296. 日没を遅らせる者 2
296. Who slows the sunset 2
Skaは、困惑の表情をありありとその瞳に浮かべながらも、俺が捲くし立てる推論に、一切の反論を挟むことなく、最後まで耳を傾けていた。
いいや、理解に苦しんでいるのだ。
俺のことを、精神的に病んでしまったか、或いは狂ってしまったか、との疑念を益々深めているだけに違いない。
いつものFenrirさん、そんな像が、彼の中にはっきりと抱かれていればの話だが、その口から語られた話には、真摯に耳を傾けるべきだと心得ていても、今回ばかりは、まともに取り合うべきでは無いのではないか、と。
その証拠に彼は、俺自身への、何らかの感想を口にする前に、気まずそうにそう進言する。
“……。”
“そろそろ、Teus様を、お呼びに伺わねばなりませんよね…”
気が付けば、正午は大きく過ぎ、そろそろ出発しないのかと、彼方がいつ様子を見に来てもおかしくない時刻だった。
相も変わらず、白壁の家屋が立ち並ぶ街並みの眩しさは、耐え難いほどであったが。
それも和らぐのはあっという間で、返って来る頃には、夕陽の焼き付いた日没の色合いを恋しそうに眺める為に二人は帰宅したがる。
“あ、ああ…。”
“そうだな。あいつらの邸宅には、俺が足を運ぶとしよう。”
“……?”
俺の言葉を噛み砕けぬ内に、Skaの印象さえ捻じ曲げては、余りにも酷だと思ったからだ。
“だからお前は、群れ仲間たちに、出発の知らせを触れて回ってくれるか。”
“そうですね。分かりました。皆のこと、集めてきます。”
だから、と言う訳では無いが、今回Skaには、騎乗しないことを選んで貰った。
「前回は、本当に酷い目に遭わされたからな。」
「別にそれ自体は構わないんだけど…何かあったっけ?」
「覚えていないのか。こいつらが好き勝手に歩き回るから、俺は口に咥えて進路に戻すことを、延々と遊具のように繰り返させられていたのだぞ。」
4足歩行の獣が、立ち眩みに体勢を崩しそうになるとは、幼少の夢にも思わなかったぞ。
“あー…それはなんか、申し訳ございませんでした…”
「へー、良かったじゃん。」
「だからせめて一匹は、節度ある壮年の狼に、注意を促して貰いた…」
「Skaも、遊んでもらえて。」
“あ、そういう。”
“何を納得してる。”
“す、すみません…”
俺はTeusのことをありったけの憎しみを込めて睨みつけるふりをして、まじまじと、二人の間に何の違和感も無いかを具に観察した。
「……?どしたの、Fenrir。」
「昔から、そう言った機転だけは利く。」
「何、それは、お互い様でしょ。」
「……。」
二人の介護にと、Skaの子息たち、今回はBusterとNymeriaを乗せてやることを進言したが、彼らもFenrirに遊んでもらった方が良いでしょ、などと言って、それを丁重に断った。
Freyaだって、狼の言葉を解すると言っても、聴力まで狼の域に入門している訳では無い。
お陰で、地上で交わされる狼達のやり取りは、神々にどうやら傍聴されずに済んでしまうようだった。
代わりにと言っては何だが、俺は耳を大きく後ろに捻って、毎度聞かされる夫婦のほんわかとしたやり取りに、手頃な相槌を打ってやらなくてはならない。
まあ、例の神立魔法図書館で行われた審問では、もっと集中力が必要とされた。
人語、狼後、それから兄弟暗号、3か国語平行しての話術に比べれば、これくらいはどうってことない。
首回りにしっかりと蓄えられた自慢の冬毛に籠った熱さえ、どうにか出来れば、の話なのだが。
「さて……それじゃあ、さっさと片付けるとするか…」
ぎゃあぎゃあと、狼達の悲鳴が木霊する中、空虚な時間が過ぎる。
あんなに、夢見心地で、意識が蕩けるまで、遊んでいたのに。
心ここに在らず、身も入って来ない。それを、もどかしいとさえ思えない。
彼らには、申し訳ないし、それが伝わっていないことを切に願うが、
彼が、自ら口を開いてくれるまでは、先の会話の続きは出来ないと思い、待ち惚けていたからだ。
多分、話したそうにはしているんだが。
Skaは、己の役割を演じることをせず、俺の視界に入る右脇の獣道を俯いて歩いている。
ボスが一貫して、最後尾から全体を見守る立場で群れに貢献するのは、以前に話した通りだが。
それを長男に任せ、自分は一切、まるで、その座を奪われた老狼のように、周囲と距離を置いているのだ。
結局、俺達が、再び会話の暇に在りつけたのは、中央の闘技場で、彼らが一頻り遠吠えを交し合い、それから思い思いの寝床を拵えようと、砂場を一心不乱に掘り起こし終えてからだった。
「俺は一度、二人を家まで送って来る。それまで、留守を此処で頼めるか。Ska。」
“……僕も、お見送りして、良いですか?”
