306. 筋の戒め 5
306. The Dromi 5
「なんで、なぜ……わが、狼が…?」
「あなた方にとって…邪魔だと、言うのですか?」
「彼もまた、俺と同じ…」
「‘狼’ だから、ですか…?」
彼は、彼はもう、
この世界で、役目を終えたのに。
まだ、まだ、俺のせいで、
旅立てない。
それだけでも、耐えられなかった。
俺自身が、我が狼となり得ないこと以上に、もどかしかった。
ようやく巡り合えた縫合も、仮初の拘束に過ぎなかったと分かった時、
彼女が、俺に、心の奥底で渦巻いていた憎しみを伝えてくれたとき、
薄々、悟ったんだ。
到頭、脱ぎ捨てる時が、やって来たのだと。
この世から、消える。
脳裏に、鉄格子越しに、此方を寂しそうに見つめる、大狼の姿が浮かぶ。
彼は現身に、何も言わず、俺の元へと送り出し、そしてこの世を去るだろうと想像できた。
そんなの、お別れとして、あんまりじゃないか。
ずっと、ずっと傍で、いや内側で、見守ってくれた貴方が。
遠吠えのお手本さえ披露することなく、黙って此方へ尾を向け、鉄格子の奥へと姿を眩ませていくなんて。
「うぅっ…う゛う゛っ…うぇぇっ…」
…俺だけで、良いじゃないか。
閉じ込められるのは。
なんで、俺と一緒に、彼までもが。
「うあ゛あっ…うぁぁぁっ…うあ゛あ゛゛……」
あなた方によって、‘拘束’ されなくては、ならないのですか?
「……。」
「はぁー……」
彼の深い溜息が、その答えとでも言えそうだった。
「俺は、お前が絶望に打ち菱がれるのを眺めることを望んでいたのではない。」
「ましてや、貴様の泣き顔を拝まされるなど…」
「到底、私の望むところではないぞ。」
悪かったな、気持ち悪いだろう。
分かっているんだ、それくらい。
「Teusが知れば、何と言うか…」
「従って、しめやかに済ませようでは無いか。」
「態々お前に、此処まで説明してやったのだ。」
「お前にはまだ、命の灯を灯し、足掻いて貰わねばならぬ…」
「うぅっ…うぇっ…うぅ…?」
命を燃やして足掻け、だって?
そんな怪物のあやし方って、あるか。
やはりこの神様では、俺を泣き止ませることなんて、出来ないのだ。
「到頭、明かされてしまった。その狼は、直に我らが手中に堕ちる。」
「と言うことは、もう手遅れであるのだ。」
「…お前は今、そう思っていることだろう。」
「実際、もうそこまで来ている。完成は間近だ。」
「しかし、お前も分かっていると思うが…」
「とんだ邪魔が入った。」
……?
「我々は、未だあの大狼を、捕えられずにいる。」
「Teusは…あいつは最後の計略さえも、阻止しようとしていたのだ。」
……?
Teusが?
「もう、何もできないと思い込んでいた。そういう意味で、お互いに、とんだ誤算だったと思わないか。」
「…全く、とんだ裏切り者だよ。」
「父上は、あいつの願いを最期まで叶えようとして下さったと言うのに。」
「あいつ、が……?」
彼に、何が出来た?
それは、俺の知る限り、
金属箱という代行者に、待機呪文を託したことだけだ。
「そう、それだ。」
「結果的に、裏目になってしまったのも、お前があいつの言動に疑心暗鬼を生じたお陰でしかない。」
「そうでなければ、危うく見落とすところだった。」
「……?」
「彼は、Disenchantが、あの檻に呼び込まれるのを知っていた。
それ故に、取り残されたものが、通り抜けられないように、」
「永遠にその場に止めることを、選んだのだ。」
「単なる時間稼ぎ。
彼の力に限って、そうはならない。」
「あいつが、どの段階で、ディッチャが箱に入ったと確信したのかは知らないが。
その時から、隙を見ては、壁面にSuspendの呪文を刻み続け、どうにかどうにか、遅延の時間を段々と伸ばしていったようだ。
英霊の魂を、消滅させないための、苦肉の策だろうが。
此方の計画が先に明るみに出れば、必ず食い破る術を探り当てると、希望をお前に託したのだろうよ。
だが、お前たちが平和にいがみ合ってくれたお陰で、好機は此方へ再び巡る。
最終的に、完全な待機が完成する前に、お前が待機の対象を、全体に広げてしまったことで、
我々は再びの絶対的有利を得た。
これを、逃す気は、無い。」
「良いか、もう一度言う。」
「全ての狼は、我々の手の内に握られている。」
「……あの狼を除いて。」
「檻の中は、具に観測させて貰ったが、間違いない。」
「一匹だけ、お前が此方に渡した群れのメンバーのリストから、洩れている。」
「どうやって勘付いた。野生の、本能という奴か。」
「それとも、またしても守護神による介入があったと?それでは、他の群れが全滅する筈があるまい。」
「…或いは、密告者が?」
「Teusでは無い。あいつは、今もディッチャが、檻の中に捕らわれていると思い込んでいる…」
「お前のことだ、さては、まだ何か隠しているな…?」
「まあ良い、それも、戦局を覆すには至らない。諜報も、些細なことだ。」
「フェンリスヴォルフ。お前は今から、そいつに助けを求めて吠えるのだ。」
「……!?」
「救われたいだろう?きっとその大狼の魂は、お前を窮地から救い出してくれる。」
「神の齎さぬ、奇跡を信じよ。」
「その遠吠え、きっと最果ての地まで、響き渡ることであろう。」
 




