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【続編連載中】Wolfhound(ウルフハウンド) ー神話に殺された狼のやりなおし  作者: 灰皮 (Haigawa Lobo)
第6章 ー古き神々への拘束編
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289. 心温まる感想 2

289. A sentiment that warms my heart 2


“どうだろう。人間の料理も、多少は其方の口に合うと良いが。”


そうは言っても、俺が彼女に出来ることなんて、高が知れていた。


せめてYonahを迎え入れるにあたり、それとなく彼女の嗜好について、夫であるSkaに探りを入れておくのだった。

彼女が愛してやまないものと言えば、俺はそう、家族以外に知らないのだから。



“安心せよ。狼に害を及ぼす毒など、我の鼻を決して欺けぬ。”


“みんな、みんな、半狂乱になって、ご馳走の山を貪っていたよ…”



今更になって、俺は自分が見出した勇気を卑怯だと詰る。

元来、俺が初対面の相手に、堂々と振舞える筈が無かったのだ。


好印象の顔合わせを済ませることが出来たような気がしていても。

それは全く持って誇るべきことでは無くて、何故なら殆どの要因が、相手方のお陰であるからだ。



Skaが始めての狼の友で無ければ、俺は今頃群れ仲間に付き纏われるような日常に卒倒していた。

そしてSiriusの、純真無垢に向けられた敬意と愛情が、俺に一段と特別な眼差しを向けさせるのだ。


何一つ、怠惰な俺に成し得た勇気などない。

只々、気怠そうに付き合わされるふりをして、崖の淵から引き揚げて貰ったばかり。



それを控えめな彼女を前にして、初めて自覚させられたのだ。



これでは、いけない。

きっと、形だけでも、我が狼の役を立派に努められていない。


エスコート、などと洒落込む余裕は微塵も無いが。

せめて、彼女への気遣いが現れる言葉を、俺は選びたがった。




Yonahは前脚の間に埋めていた、火の通った味付きの肉塊をしげしげと眺めていたが、


“ありがとうございます。”


届かぬ距離にあった俺の口先に自らの鼻先を向けると、躊躇いの無い様子で大きな口に頬張ってくれた。

がつがつと二口、三口で、ぺろりと平らげる。


“…おかわりも、幾らでもある。”


それだけで、幾らか緊張がほぐれた。

互いの臭いを嗅ぎ合う挨拶すらも忘れた俺達にとって、こうして距離を縮めて座っていられるひと時に在りつけただけでも、御の字である。


なんて調子では、遠い何処かで、二匹が笑うか。

今の俺達は、それぞれが、自分に与えられた写し身に、楽園から地上でのぎこちないやりとりを見守られているような、奇妙な居住まいの悪さを覚えているのだろうと思った。


余りにも不甲斐ない俺の姿に、もし我が狼が、霊的な力を行使して、俺達にちょっかいを出して来たらどうしよう。

二匹の間をすり抜ける、嫌に生暖かい風や、視界の隅で意志を持ったように揺れる葉の群れに、そんな一端を垣間見てしまう。


被害妄想なんかじゃない。何なら、貴方の意志が伴わなければ、こんな邂逅は、到底実現していないのだ。

言葉が悪いが、とんだ野次馬じゃないか。

隣りにTeusがいてくれた方が、まだましにすら思えて来る。



“Fenrirさんは…召し上がらないのですか?”


“え…?あ、ああ…うむ…忘れて、おった…”


忘れた、だと?何を間抜けなことを抜かしているのだ。

しかし、実際に俺は、自分が食事をとるのも忘れ、彼女が狼らしい口捌きで、それなりの分量の肉塊を平らげるのを、ぼうっと見とれていたのだった。


と言うか、彼女が自分の名を、そのように呼称することに対して、激しい動揺を覚えてしまっていることの方が問題だ。


その名で、間違いない。何の問題も無い。

寧ろ、Siriusと彼女が口にすることの方が、この場では不自然である。


俺が我が狼を、変わらぬ童心を持って呼称する名と、彼女が我が仔に愛情を込めて呼びかける名が、偶然にも重なっただけのこと。

Yonahが、俺のことを、Siriusと呼ぶ筈が無い。


しかし、Fenrir ’さん’ と呼ばれるのには、ちょっとばかり違和感を覚えるな。

始めに逢った時から、そう呼ばれていたっけか?

Skaが俺を呼ぶのが、そうだから、別にそれに倣って何の問題も無いのだが。


多分、彼女が我が狼を呼ぶのには、別の相応しい何かがあるのだろうな。

この違和感は、知る由も無いそんな過去を示唆していると思うことにしよう。




当然のことではあったが、きちんと人間からある程度の距離を保っていた狼にとって、焚き火は近づきがたいオブジェであることを忘れてはならない。

夜半過ぎのリシャーダに彼女が降り立ったことは不運であると言えるだろう。

碌に周囲の景色も見渡せぬまま、丸くなった俺の眼下だけが、唯一の拠り所となってしまっている。


ぼんやりと眺めているだけで、何故か会話が途絶えるのを許された気になっていたのだと気付かされる次第だ。あれは、客人の内でも、Skaよりもお喋りの好きな一匹であったと。


“彼方では、きちんと食事は取れているか?”


