282. 悠長な再構築 2
282. Patient Rebuilding 2
「やっぱり、連れて行って貰えば良かったかなあ…」
「ボールって、犬じゃ無いんだから…ねえ、Freya?」
Fenrir自身が、憤慨して言いそうな台詞を、俺が口にしてしまうのだから、本当にとんだお笑い種。
約束していたよりもだいぶ早い。彼は日没にふらりとリシャーダへ立ち寄って、俺達に姿を見せた。
「あれ、お帰り!どうしたの、何かあった?」
二人の談笑に夢中になっていたせいもあるだろうが、何の前触れもなく、影が色濃く落ちた巨体が現れるのには毎度驚かされる。
最も、Freyaの方は、俺の話にうんうんと相槌を打ちながらも、疾うの昔に、彼の接近に気が付いていたのかも知れないけれど。
自分だけが何も知らない世界であっても、良いのだ。
俺は神々に見降ろされている日々に、慣れなくてはならない。
「いいや、何というか…日中の移動は、思ったよりも身体に応えるのだなと、思っただけだ。」
「今日、ちょっと暑いぐらいだったもんね…」
ヴァナヘイムとは、季節が逆行してしまっているのではないかと思う程だ。
冬毛を立派に纏った彼が、誰にも見られずに済む間だけでも、情けなく舌を垂らして歩いていたのは、想像に難くない。
「今朝、お願いした通りだが…一晩、このまま明かせそうか?」
口元には、夜間も変わらず出店を構えている例の通りで調達してきたと思われる夕食をいっぱいに抱えている。
それを目の前にぶちまけると、もうじき唯一の灯となるであろう篝火に一吹き、炎を放った。
「勿論、任しといてよ!二人いれば、君も安心だろ?」
「そうだな、お前だけでは、幾分か心細かったが。交代で番をしてくれるとありがたい。」
「寝落ちなんてしないさ…」
そうは言いつつも、実はちょっと頭がお休みモードになっていたので、体内時計に抗えるか、心配になっていた所ではある。
Freyaに肩を優しく叩かれて、夢から抜け出すことが出来るか、正直なところ自信は無い。
まあ、そんな弱音を吐けてしまうぐらい、最近は穏やかな眠りにつけているのだから、これ程嬉しいことは無い。
「ちゃんと食べに帰って来てくれて、安心したよ。」
彼との会話で、ちょっと目が醒めたので、俺は出来るだけ引き留めてみようなどと目論んでみる。
「そっちはどう?首尾よく進んでる?」
「ぼちぼちだ…これを腹に詰め込んだら、洞穴から北西の外れを見て回ろうと思う。それで、一応は周辺の地図を頭に叩き込めたことになると考えている。」
「それは良かった!順調そうだね。」
「遂行率は、75%と言った所だ。」
「流石…もうそこまで探索したの…?」
「背中で足を引っ張る、器用な連れがいなければ、こんなものだ。」
「背中で…悪かったね。」
「しかし、此処からが正念場であるぞ。完璧に近づけるのが、一番労力がいるのだからな。」
「う、うん…くれぐれも、気を付けて?」
一夜にして、この島の王になろうと言うのだ。
それは幾ら大狼の名を気取ったとしても、容易に成し遂げられるものだと思わない方が良い。
なんて引き締まった面持ちで言い残す彼が、俺にはお友達を家に迎えるにあたって、張り切って持て成そうと準備に勤しむ子供のようにしか見えなくて。
いそいそと尻尾を振りながら、FenrirがSkaとその群れがやって来るのを待つ姿が、勝手に脳裏に浮かんでしまうのだ。
「特段、不審に思った点は無い。だが…」
「何か…?」
「栄えている岸辺は…此処以外には、見当たらなかったな。」
「そうなの?それは残念だね…」
「残念、とは。どういう意味だ?」
炎の揺らめきを湛えた瞳が、此方を向く。
「え? Fenrirの休憩地点が他にもあれば、探索が楽になるなと…」
「あと、単に、此処みたいな場所があれば、観光したいなって…」
「…ということは、お前もこの土地事情に詳しくは無いのだな。」
「うん、生憎だけど…最初に言っただろ?」
「ふん。ならば、それで良い。」
「え…何だよそれ。」
何か、気になるものでも、見つけたのかな?
