306. 筋の戒め 6
306. The Dromi 6
「どういう……意味、です……?」
我が、狼に、
助けてと言え、だって…?
俺は…今から、何を、されるんだ…?
「これは…」
「第二の戒めは、形式的な儀式に過ぎない、ということ。」
「それだけだ。」
「まだ、頭の中で、整理が付いていない。お前はそう言いたげだな。」
「これから、何が起ころうとしているかも…」
「お前には、先を見通す力こそあれど、目の前の未来に鈍感であると見える。」
「それも、あいつが提出したレポートと食い違う。元来、狼の眼とは、そういうものである筈だ。」
彼は、俺が決断をするのに必要な台詞を全て伝え終えると、周囲の塔の灯りを忙しなく見渡し、片膝を上げた。
その仕草に、出会って間もない、焚火を囲んだあいつの面影を見る。
まるで、俺よりも恐ろしい怪物が、あの暗闇に潜んではいないかと警戒するのが、兵士の常だとでも言うように。
「……。」
こいつは、Teusを哀れだと言った。
まだ、戦おうとしている。
俺を護れるとか、思い込んでいる、と。
何度も、すれ違ってきたじゃないか。
何故、俺に打ち明けてはくれなかった?
もう、いい加減に、理解している筈なのに。
どうして結局、敗因は、これなのだ。
あの時に、戻りたい。
まだ、俺がお前のことを、全知全能の神様どころか、俺をとりまく世界そのものだと信じられた頃に。
どれだけ苦しくて、死なせてくれと希いながらも、
心の奥底では、お前のことを信じていた瞬間に。
お前が、ひょっとしたら、俺のことを助けてくれるんじゃないかって。
そう信じてしまうような日常に。
「とんだ、お人好しじゃないか。」
「…そうだな。」
「何も、変わらない。」
「さて…」
「そろそろ、此処での、俺の役目も、終わりにさせて貰いたいと思う。」
「夜を此処で明かす訳にも、行かぬのだ。」
「この余興にも、筋書はある。飛び入り参加とか大番狂わせの類は、歓迎しない。」
「……?」
「そういうのを、少なくとも俺は、面白いとは思わない。」
「それが、誰しも結末を知る、戯曲の類であるなら、猶更だ。」
「そうは思わないか?フェンリスヴォルフ。」
「……。」
彼はそう繰り返す。この拘束が、形式的であると。
沈黙を是と捉えたのかは知る由も無いが。
彼はまたしてもあいつを彷彿とさせる微笑みをみせた。
そして、ふらりと立ち上がり、美しい夜空を見上げる。
「満点の空だ。」
「きっと澄み渡る分、遠くまで届くであろうよ。」
「良い風も、吹いている。」
「お前にとっては、だいぶ、過ごしやすくなったのでは無いかね?」
「残念なことに、その毛並みに似つかわしい季節が、この島に訪れることは無いだろうがな。」
「だから、同情はしている。」
それが後ろめたさから来る懺悔だとでも言うのなら。
彼は一線で活躍する戦士の座を、既に降りてしまった身だと確信できた。
昨日の友は今日の敵、そんな現実さえ直視かなわぬようでは。
軽率に身を落とす。
そう思ったが、
「さあ…」
「始めるとしようか。」
ドゴゴンッ…!!
彼は、地に横たえた武器の柄を、再び手に取ったのだ。
「っ……!?」
余りにも唐突な身のこなしに、そして紡がれる会話の欝欝たる抑揚からの転調に、
俺は地面に押し付けていた耳を轟音が貫くまで、何が起きたかを理解できずにいた。
全身を縛り上げる鎖の強度が、それなりに無ければ、びくりと跳ね上がって飛び起きているところだ。
「どうだ、利用させて貰ったぞ!フェンリスヴォルフっ!!」
「憎いだろう!?えぇっ!?」
「まだ理解できないのか?鈍い奴め…!!」
「全部、全部奪ってやっただけだと思うか!?…いいや、それ以上だっ!!」
「お前を慕い、故郷を離れることを決意してくれた狼たちは、既に、あの箱の中。」
「残された一匹も、お前の元へ駆けつけようと踏み出せば最期…」
「あの狼から、英霊は完全に引き剥がされる。」
「そうすれば、其奴が成仏するのも、時間の問題。」
「我々はお前を、今度こそ、丸裸にできる!!」
バゴーーーォォォンッッ!!
「ひぃぃっ……」
次は、俺の眼前で、槌が振り下ろされる。
鼻先がひりひりする。余りの恐ろしさに、目をぎゅっと瞑って、縮こまりたいのに、それさえ許されない。
「さあっ!向かってこいっ!!フェンリスヴォルフよっ!!」
「お前には、あらん限りの力で、応えて貰わなくてはならぬ!!」
「戦えまいっ!?俺に膝を着かせて見せようという気力さえも湧かぬだろう!!」
「人質の数は、膨大だ。そしてその一匹一匹が、お前にとってかけがえがない。」
「お前に、抵抗するという選択肢は、端から残されては居らぬのだっ!!」
「どうすれば良いか、お前に選択の余地は無いぞ!!」
「助けてくださいと…在奴に向って吠えるのだっ!!」
ドゴゴォォンッ!!
「あぅぅっ……」
「どうしても、その尾を股に挟むと言うのであれば…」
「力づくでも、そうさせて貰うぞっ!!」
ばぎぃっ……
「……??」
「あぁっ…」
「あぎゃあああああああああああーーーーっっ!!!!????」
どの脚かは、分からない。
でもきっと、前脚の両方だ。
その鎖の上から、雷槌が振り落とされ、俺の膝から下をぐちゃぐちゃに砕いたのだ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛っっ……??あ゛あ゛っ…あ゛ぎゃああっっ!!??」
口に嵌められた鎖がぎりぎりと軋み、
大口を開いて叫べと喉が嗾ける。
ぐちゃっ
「ひぎゃああああああああああっっっっっーーーーー!!!!!」
今度は、後ろ脚。
尻尾まで、
「ーーーーーーーーーーーーーっっっ!!!!!!」
伸びて、痛みも感じず、気絶してしまいたい。
何故だ、何故、弱者を嬲るような傲慢をはたらく。
それは、先ほどまでの勇ましい武人のすることだとは到底思えなかった。
戦士の誇りだとか、そんなものが戦場では一切自分の命を繋ぎ止めないであろうことは、十分に理解できても。
此処は、そうした現実から目を背けて良い場所では無いのか?
俺達は、観衆を愉しませるための、見世物であると、そう宣ったのは、お前の方だ。
それが、興醒めてしまったから、それだけの理由で。
場を少しでも盛り上げたいがために、聴衆を沸かせるためだけに。
野蛮な行為に走る。
お前は、そんな奴か…?
そんなことが出来るのも、ひとえに。
俺が、狼、だから?
そうか、これは、闘獣なのだ。
コロッセオで、日常的に行われる見世物の一つ。
牙を抜かれ、爪を削られ、剣闘士に致命傷さえ与えることも叶わなくなるまで衰弱させられた。
そういう意味で、初めから決着のついた、御前試合であると。
気の遠くなる意識の境界で、あいつの声だけが虚ろに響いて木魂する。
「さあ!助けを呼んで見せろ!!」
「殺されたいのか!?」
「これが慈悲であるとでも、思っているのか?」
「さあ、呼ぶのだ!!」
「奴を…!!」
「Teusでは無い。」
「其方の、我が狼とやらをっ!!」




