311. おおきなしっぽの、ちいさなぼうけん 4
311. A big tail's little adventure 4
「パパーっ!!」
疾うの昔に我の図体など、其方の瞳に映っていよう。
それなのに、主は我の元へと駆けだしても受け止めて貰えそうな距離を、頃合いを、そうやっていじらしく見計らう。
我もまた、打算的であったのだ。
主が、的外れにふらりと街はずれの様子を窺おうとすれば、そちらと反対側から戻るのを止めてでも、其方の出迎えを欲しがったのだ。
「お嬢よ、あれほど言ったであろう…!」
「…街から、一人で勝手に出歩いてはならぬと。」
第一声に諫めようとするのを、止めないか。
そう己を諫めても、ついつい、其方を想う余りに口を突いて出る。
「おかえりっ!ぱぱーっ!!」
「ああ……ただいま。」
鼻面に抱き着く主の温もりに、目を瞑って、
それが出来るのは、其方が狼で無いことの証をしみじみと享受する。
ああ。頼むから、パパ、などと呼ぶのは止めて貰えないだろうか。
心の内で、そう呟きながらも。
じゃあ、貴方は誰なの?
主がそう無垢に唱えるのが怖くて、
我は、狡猾に羊の皮を被るのだ。
「わたし、ちゃんと良い仔にしてたわ。」
「おするばん、出来てたでしょ?」
「おるすばん、だ。お嬢。」
頬を舌先でそっと触れ、人間の言葉を正しく授けようなどとする自分の愚かしさに笑みが零れる。
「しかし、そうだな。よく出来ておったと思うぞ。凄いな、お嬢は。」
「…寂しくは、無かったか?」
「もうずっと、何処かに行っちゃ嫌!!」
「……それは、困ったな。」
戯れに受け流すには、ちと厳しい願いであるようだ。
「どうかお嬢よ、我の言いつけを胸に定めてはくれぬか?」
夕暮れに背を向け、寒風が彼女を攫わぬよう、耳の間の毛皮に座らせる褒美を申し出たが、
其方は我の小言を鋭敏に感じ、それを断り一人で歩けると言い張った。
それで良かろう。我らは並んで嫌に伸びた影を追い、家路を辿る。
ようやく春らしさを感じられたかに思えたが、杞憂であったらしい。
「外には、恐ろしい狼どもが、腹を空かせて、うろついておる。」
「其方のような娘が、不用意に森の中へと迷い込むのを、今か今かと、舌を垂らして待っておるのだ。」
「我は、主に、そんな物語を、沢山聞かせてやったであろう?」
其方には、努めて人間の言葉だけを、浴びせて来た。
人間の名に恥じぬ知識を授けなくてはならぬ。これもまた、教育の一環であるのだ。
初め、四つん這いで歩き、立ち上がろうとしない主の身を案じたものだが。
根気よく躾けてやった甲斐あって、今は人間らしく後ろ脚で我の前をいじけた様子で俯きがちに歩く。
「わかってるわ…」
「でも、パパの帰りが遅いんだもの。」
「悪かった。次は、必ず日の傾く前に戻ると約束…」
「ねえパパ、いつになれば私、パパと一緒にお出かけが出来るの?」
そら来た。
「…前も言ったであろう?主を連れて行くことは出来ぬ。」
「危険であるのだ。この街の外は…」
「じゃあ、どうしてパパは、一人で行ってしまうの?」
「狩りとは、常にその危険に見合った報奨を我に齎すからだ。」
だから、その小難しいと揶揄される言い回しに走るな。
「食べ物を取りに行く為さ。でなければ、お嬢のお腹が、減ってしまうだろう?」
「私、パパが危ない所に一人で出かけて欲しくない。」
「優しいのだな。主は。」
「もう、雪も解けるわ。そうでしょう?」
「……。」
「そうだな。」
「もうすぐやも知れぬな。」
溜息を飲み込み、我は苦し紛れに同じ答えで煙に巻く。
「ほんとに?パパ。」
くるりと振り返り、爛々と期待に潤んだ表情で、月のような瞳を覗き込む。
「ああ、愛しいお嬢の、お願いであるからな。」
「やったぁ!!絶対よ?それ、いつなのパパ?」
「近いうちにだ。きっと其方を連れた旅路を、見繕ってやるとしよう。」
「きゃーっ!!私ね、パパと一緒に、‘狩り’ するの!!」
「私、駆けっこなら、パパにだって、負けないんだからっ!!」
「それは、困ったことだ…」
「とーぼえだって、出来るんだわ!!」
「何処でそんな言葉を覚え…」
「それでねっ!それでねっ…」
「……。」
その場で脚を交互に踏み鳴らすだけではその喜びを表現し切れず、
駆け出す其方の後ろ姿は、ますます大きくなるばかり。
時を駆ける主は、確かに我より遥かに疾く。
この脚ではとても、着いて行かれそうにない。
まだ、当分先のことだと思っていたのに。
其方の成長は、仔狼に引けを取らぬほどに早かったのだ。




