289. 心温まる感想
289. A sentiment that warms my heart
Teus、おい。Teusよ。
どうしてこういう時に限って、その直感とやらに肩を叩かれてはくれぬのだ。
お前はいつでも、窮地に駆けつける主人公ぶりを、無力な俺の前で披露してくれたじゃないか。
今がまさに、その時であるのだぞ。
少し遅れてやって来るのが、英雄の無作法であると笑って許せる時間を、そろそろ過ぎる。
頼む、何しているのだ、あいつ。
いっその事、叩き起こしに行ってやろうか。
もしかして、既に眠りに就いたふりをしているのか?
ああ、こんなことになるなら、あんな風に袂を分かつのでは無かった。
“……?”
彼女が顔を柔らかに傾け、耳を寝かせて此方の表情を窺うので、
そんな心で渦巻くそんな憎悪も、吹き飛んで行ってしまう。
“え、えと…その…”
そ、そんな及び腰でどうする。
もう、彼女は目の前に、姿を現してしまったのだ。
俺は、どんな俺であろうと。
腹を括るしかない。
“よ、良くぞ参った……”
完璧と言えるまで真似て使い古してきたはずの、大狼の口調が、今になって滑稽だ。
“逢いたかったぞ…”
“Yonah……”
しかし、どうすれば良い?
もし自分に明確な分裂が住み着いていたなら。俺は忽ち意識を失い。
彼女の前には、もう一匹の自分、つまりは我が狼の人格が、姿を現していただろう。
そして次の瞬間には、明け方のすっきりとした空模様の下で、一匹佇んでいる所で、記憶が途切れていることに気づくのだ。
けれど残念ながら、湧き上がって来るような自我の主張を感じることはこれっぽっちも無かった。
逢いたいと切望したのは、貴方のほうでは無いですか。
そんな文句も垂れたくなってしまう。
失礼を承知で、尻尾にも噯にも出さぬように本音を吐露させて貰えば。
私は、彼女に対して、何ら特別な感情を抱けずにいるのに。
俺は、言ってしまえば、英雄の威を借りている。
望まぬ形で、夢が叶っているという点で、私は貴方になり切れずに四苦八苦しているのだろう。
だから、当然だ。
俺は、彼女を騙してこの土地へ呼び寄せている。そんな罪悪感が纏わりついて拭えない。
きっとYonah自身も、俺の姿を一目見て、その瞳の内に、誰の面影も見いだせずにいる。
興覚めだとの態度を示さぬだけで、きっと心の底では期待との乖離を見て見ぬふりをしている。
済まないな。
がっかりさせてしまって。
俺自身も、その自覚があるのだ。
俺は今までで、一番あの大狼に遠いって。
彼女もまた、同じようなことを、考えていると想像できた。
ごめんなさい。
きっと興醒めてしまっていることでしょう。
私は貴方の嘗ての番であることを、覚えていたはずなのに。
あの時から、私は自分がこの群れで、ぽっかりと浮いているような気がしてならない。
……。“”
時を超えた再会、などと。洒落込んでみても。
俺達は少しも、以前の自分であろうと努めても実らない。
貴方を、貴女を知っている気がする。
それだけは、確かであるのに。
互いを引き寄せる、それ以上の愛が無い。
それは初めから、何も知らないより、大きな隔たりであるという気がした。
“S、Skaは…どうした?一緒に、来たのでは…?”
助け舟をと、ついその名を口走ってしまう。
今の彼女の前では、軽々しく綴って良い名では無いと言うのに。
“……。”
“そ、そうか。では、あいつが、其方を一匹で寄越した、と……”
余計な気を利かせやがって。
それでも、彼女に添い遂げると誓った番の雄狼か。
なんて、罵る資格など俺にはある筈も無くて。
彼は彼なりに、彼女の気持ちを尊重しようと考えたのだろう。
きっと、Yonahはそれを拒んだのだろうが。
あいつは、不機嫌に冷たいふりをして。
お前がこの場に居ないことが、俺のYonahへの招集に付け加えた、暗黙の要求であると嗅ぎ取ったことを、見当違いの誤りだとは言うまい。
しかし、空気を読まずに間に割って入り、俺達二匹の間の雰囲気をぶち壊してくれるような無邪気さを、お前はTeusに対していつも振り撒いてきたのでは無かったのか。
何故それが今になって、怖気づく。
そんなことで。
俺への信頼を…それで示したつもりか?
ふざけるな。
それでもお前は、俺の友達かよ。
“そうか。一匹で、あの洞穴を、延々と歩き続けるのは、さぞかし恐ろしかったであろう…”
“それ以外は、何も…?”
俺や、二人への伝言も?
ふむふむ、そうか。
ああ。皆、無事にそちらへ帰還したのだな。
それを聞きたかった。
安心したぞ。
あいつら、風邪など、引いてはおらぬか?
此処はヴェズーヴァとは、気候がまるで違うからな。
そうか。元気に跳ねまわっているか。
うむ。ならば、良かった。
“……。”
そしてSiriusは、やはり臨場せぬらしいな。
“Skaは……。”
“本当に、何も…?”
Skaは、俺達の間で過ごされる時間を、見たくないと目を瞑ったのではない。
彼女が、彼女自身の気持ちに、正直になれるよう。最良の選択をしたつもりであるのだ。
Yonahがこれからしようとしていることが、浮気だなんて、そんな言葉で片付きませんように。
今度こそ、その瞬間に、彼女が自分に呼び止められるような後味の悪さを、覚えてしまわないように。
自分なんて、初めからこの世界に、いなかったと思って貰えるように。
‘ヨ、ヨナっ…?待って…!?’
‘迎エニ来タンダ。Yonah。’
Fenrirさんが、彼女にとって、最愛の存在の代わりとなれるのなら。
僕はそれが、一番幸せなんです。などと。
そんな薄ら寒い自己犠牲を。
お前、そんなに腰の引けた犬だったか?
本気でぶつかる時は、俺に向って、牙を剥くのさえ、厭わなかった奴だと思っていたぞ。
“……。”
そんな殊勝な物言いを褒めてやるほど、
Teusは頭お花畑じゃない。
無論、俺もだ。
“あの、お人好しが……。”
そう何度怒鳴り、また心の内で毒づいたか分からない。
主人と、良い勝負だとだけ。
次に会うとき、そう言いそびれぬようにせねば…
“……?”
“な、何でもない。…その、本当に、遥々お越しいただいて、感謝する。”
どぎまぎしないだけ、まだ救いだ。
繰り返すが、本心から俺自身は彼女のことを、嘗ての番であったなどと、ただの一度も感じたことは無かったから。
とは言え、初対面からの印象は、大きく捻じ曲げられてしまったのも事実ではあるのだが。
”...どうだ、その…互いが、供養の場を与えられたと願うのも、悪くは無かろう?”
彼女もまた、立派な客人の一匹であったのだ。
どうかご満足いただけると願って。出来る限りの歓待で応える他あるまいと。
“さあ、おいで。持て成せる食事だけは、山ほど抱えているのだ…”
今は割り切って、Skaの無駄な計らいに、感謝できるような気がしている。