308. ヒーローアライブ
308. A Hero Lives
「しぶとい奴め…」
「まだ、叫ばぬか。」
俺が散々に痛めつけられ、段々と泣き叫ぶ気力を失うにつれて、
Torが次第に苛立ちを露にしていくのを眺めるのは、実に滑稽だった。
誤算であると言うのなら、お前は所詮、一介の兵士が加減を知らずに拷問吏を気取ったに過ぎない。
そのうち弱音を吐いて、命乞いの一つでも拝めると思っていたのだろうか。
雷槌によって、骨肉を丁寧に砕く間に俺が感じていたものは、お前の想像のとはかけ離れていただろうよ。
ああ、俺の一生は、概してこんなものだったよなあ、などと、腑に落ちていたのだから。
ずっと苦しい。何をしても、必ずついて回った漠然とした不安。
それをまさに体現しているかのような、一発一発であるな、などと、文豪ぶってみる。
今すぐ死ぬ。このままでは耐えられぬ。それ程に苦しいという訳では無い。
けれど、俺が幸せであるべきではないと納得できる程には、俺を惨めにしてくれた。
熱砂を爪先で握りしめて唸ると、それをお前は好機と見出すのだから、堪らない。
ああ、爪を剥がすようにしてやるのが、効果的だぞ。とでも。
そうヒューリスティックになって興奮するな。
俺はどうやら、素直な仔狼たちをあやす中で、相手を満足させ、喜ばせるような振舞い方を覚えていたらしい。
尻尾は猫じゃらし、背中は宙船。俺はやっぱり、玩具だったのだ。
好かれるって、そういうことだ。
「気に喰わんな、その余裕ぶった、ふてぶてしい態度。」
顔面を殴りつけるのは、流石に勇気が出ないか?
そうだよな。いつ口元を縛る鎖を千切って、お前の腕を噛み切ろうと、野生の惜別を見せるのか、分からないものな。
一矢報いる瞬間を、脳裏の片隅から拭えまい。
俺は確かに、そう印象づけさせるように、お前を歓待した。
「まさか、貴様…」
そんな風に、悦に浸って、
ニタニタと嗤っていたところを、Torは頓珍漢に邪推する。
「…まだ、策がある、のか?」
「俺達を欺く為の、計略を、まだ内に秘めている、と?」
「……。」
「……クックック…」
「やはり、そうなのか?」
「道理であの父上が手古摺る訳だ…」
違う、違う。
とんだ的外れ。
変に含んだ笑いを漏らすんじゃ無かった。
余りにも、気分が良かったものだから。
「俺は、ただ…」
ああ、愉快、愉快。
お前はがっかりだろうが、
ただ諦めた、だけなんだよ。
足掻くことを。
「なっ、何だ?…言え、フェンリスヴォルフ!!」
なんだ、お前?
ひょっとして、Teusよりも、頭の中は空っぽなのか?
お前の咄嗟の衝動が、俺の心を揺さぶり、互いの関係を変えられるなどと、本気で思っているのでは、無いだろうな?
「聞こえなかったか!?申して見よっ!!」
バキンッ……
“ヴウゥ……“
お前がそうさせた、とは言うまい。
だが、お前が懇切丁寧に教えてくれた、Teusの真意は、神々の意志は、
俺に復讐心の火種を灯させるどころか、燻りを通り越し、完全に消し去ってしまった。
あらゆる気力が削げてしまった。
ああ、俺は、初めから、何も間違ってはいなかった。
唯、大人しく、良い仔にして、
こうやって、誰かに殺されるのを、待っていれば良かったんだ。
何も、間違っていなかったのだ。私も、貴方も。
そう確信し、非常に満ち足りた気分でいる。
「……。」
だから、俺は叫ばないよ。
俺は、あの狼に、助けを呼ばない。
動くなと言ったのは、お前だ。
俺は最期まで、群れ仲間の為に、栄誉ある一匹でいさせてくれ。
そしてこうして、藁の上で死ぬことが出来たのなら。
私の方から、貴方の元へ馳せ参じさせて。
だから止めだ、こんなの。
早く、早く寝させて。
そんな願いが通じたのか。いや、通じなかったのか。
槌がリズム良く、そして子気味良く毛皮を叩く音が、衝撃が止んだ。
ぴちゃ…ぴちゃ、ぴた…
興醒めに静まり返った闘技場で、
血の滴る音だけが、耳元で虚ろに響く。
なんだ…?
まだ、死んでいないのだが?俺が思うに。
「…やはりな。」
「既に、救援の狼煙を上げた後であったか。」
……?
「しかし、まあ良い。」
「これはこれで、予定通りだ。」
Torは嗤って、ほっとしたような溜息を吐くと、
先までの朗々とした声音では無く、
まるで怖くないぞと警戒心を解きたい猫なで声で、囁きかけるのであった。
「さあ、此方へおいで…」
そのように呼ぶ相手とは、決まって内に怪物を秘めていると、相場は決まっている。
剣闘士の次なる相手が、供給されたに過ぎないのだとしても。
この舞台、もう少しだけ観衆が眺めるに堪えるらしい。
「よくぞ参った。」
「…歓迎しよう、狼の仔よ。」




