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【続編連載中】Wolfhound(ウルフハウンド) ー神話に殺された狼のやりなおし  作者: 灰皮 (Haigawa Lobo)
第6章 ー古き神々への拘束編
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290. 毛皮禿ぎ 

290. Alopecia


貴女と話せて良かった。

何の忖度も無く、今までで一番、楽に狼の言葉を交わすことの出来た狼に出逢えたと思う。


これが運命のきずなを伴っていなかったとしても。

私は彼女と、仲良くなれたかも知れないと、自惚れてしまう程なのです。

こんな相性を、初めて会った気がしない、と言うのですか。


ええ、焼き餅なんか焼かずに、是非楽しんで。


穏やかな彼女の目元をうっとりと眺め、充実した溜め息を吐いて、そう眠りについたのだ。



それが、ほんの数刻前の出来事。



“Fenrirさん、起きて…!起きてください!”


“ん…む……”


ぼやけた輪郭に、可愛らしく顔を傾け、ゆさゆさと尻尾が振れた愛しの君が映る。

これが、我が狼の迎えたかった朝の景色か。

私には、もったいないぐらいです。


なので、もうちょっと眠っていても、良いですか?

ま、まだ、日も登りきってはいないようですし…


洞穴の入り口から降り注ぐ光柱の放つ神々しさに、俺は思わず目を細める。



”…お出掛け、しませんか?”


“え……”


“良い天気みたいですし。”


“……。”


どうやら彼女、Skaのように、時差に苦しんでいる様子も無く、

いとも容易く、健全な時間に、目が醒めてしまったらしい。



“しかし、外は毛皮を溶かすような暑さですぞ。Yonah…”


“あら、毛皮がずぶ濡れになるより、良いじゃありませんか。”


…うむ。暫くぶりだが、恐らく明日にも、天候は大きく崩れそうだな。

って、違うのだ。そういう話では無い。


彼女にとって、夜間にしか出歩るかないような理由など、何一つ無いのだ。

当たり前だ。未知の世界に降り立ったならば、やることは探検以外にあり得ない。


洞穴で籠っていましょうぞと言って聞き入れて貰えるような、内気な雌狼であれば。

そもそもあの入り口を、一匹で潜り抜けようとはするまい。


“それでは、参りましょう?”


しかし、せめてもう少し日が陰ってからにして貰えませぬか。


“夕暮れには、ご挨拶にも窺わねばならないのですよね?”


“う、む……?”


ひょっとして、明け方は狸寝入りをなさっていたのか…?

でしたら私も、貴女を拾い上げて口に咥えるような、大それた真似をせずに済んだのに。


顔に火照りを覚え、回らない頭で言葉を選べずにいると、彼女はふふっと笑って、おはようございますと鼻先で髭の一本に触れた。


“何です、それ…?私は夫に、ちゃんと挨拶なさいと言いつけられただけです。”




“ね、お出掛け、させてくれませんか?”


Skaは、そう。自分が賢い狼であることを知っているような、凛とした表情と眼差しが印象に強いが。

彼女の場合、それは自分が美しい狼であることを知っているような佇まいであるようだ。


そうやって、常日頃から番の狼を魅了してきたのに違いあるまい。

だが、Yonahよ。こと我が狼に対してそんな手段は、いやはや無謀であると言うもの…


“…でないと、私、一匹で何処かに行ってしまいますよ…?”


(したた)かが、過ぎますぞ。愛しの君よ。

俺が僅かに反駁の意志を見せたが刹那、情に訴える方向へ、瞬時に舵を切るだなんて。


“そんなことを許せば、俺はSkaに噛み殺される…”


“彼には、そんな度胸ありません。”


“でも、言いつけてしまうかも。”


“……。”




何だって、こんな目に…


“やったぁ!私、皆が口々にお土産の臭いを持ち寄って来るものですから、もうわくわくしちゃって!”