本当に、危険を感じる場所であれば、寧ろ俺達に隠したりすることは無いだろうけれど。
「別に。ただ、リゾート地らしく無いなと思っただけだ。」
「さて、そろそろ行くぞ。お前の興味を惹くようなものがあれば、土産話に持って帰ってやるとしよう。」
「うん。楽しみにしてるよ。新しい観光地が、増えると良いね。」
「期待はするな。まあ、生活が落ち着いたら、好きなだけ付き合ってやるとも。」
「うん、必ずだよ?」
大口をかぱりと開いて欠伸をするFenrirは、闇夜に輪郭がぼやけ、いつもより二回りほど大きく見えてしまう。
「大丈夫?眠たそうだけれど。」
「食後はそんなものだろう。歩いていれば、直に冴えて来る。」
「それに、波があるのだ。たっぷりと眠っても、瞼が開かぬままの時と、数日碌に休まなくても、身体が活発に動く時期が、交互にやって来る。此処に来てから、今は一番調子が良い。」
それって、狼の生態と関係なく、問題あるんじゃ…
「まあ、自分の心配をしろ。睡魔は、狼よりも遥かに優れた狩人だ。」
「うん。冷え込まないかだけ、心配だったけど。火を起こしてくれたから、きっと問題ないよ。」
「ああ、Skaの居ぬ間だけ、辛抱してくれ。」
「ねえ、Fenrir。やっぱり…」
「やはり、何だ。」
「……。いや、何でもない。」
「行ってらっしゃい。」
「ああ、何かあれば、躊躇うこと無く、呼ぶことだ。」
「ありがとう。気を付けて。」
分かってる。一匹にしてあげなきゃならないんだけど。
気になる。
これは、狼が縄張りを形成するに至るまでの、貴重な行動記録になるのだから。
賢人とは程遠い自分でさえ、知的好奇心に胸が躍る。
彼は人間の臭いが蔓延る野道から、どのように自分用の獣道を伸ばすだろう?
マーキングの間隔は、何kmぐらいでするの?尿意に依存する?
この島を、隅から隅まで歩いて回った結果、彼の根城は、あの洞穴に落ち着くのかな?
どれもこれも、彼の口からではなく、あのふっかふかの背中の上で、わあわあと叫びながら、目の当たりにしたい。
彼の冒険譚は、俺の一生よりも、ずっと長く語られるだろう。
それを読み聞かされるだけでは、もう満足できる身体では無い。
あの縄張りを一緒に見て回った俺には。
具に、目の前で。
でもそれは、野暮と言うものだ。
檻を外から眺めるのと、さして変わらない。
邪魔せずにいよう。
狼の私生活の、その全てを覗き見ようと思うのなら。
俺は始めにそうしたように、堂々と森の中に迷い込んで鉢合わせるぐらいの礼儀を弁えていたい。
強大な運に支えられつつも、自力で君の元に辿り着きたいんだ。
「でも、それも、この身体じゃなあ…」
こんなに狭い、とFenrirは言うけれど。
俺じゃあ、中央闘技場まで辿り着くので、今日の残りを費やしてしまいそうだ。
それに、彼の言う通りに、俺はこの金属箱の見張りをしなくてはならない。
何も起きそうには、見えないけれどな…
あっちの様子は、どうなんだろ…
ヴェズーヴァは、領主を失い、再び平穏を取り戻していると良いのだけれど。
そこら辺の話も、あの狼が帰って来たら、教えて欲しいな。
Fenrirだって、彼方の冬景色を、間接的にでも味わいたいはずだ。
「ねえ、Ska……。」
「……。」
「あはは、何言ってるんだろ俺…」
「Freya、もうすぐ、お客さんが来るって。」
「誰が、会いに来てくれるんだろうね。」