夕陽の明るさを繋ごうと、周囲に立ち並ぶ灯塔から燃え盛る炎が、彼の瞳で揺れた。
“ああ、構わん。”
「二人とも、待たせたな。帰るぞ。」
「皆は、どうする予定?」
「此処で一晩、過ごす予定だ。お前達を見送ってから、俺も此方に戻る。」
「了解。朝になったら、また迎えに来てくれる?」
「…いいや。まだ、Skaの意向を聞けていないが、俺達が、リシャーダの方へ戻るつもりだ。」
「あ、そうなの。そりゃまた、どうして?」
「うむ、ちょっとした、事情があってな…」
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“……帰らないんですか、Fenrirさん?”
“言っただろう。俺は、此処であいつを独りで好き勝手動かせる気は無いと。”
“…と言うことは、僕が明け方に、皆のことを連れて、此方に戻ってこれば良いんですね?”
“ああ。済まないが、群れの移動に関しては任せても良いか。”
“それは、全然構いませんよ。皆も、Fenrirさんの元へ行きたがるでしょうし。Fenrirさんが夜にいないことは、僕の方から説明しておきますから。”
“…恩に着る。何から何まで。”
“群れのリーダーは、僕です。”
“ごめんなさい、Fenrirさん。”
“僕は、貴方の言っていることの、正直、半分も理解できていないかもです…”
“……。”
“この箱が、Lyngvi島とVesuvaを結び付けることが出来るのは、Teus様のお力によるものであるって言うのは、分かりました。
その、力の特徴が、Teus様しか扱えないもので。
Teus様は、その一端を、箱の内側の壁に、刻み込んだんですよね。“
“でもそれって…”
“それって、Fenrirさんにとって、
僕たちにとって、どんな問題があるのでしょうか?“
“それが分かって、Fenrirさんが、怯えている理由が、僕にはぴんと来ていません。“
“…怯えている、か。”
“それって、Teus様がVesuvaから離れる為に、自らが転送の路を拓いたってだけじゃないんですか?
それのお陰で、僕らは、Fenrirさん以外は、ですけど。殆ど自由に往来が出来て、いつでもTeus様に元気な群れの姿を見せることが出来る。
全部、Teus様が望んで、提供したお力の結果、というだけではありませんか?“
…そう。
そうなのだ。
彼が、嘗てその手で自由に操ることの出来た力の残骸を、正しく狼達の為に使っている。
表面上は、そのように見えている。
であれば、何故。
何故、俺達に、そのように説明をしない。
それが出来ない。
お前が、極寒の洞穴で語らってくれた、力の一端を垣間見ることは。
果たして俺一匹に、どのような不利益を齎すと、お前は考えている。
“それは…”
“それは、直に分かるだろうさ。”
彼が、群れの元へと姿を消し、それからだいぶ時間をかけて。
俺は、そう反駁するに留まった。
何故なら、俺は彼らにとって了承済みの均衡に、手の爪を加えてしまったからだ。
あの通路は、もう只の転送路じゃない。
直に本性を剥き出しにする。
革の戒めのように。
そう心の内で、怯えているのだから。




