけ可愛い主の願いであろうと、聞き入れられぬことだってある。

普段は、聞き分けのある仔であると、我は知っておるのだ。


ほら、もう眉間の滑り台を降りようとするな。

我は、そうはさせぬぞと天を仰ぎ、両目の狭間より先へと進ませぬよう対抗する。


「不用意に出歩いてから、危険であると思い知るのでは、遅いのだ。」


「じゃあ、パパだって、危ないわっ!」


「だから、一匹で歩いておった。…今まではな。」


「でも、誰もいないわ。」


「我を畏れて、姿を見せぬだけよ。しかし、一度其方の臭いを嗅ぎつければ、奴らは忽ち我らを取り囲み…」


また始まった、いつものお説教が。

主はそうとでも言いたげに、毛皮を掴んで引っ張叩く。


「でも、パパが護ってくれるわ、それなら安心よ?」


「奴らは狡猾に、可愛い主を標的に据えるであろうぞ。我が手間取るだけの数を囮に注ぎ込み、一瞬の隙を突いて、主を攫うのだ。一度首根を咥えられてしまえば、救い出せるか…」


「怖いオオカミなんて、嘘よ!」


「本当は、居ないんだわ。そうでしょ?」


「……。」


「外に出る時は、我の言うことを、ちゃんと聞いて良い仔にする。そういう約束であったであろう?」


「パパから、離れたりなんかしないから。」


「じゃあ、パパの脚の内から出ないわ、それでもだめ?」


「だって、よく見えないんだもの。これじゃあ、雲の上を歩いているみたい…」


「ううむ、それもそうか…」


主を満足させなくては、このお出かけは、当初の目的に沿わず、何の意味も齎さない。

此処で、未練を残させる方が、問題であるのだ。


仔狼は、野心を容易く実行へ移す。

気を許した隙に、一人であの街を抜け出し、冒険に繰り出す勇敢さを、我は咎めとう無い。


「仕方ない…少しでも、言いつけを護られておらぬのなら、また拾い上げて背中に乗せるぞ。」


「やったーっ!!」


「ぱぱっ、早くっ!早くっっ!!」


「ああ、分かった、分かった。」


甘やかす父親を咎めてくれる妻が、我の傍らにいてくれたなら。


「今、地に伏せてやろう。お嬢様…」




――――――――――――――――――――――




眠ってしまった主の身体は、どうしてか、絶えず話しかけてくれる存在よりも軽やかに感じられるのだ。


ともすれば、我は其方をうっかりと取り落としてしまったかと不安に駆られ、少し身体を揺さぶって、毛皮に埋もれたその重みを確かめる始末である程に。


しかし、これで良かったのだ。

眠気と健気に戦う其方の姿は、可愛いことこの上なかったが、

我の呼びかけに反応しなくなってしまったことで、我が勝利は確約された。


随分と粘られたものだが、遊び疲れた主は、温かでふかふかな毛皮の中で心地よく揺すられ、ようやくと眠りに堕ちたのだ。

内心、ほっと胸を撫でおろして居る。

もっと遊びたい。そう駄々を捏ねる主を説き伏せる術を我は知らぬから。



主は、いつも通り、半壊の故郷の一室で目を醒ますであろう。

全て、夢であったかのように、感じられるやも知れぬな。

しかし、その小さな掌の内に握られた宝物の品々は、まさしく主が自然より勝ち取った戦利品であるのだ。

それを誇って、気まぐれに興が醒めるまで、大事にするが良い。


次の瞬間、見渡す限りに、主の眼に映るのは、我だけで良い。

それが、主を檻の内に閉じ込めることと、半ば同義であったとしても。

今は未だ、外の世界を知って欲しくは無いのだ。


「さあ、着いたぞ。主よ…」


森を抜けると、開けた平野が水平まで墜ちた夕焼けに照らされ、逆光に燃えているようだ。

揺らぐ地平の先に、狼の帰りを待ち惚けている人影が佇んでいるような気がして、

我は思わず立ち止まり、目を細めて、その様子を窺ってしまう。


「ああ、其方との遊びに夢中になって、今日の食料を調達し損ねてしまった…」


「しかし、心配はいらぬ。街の外れに、蓄えを用意しておるからな。」


「主が、空腹であると感じることは、これからも一度だって無いのだ。」


目覚めれば、主は立ち並ぶご馳走の臭いで、腹を空かせていると知る。それで良い。


「だからそれまで、ぐっすりと眠る、と…」




「……?」




それは胸が、ぎゅうと痛む違和感であった。


何が起こっているのかを理解するには、余りにも幸せな追憶に深く溺れ過ぎた。


しかし我は、この絶望を知っておる。


耐え難く、身を焼く後悔だ。



「…な、…に……!?」



地面に鼻先を擦り付け、我が縄張りに巻いた臭いを搔き集めたい衝動に駆られるも、

危うく其方の存在を思い出し、首を垂れる所作を踏みとどまる。



帰り道に迷う狼など、なんと愚かしいことか。

ましてや、幾度となく、辿って来た獣道であると言うに。

これでは、狼どころか、獣としての地位さえ、危ういところであるぞ。



「そ、んな……」



それが、我の恐れた、主の奇跡の残滓であった。


余りにも唐突であった。


しかしもう、何処にも、主と暮らしたいと願った土地は無かった。

跡形も無く、我らの前から、姿を消したのだ。


行先の目星さえ、見当がつかぬ。

手掛かりを、そいつが残しているとは到底思えない。

ひょっとすると、ずっと、帰るべき場所を求め、

我を出し抜く瞬間を、虎視眈々と狙っていたのやも知れぬ。



“済まない…”


“しかし、これで良かったのやも知れぬ。”


“今なら、家路に着くことが出来そうだ。”


“それぞれが、帰るべき道だ。”



半壊の王国は潰え、それは彼女を人間に保っておく拠り所を失ったことを意味する。

もう我では、お嬢を、人間に止めておくことが出来ぬのだ。


このままでは、其方は、狼になってしまう。

それだけは、



…それだけは。




“そうは思わぬか、主よ。”







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