308. ヒーローアライブ 3
308. A Hero Lives 3
彼は、確かに意表を突かれていた。
高々と振り上げた雷槌が、びくりと震えたのを、俺は見逃さなかった。
勇敢さ、無謀さ、大胆さにおいて、所詮は、Teusの足元にも及ばない。
絶対的安全が保証されていなければ、彼は怯えて、俺の口元になど近づけない。
それがよく分かった。
こいつは、第二の犠牲者だと。
Teusが、神々の側に立つことを止めたせいで。
最も勇敢と謳われた兵士が、戦線へ送り出された。
こいつに、狼を信じるなどという芸当は出来っこない。
「流石は、悪評高き狼であることよ。」
「Teusの調教が行き届いているお陰で、助かった。」
「報告通り。確かに、飼い慣らされているらしい。」
「……。」
滾らせた殺意の熱を、この鎖は鋭敏に感じ取っていたらしい。
“殺してやる。”
その覚悟に、Læðingrは反応した。
まるで、変わっていない。
俺の後悔を見透かすように、Torは言葉を補った。
「結局のところ、マイナーチェンジであることには変わりは無い。」
「其方も、それは十分に感じ取って貰えていると思う。…実際の所、強度は2倍かそれぐらいらしい。」
「それでも、お前はこの拘束の意味を理解できるだけの知性を備えているとばかり思っていた。」
「何の真似だ?フェンリスヴォルフ。」
「神に歯向かう、だと?」
“ぜぇっ…ぜぇっ…ぜぇっ…”
“え゛っ…う゛う゛っ…う゛う゛……”
“げほっ……”
TeusやSkaに、きつく言い聞かせてやらなくてはならない。
その人懐っこい性格を、誰にでも振舞うようでいては、いずれ必ず身を滅ぼすと。
仲間がそこで、待っているからと言って、
見知らぬ人間を、怖がろうともしないようじゃ。
Torが自ら得た優位に胡坐を掻いてしまうのも、致し方が無い。
傲慢な彼は、マントの中に、その雷槌を隠そうとさえしない。
これが何かを、この狼は知らないとを知っているから。
俺に完全に背を向け、何も知らずに此方へ駆け寄る狼の仔を、悠々と待つ。
だから、襲い掛かってやったんだ。
それがどういう意味かを理解し、覚悟の上のことだ。
忌々しい拘束を食い破るだけの力は、残っていたはずだ。
だから俺はこうして、Torの目の前に立ちはだかり、貴方へ降り注ぐ火の粉の盾となれている。
そしてこの鎖の役目も、知っていたはずなのだ。
所詮は、悪い仔を縛る為の、戒めの道具に過ぎないのだと。
なのに、この様だ。
“あ……あ、あ…”
庇から零れ落ちる血糊の雨に、絶句の呻き声が漏れる。
Dromiが、俺の毛皮を貫くことすらしなかったことに比べれば、成る程大した成果だが。
Læðingrが俺に与えた戒めもまた、俺に致命傷を与えるようには、プログラミングされていなかったようだ。
Torが観客の為にと披露した拷問が、思いの外、じわり、じわりと効いている。
纏わりつく鎖を振りほどく時、毛皮の肉を啄んで行くのを感じ、
立ち上がった時に、一瞬脚が縺れた。
しかし、それでも、俺が間違えるには至らなかった筈なのだ。
“ふ、ふぇんりる……さん……?”
足元の辺りで、震えた仔狼の声が聞こえることが、どんなに誇らしいことかと想像していたのに。
どうやら俺には早過ぎた。唯々、心配させてしまっただけのようだったな。
四肢をこうして突っ張っていられるのが、奇跡だ。
早くそこから、這い出てくれ。このまま崩落して、お前を潰してしまいそうだ。
首を垂れると、鼻先が、誰かに触れた。
“…無事か?Sirius。”
Torの雷槌が、光り輝く前で良かった。
地面に伸びた無数の亀裂から、焼け付く陽刃がお前を襲えば、庇うのも難しかっただろう。
口の中にお前を詰め込み、串刺しにされても叫び声を上げぬよう耐えるのがやっとだ。
確かに俺の爪は、Torの右手に握られた武器の先端を捉えていた。
狙いを外すことなんて、あるはずが無い。
手元がぶれることなど、以ての外なのだ。
それにはっきり言って、俺はあの時よりも、ぴんぴんしていた。
生きる気力に、純度があれば、それは比較にならぬ程に澄んでいた。
Teusに殺して貰えなかったことに酷く憤慨し、そしてとんでもないお人好しであることに絶望させられた腹いせに、彼の右肩をざっくりと切り付けてしまった頃に比べれば。
俺はこの仔を、救いたい。
その勇気に溢れていた。
その一心で振り翳した爪が、こうも切っ先を鈍らせたのは。
俺が、こいつを。
Torを、殺そうとしたから?
喰い殺すぞ。
口先でそう叫んだだけじゃなく。
…本当に、そうなのか?
頭が割れるように痛み、吐き気が口元からぼたぼたと溢れる。
“あ……あぅ…?”
俺の爪痕が残った、右の肩鎧が、留め具の外れたマントと共に、Torの足元に捨て置かれていた。
あれが無かったら、俺は…
「何の真似だと、聞いているのだぞ。フェンリスヴォルフ。」
「それで、一体Teusにどの面を見せるつもりだ。」
「お前が良い仔に出来ないせいで、不利益を被るのは、あいつなのだぞ?」
“う、うぅ…”
浴びせられる正論。神様でなくたって、そう宣うだろう。
俺は答えに窮し、膝をがくがくと震わせ、尾を挟む。
「そ、の…こ、これは……」
「いつまで、Teusを苦しませるつもりでいる!?」
「っ………」
ぶん殴られたような衝撃に、思わずきつく目を瞑った。
すると、脳裏に、あいつの若かりし顔が浮かび上がってなど来やがって。
涙がぼろりと零れ落ちるのだ。
「す、済まなかった…どうか…」
「どうか許してください…」
「ご、ごめんなさい……」
「頼む、お願いだ……」
「Teusには、お願いだから、言わないでください……」
ぐちゃぐちゃに、頭の中を搔きまわされた気分だ。
「……所詮は、巨人どもの飼い犬に過ぎぬか。」
“フェンリルさnっ……”
再び放たれた、報復の一発が、脳天を直撃して、自分が伸びてしまったことにも気づかず。
「ごめんなさい……ごめんなさい…ごめんなさい……」
俺は譫言のように、神様に向って懺悔の言葉を呟き続けていたのだった。