沈黙に耐えかねるのだって、薪の爆ぜる音に後押されるのと、さして変わらない。

一番気になっていたものの、話題にあげることが憚られた心配を、俺は素直に投げかける。


或いは、俺か、それ以上に群れの行く先を憂いてくれているような、勝手な彼女への信頼がそうさせたのだと思う。


“ええ…お陰様で。みんな、大変ながらも狩りで日々の糧を得る生活に段々と戻りつつあります。”


“そうか。それは、良かった…”


望まぬ形ではあったが、数か月もの間、彼らは言わば、あの神様に ‘餌付け’ をされていたことになる。

ヘルヘイムより降り立ちし、彼女の遊説により、俺達の縄張りは、かなり根深いところまで、侵されてしまった。

自然は、ゆっくりと、長い時間をかけて、その傷跡から見事な再生を見せてくれるだろうが。

全てを枯らした魔性の毒素は、大蛇の行進によって激減した草食動物たちの中へ、着実に蓄積し続けるであろう。

そして高次消費者たる我々捕食者が、その生物濃縮された毒性にどれだけ抗えるのか。はっきりとした確証は無い。


だから、ヴェズーヴァで過ごす覚悟を決めてくれた彼らにだけでも、安全な食料を供給することが、せめてもの願いであった。

Odinからの脅威(Threat )査察(Assesment)を受け入れたのも、それ以前に持ち掛けられたのにも、そう言った合意があってのこと。


それが反故にされている、などと主張するのは、誤っているのだろう。

何故ならこうして、リシャーダには潤沢な食料が、約束通り、決して枯れることなく供給され続けているのだから。

取引に応じた本人とは、偽りなく俺自身であるのだから。結果論として、この土地が送り先に選ばれたことに、何の矛盾も孕まれてはいない。

全ては予言の通り。掌の上で転がされていたらしい。


だがな、お前達が思うほど、話は簡単では無いのだ。

初めからそう望んだとおりに、共に暮らせば良かろう、などと。そんなに単純な話では無い。

幾ら優秀な狼の群れであろうと、景色も臭いも全く持って異なる別世界で、突然生きることを余儀なくされる運命を、容易く受け入れられる筈が無かろう。


“済まないな。再び其方らを、厳しい野生の生活に投げ出してしまうような結果になって。”


結局のところ、越冬まで、待てなかった。

血生臭い戦の跡も掻き消すほどに深く積もった銀雪が、腐った土層を奇麗に洗い流すまで。

そうして新たに芽吹いた草を食み、健全な血肉を纏った獲物が、再びあの森を跋扈するまで。


彼らはその間だけでも、神の御慈悲に甘えるべきであったのに。


“貴方が、それを言うのですか…?”


“……っ?”


引き戻された後悔の波に、目の前が真っ暗になっていると。

突然、Yonahがそんな風に口を開くので、心臓が止まりそうになって、鋭い痛みを覚える。


“夫からは常々、Fenrirさんが私たちに対して抱いていた理想について、聞かせて頂きました…”


え、う……?

危うく、変な声が出そうになるところを、既の所で呑みこむ。


“貴方の仰る通り、私たちは、出来る限り、あのお二人から距離をきちんと保つべきです。”


勿論、夫があの人間に生涯をかけて仕えるつもりであることは承知です。

貴方のご厚意に、みんな心から感謝し、慕っています。

私たちは、ある程度の共存をこれまで通り続けて行くでしょう。


“しかしそれが、群れの生存に大きく関わって来るのだとしても、私たちは、生き方を大きく捻じ曲げられてはならないと。”


“ですから、みんな。比較的早く、諦めてくれました。”


“何時まで待っても、餌は湧いてこないと。”




“……。”


“…ありがとう。それを聞いて、心から安堵している。”


Skaが、道理で自惚れる訳だ。

気高い。ともすれば、夫よりも、


“…きちんとした、長の器をお持ちであったな。”




“私がいなくても、子供たちが上手に狩りの成功を収めるようになってしまったのは、少し寂しいですけれどね。”


ああ…Skaからは、噂は兼ねがね聞いておったぞ。

産前は、狩りの名手として、其方の右に出る者はいなかったと。


“あの方が、そう言ったんですか…?”


“う、うむ…?”


しかし彼女は、とんでもないと謙遜するどころか、くすりと笑って、初めて俺に悪戯っぽい笑顔を見せたのだ。


“確かに彼よりは、上手だったかもしれませんね。”


これはこれは、器量に見合ったとは言え、大した自信だ。


“彼ったら、一緒に走っていると、私のことばっかり見つめちゃって…良くへましてたから。”


“それは…それは、致し方無いとは言え、狩りに於いて致命的であるな。”




“でも、今でも偶に思う時は、ありますよ?”


“……?”


“先頭を率いているから、気を使っているつもりなのかも知れませんけど。一度走ってから休むまでの時間がまあ短くって。”


“…実は彼、長距離走るのが苦手なんですよね。”


平然と、そんなことをSkaに対して言ってのける。


“その癖、俊敏に動けないのに、一目散に手柄を立てようとするから、アシストする側の私の気持ちも知らないでね…?”


“はは…やめて差し上げろ…”




共通の悪口ほど、結束して盛り上がるものは無いが。

本当に、お前の旦那さん、恥ずかしさに憤死してしまうぞ。


“彼には内緒ですけど…まだ仔を設ける前は…”


ひょっとすると、我が狼よ。

案外貴方も、彼女のそう言うところに惹かれたのではありませんか。




今、私はそんな疑念に頭を支配されてしまってならないのです。





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