“ええ…そう、ですね…”


こうして俺はYonahオ嬢様の日傘となって、炎天下の散歩に赴く羽目になる。


我が狼としては、本望であるに違いあるまい。

喜んで。其方へと降り注ぐ火の粉の盾にならん、などと、洒落込んだ口上を吐くのだろう。

俺は、出来れば御免被りたいのですが。


俺の毛皮の辛さがちょっとは分かるかと思い、望む場所へ連れて行ってやろうと申し出たが、彼女は俺の背中に乗せて貰うのをやんわりと断った。


そう言えば、昔彼女が、子供たちを連れて俺の元へやって来た時。

仔狼たちが背中に乗せられて、楽しそうに鳴き叫ぶのを、大層不安そうな面持ちで見守っていたっけ。


そして彼女がやりたかったこと、それは ’臭い集め’ だ。


俺の元へと馳せ参じた狼達が、僅かな滞在で成し遂げて来た、遊びと探検の数々。

その痕跡が、この土地には充満しているのだ。


彼女はその手掛かりを集め、繋ぎ合わせ、自らの目の前に記憶として補修したいのだと言う。


彼らは見知らぬ臭いを少しでも嗅ぎつけると、仲間たちへのお土産だと言って、

それは嬉しそうに毛皮にその臭源を擦りつけ、自慢げに見せびらかしていたものだ。


そんな映像が、脳裏に浮かぶよう、彼女は、その逆をやろうとしているのだと思った。

狩りに於ける、周到な追跡に等しい。


見事な手際だ。熱心に鼻先を地面に近づけ、行く先々の至る所で、群れ仲間の残り香を嗅ぎ当てていく。


“これは、あの仔の臭いですね。茂みで印をつけたんでしょうけど、お兄ちゃんのに、上書きされてしまってる…”


“いっぱい、此処で遊んだんでしょうね。皆の臭いが、沢山混ざっているわ…その中に、貴方の匂いも、残ってる。”


“記憶に新しくはありませんが、貴女がそう仰るのなら、正しいのでしょうな…”


そんな調子で、俺達は中央の広場までの散策を、寄り道も含めて三倍ほどの行程で楽しんだのだ。




“やはり一緒に、おいでなされば、良かったのだ。”


俺はちょっぴりの皮肉も込めて、彼女が嬉しそうにその場を転がるのを穏やかな面持ちで見守っている。


“そういう訳には、行きませんわ。”


“私は、これでも夫が留守の間、群れの長を代わって務める役目を負っています。”


“どちらかは、必ず、元居た世界で、残された群れ仲間たちと共に、帰りを待たなくてはなりませんでした。”


ですから、ごめんなさい。Fenrirさん。

私、我慢しちゃいました。


私は、彼が貴方と冒険に出掛けて来るよと伝える時の

あの目を輝かせて、るんるんと尻尾のはりきった様子が、大好きなのです。


“うむ、そうだな…その通りであった。軽はずみな誘いを許しておくれ…”




もし、Teusが、

Skaでは無く、彼女を初めから選んでいたら。


俺に引き合わせる、最初の狼の友が、Yonahであったなら。

そんな妄想に、心を奪われずにはいられない。


俺の心の紋様は、幾らか違う変貌を遂げていただろうか。


俺自身が目指した大狼の顕現は、彼女に何かを伝えんと、言葉を発したと思うか?

そして彼女の耳に、響いたのだろうか。


あの時よりも早く、思い出させるような契機が、二匹の元に訪れていたかと思うと、

それはそれで、居た堪れず、そして俺がまた一匹ぼっちになってしまう結末を迎えるような気がして、やはりTeusの選択は間違っていなかったのだとの思いを新たにする。







夕暮れ時には、約束通り、俺と彼女は箱舟の佇む港町へと戻った。


無論、二人の出迎えに、応じるためだ。


彼方此方へ引っ張りまわされ、毛皮を日にたっぷりと焙られて、頭がふらふらとするが、これでようやく休めそうだ。

俺も別に、今晩はゆっくり気を緩めて、休んで良いのだよな?



「お帰り…Fenrir。それから…」


「よく来てくれたね。Yonah。」



彼女は、Teusに対して、慎ましやかに尾を振ると、礼儀正しく鼻先が相手の顔に正対するよう向けられる。


どうぞ、お手を触れになって下さい。

そう自らの無防備さによって伝えると、首元の毛皮に彼が手を添えられるよう、晒すのだ。


「あの狼に代わって、礼を言わせて貰うよ。」


それに対し、Teusはやはり応じようとしない。

マントの裾をそのまま降ろし、ぎこちない所作で膝を着くと、

いつも彼がSkaに対して示して来たように、

同じ目線に自らの顔を降ろして、両手を頬の毛に添えるだけだった。





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