297. 日没の路
297. Sundown Pass
そしてそれは、程なくして起こった。
“さて、と…今日は、どんな遊び相手をしてやろうか…”
俺の、遊びにやって来てくれた狼達への態度は、尾のひらを返すように豹変していたと思う。
とびきりの笑顔とか、上機嫌に翻す尻尾とか、そう言ったものは、生憎持ち合わせてはいないが。
それでも心の底から、彼らを歓迎するために、出来る限りの表現に勤しんだ。
これこそが、我が狼の一番望んだことだと自惚れていた、数週間前よりも、それは醒めたものであったけど。
俺なりに、一緒に過ごしていたいという想いから発せられた行為であることを、彼らが感じ取っていてくれたなら幸いだ。
反省の意と取ってくれても結構だし。憧れに従順だなと嗤ってくれたなら、尚良い。
現に柄にもないことを、やっているのだ。
ただ、下心というか、見返りを求めての待遇ではあったことを、此処で吐露しておきたい。
只々、帰って欲しくなかったのだ。
あの転送路に、潜らせるのが怖かった。
今や、想定通りの挙動を示す保証を失ってしまった金属箱は、彼らを絡めとる罠として牙を剥くであろうことは、最早、火を見るよりも明らかだとの確信があった。
誰か、気弱な一匹が帰りたいよと嘆けば、とびきり楽しい見世物があると、半ば強引に西部の未開地へ連れて行く。
彼らが退屈そうに耳の中を後ろ脚で掻くような挙動を目にしたら、すかさず、どんなにつまらない話でも構わないから、語り掛けて気を紛らわせた。
食糧だって、十分過ぎるほど。普段であればTeusに、あまり甘やかすなと窘める量を優に超えるぐらいに、振舞った。
遠吠えだって、恥を忍んで、攪き立てるように奏でたのだ。
ずるずる、だらだらと引き留め、それじゃあ、もうちょっと居ようかなと思わせるまで、構って欲しいぞと仔狼のように身を転げて気を惹く。
しかし、そんな日々も、いつまでもは続かない。
じりじりと、擦り減らすだけの日常は。
“そ、そんな…”
遂には、頼む、行かないでくれと懇願するような有様だ。
“ほ、本当に、帰ってしまわれるのか…?”
一匹で置き去りにしないでくれ、とまでは言わなかったが。
こうなれば恥も外聞も無い。限界まで俺は喰い下がった。
それこそ、我は天涯孤独であったとばかりに耳を垂らし、ぴぃと小さな声で哭くほどの落胆ぶりを披露する俺を、彼らが狼狽えて宥めすかす立場に回るほどだ。
“私たち、またきっと遊びに来ますから、ね?”
“そうですよ、Fenrirさん。そんなに、寂しがらないでください。”
“Fenrirさん。Vesuvaにも、僕らの帰りを待ってくれている仲間がいます。また、すぐに連れてまいりますから…”
「そうだよ、Fenrir。俺とFreyaだけじゃ、そんなに嫌?」
「ああ、耐えきれん。」
「お?喧嘩する??」
「望むところだ。眼にもの見せてやるぞ。」
“……まあ、僕らが居なくても、寂しくは、無さそうですね。”
「……おい、待て。」
「Ska、お前までも、この場を去ってしまうと言うのか?」
“はい…そのつもりでしたが。”
“僕は残っても大丈夫だと言われれば、そうかもしれませんが。彼方で待ってくれている家族もいるんです。お暇を頂けませんか?”
「そうだよ、Fenrir。ご老人の世話をしたくないのは分かるけど、諦めて?」
「お前はその口を閉じていろ。」
「……じゃあ、あと半日だ。夕方まで遊んでから…それから、見送りをさせてくれ。」
勿論、彼らの遊び相手をする傍ら、必死に解決策を模索し続けてきたことは、誰にも他言できない。
彼らが帰還する前に、どうにかして、転送路の謎を、突き止めなくては。
こういう時に限って、Teusは、この場において、最も相談相手として不適な相手だった。
何も知らないふりをして、揺さぶりをかけようか、死ぬほど迷ってしまった。
転送路の機構について探りを入れ、待機呪文、という単語を軽はずみ口にして、反応を見てやろうか。
だがそれで、俺がこの金属箱に対して、警戒心を抱いていると勘付かれれば、それまでだ。
証拠の隠滅こそ、簡単では無いだろうが、Skaが鋭く指摘した通り、その力は、今のところは、正しい目的っで使われている以上、彼の口からは正論しか吐き出させることは出来まい。
尋問は、この場で最も効果の薄いアプローチである。
そうなると、彼がボロを出すのを、虎視眈々と待ち受けるしか無かったのだが。
結局あいつは、俺の奮闘の甲斐なく、Ska達の滞在期間中、一度も不審な行動を晒すことはしなかった。
俺の出方を窺っている様子も無かった。
それ自体は、一つ貴重な情報として捉えて良いと思う。
彼は、金属箱に加筆する必要性を、少なくとも今は感じていない。その証左である。
どういう意味かは、分からない。
しかし、偶然と捉えるには、些か惜しい出来事と照らし合わせると、こうだ。
Vesuvaから、Lyngvi島への来訪を予見するに際して、彼は行動を起こすことを要求されている。
だから、今、彼らが帰るだけの段階において、彼は待機呪文に対して、何ら懸念する事柄が無い。
そう解釈できるように思える。
憶測である、と言えない訳でも無かった。
本当にSkaの言う通りに、この力が、神様の地位を失った今においても尚、正しく用いられるべき、そして継承されるべきものであると言うのなら。
何故彼は、白昼堂々と、その外套を翻さない?
その長たらしい裾を引っ張る、後ろめたさの正体は何だ?
俺に釈明できないような、都合の悪さを孕んでいるから、
それでいて、差し迫った期限に間に合うような行使が必要だったから。
俺達は、あの日の夜に、Skaの帰還を夢に見たのでは無かったか?
全ては、謎に包まれたまま。
俺は今度こそ、神々の謎かけに、制限時間内に答えきれなかったらしい。
悔しいとは、思わない。解けるまで、保釈さえ許されぬのなら、いっそのこと殺してくれ。
半殺しに飼いならされるような日々だった。
“……今生の別れとは、正にこのことであったか。”
“何を馬鹿なこと仰ってるんですか。”
“……縁起でもない。”
涙で瞳を潤ませているのは、縁起でも何でもない。
目の前から直に消えていく狼達の、少し先の未来が、もう殆ど見えてしまっているのに。
俺は、何もしてやれない。
全部、俺の杞憂であれば良いのに。
また数週後には、ぽろりと見知った顔触れが、俺達の元へと姿を現してくれて。
面倒くさそうな顔をしながら、段々とこなれた自負のある遊び相手を演じるのだ。
そして彼方で冬が、そして此方で夏が終わる季節の折りに。
しっかりと、彼女が役目を終えてくれたなら。
今度こそ、俺は狼達の故郷で、彼の友に相応しい余生を送れる。
そうだったら良いのに。
“それじゃあ、また、お会いしましょうね。Fenrirさん。”
“ああ……”
俺は、何も知らなにふりをして、
“さようなら。みんな。”
彼らにさよならを言わず、黙って時間の狭間へと、彼らを送り出したのだ。




