277. 厳かな迷子石 2
277.Grim Megalith 2
やることは、至って簡単だ。
“それじゃあ、準備は良いな?Ska。”
“準備も何も、僕、ぶら下がってるだけなんですけど。”
素朴な疑問を、実行に移すことは、最も効果的な糸口の発見に繋がるということだ。
“覚悟は良いかと聞いているのだ。”
実際、本当に何が起こるか分からぬのだぞ。
“だ、大丈夫ですよ。暴れたりなんか、しませんから…”
“よし、では行くぞ…”
そう、単純な話であるのだ。
この隧道は、まだ開通されているのだろうか?
その検証を、俺達はまだ済ませていない。
俺達は、この暗闇の最奥へ到達できるのか。
将又、反対側へと抜け出てしまうのか。
まだ、持続性を有しているのであれば。
それを、確かめる必要がある。
Teus御一行が、Lyngvi島へと渡航した際、俺が実は未だヴェズーヴァで足止めを喰らっていると考えるなら、まず初めに起こす行動は何だろうか。
ああ。俺に、文句を言いに来るに決まっているよな。
Skaの証言する激昂が、どの程度のものを指しているのかは定かでは無いが、
まあ顔を真っ赤にして、泣くだろうと思う。
あいつが俺に対して、本心から来る怒りを覚えたなら、そうする。
そして、実際にそうしたかったはずだ。
これが、不測の事態ならば。
Skaの判断は、正しかった。
想定外の挙動を示したこの金属箱に、迂闊に近寄ってはならないと考えるのは、全く以て自然な狼の解答だ。
臭いを嗅ぎ、軽く噛んでみることで反応を見るぐらいのことをしても、普通は警戒心を解けば罠に嵌ると心得る。
寧ろこいつが、人工物に囲まれた環境に慣れ親しみ過ぎて、そんな軽率な行動に出るのなら、寧ろそちらを不自然だと俺は捉えただろう。
しかし、Teusは、Skaにそのような判断を、助長させたのではないかと、俺は邪推する。
そうだ。良くないことだと分かっているから、そんな言葉選びで後ろめたさを紛らわせたい。
彼は、得体の知れぬ力を帯びた抜け道に対して、過剰な反応を示したのでは無いだろうか。
俺と逸れたと知るや、金属箱の奥まで走り寄り、重たく閉ざされた城門を叩いて喚くような無力さを示す代わりに。
俺とは、もう自分の意志では、もう二度と逢うことが叶わないという恐怖心を自らに煽った。
言うなれば、この方舟を、怪物に仕立て上げた。
確かに、危険だ。
今度は、誰が、地平の彼方に消え去ってしまうのか。
そう考えたなら、迂闊に足を踏み入れることは出来まい。
自然だ。極めて、合理的だ。
そしてそれは、彼が怒り猛ったという、平静さを保てぬ状況に合致しない。
多分、これはTeusが、別の意味でやりたがらなかったことなのだと思う。
だから、今のうちに済ませておきたい。
もしこれで、TeusとFreyaだけがLyngvi島に取り残されるようなことになれば、今度こそ俺はTeusの逆鱗に触れることになるだろうが。その時は、その時だ。
もう一度ヴェズーヴァから、馳せ参じてやろうじゃないか。いや、二度と口を聞いて貰えないか?
まあ、万に一つも、そんなことは起こるまい。
何故なら、俺の推測が正しければ…
“痛っ…”
数歩も進まぬうちに、答え合わせは終わった。
鼻先がむにゅっと凹み、続いて口元で大人しくぶら下げられていたSkaが小さな叫び声を上げる。
“やはりそうだ。こいつは俺のことを、通してはならない異物と認識している。”
“僕が一緒でも、駄目なんですね…”
爪がかちゃりと金属の床に着地する音と共に、Skaは自由になった身体をぶるぶるっと震わせた。
“うむ。となれば、次にやることは…分かっていような?”
“はい。もうこのまま先に進んでも良いですか?”
“いや、一度俺は外に出る。その方が、確実だろう。”
“えっ、じゃあ僕も一端出ます。”
“何でだ。お前は此処で待っていて良いぞ。”
“い、嫌です…”
“もしかして、怖いとか言うのでは無いだろうな?”
“だって、暗くて何にも見えないんですもん!”
“あのな…、ああ分かったよ。”
嘆息を既の所で飲み込み、彼の張りつめた表情を想像して、それを受け入れる。
彼が感じているのは、闇夜の森に潜む化け物の恐怖ではない。
これから始まろうとしている、前触れ無き転送に対する緊張が、拭いきれずにいるのだ。
“済まないな。お前を一匹で送り出すようなことになってしまって。”
入り口を出ると、少しだけ外の空気を好ましく感じることが出来た。
夏の終わりを思わせる涼しさを、安堵と履き違えたのだ。
直に、すっかり日も登り、どうしてそんなことを考えたのか、不思議に思うことだろう。
“い、いえ。別にそんなこと無いです。”
“僕は…Fenrirさんのこと、信じていますから。”
“どうした。何を急に…”
“僕はTeus様のことも、信じています。”
“……。”
“さっきの話。僕は、聞かなかったことにさせて下さい。”
“……。”
“…ああ、勿論あれは、俺の独り言だ。”
“お前が小耳に挟む筈もあるまい。”
“…ありがとうございます。”
何故、感謝をされなくてはならないのか。
“なあ、Ska。一つだけ、聞いても良いか?”
“……はい、何でしょう?”
“俺は、お前が嘘を吐いていたとしても、きっと分からないだろうと思う。”
“はい……?”
“…何でもない。”
“俺も、お前を信じることしか出来ない、というだけだ。”
“さあ、行ってこい。”
“皆には、俺が済まなかったと言っていると、伝えてくれ。”
“ま、まだ、成功するとは限らないじゃないですか…”
“しかし、今のうちに言っておかなくてはなくては、遅いだろう。”
それに、野生の勘が備わってなくとも、きっと成就するという予感があった。
“F、Fenrirさん…”
“やっぱり、僕、怖いんです。”
“……。そうだな、俺がお前だったら、尻尾を股の下に仕舞い込んで、情けない歩き方になっていたと思う。”
“…お願いがあります。”
“ぼ、僕の足音が、聞こえなくなるまで…”
“貴方の遠吠えを、聞かせて貰えませんか?”
“俺の……?”
“俺から、か……?”
でも、お前は、吠え声を、返してくれないのだろう?
“いいえ。きっと、皆で。”
“皆で、応えますから。”
“……分かった。”
“きっと、届くよな。”




