271. 避寒 2
271. Winter Retreat 2
彼の心中は、相当に揺らいでいたと見える。
俺達が、いつもより贅沢に朝食を終え、転寝を初めてやろうかとして尚、姿を現そうとしなかった。
“昨晩は、何があったのでしょう…?”
“別に。昨晩の嵐で、図書館の一部が損壊したと騒いでいただけだ。”
一階の窓ガラスが、軒並み割れてしまっている。
余りの風通しの良さに、我慢ならずに俺達を呼んだということらしい。
“屋内に立ち入るのは、やめておけ。そこら中にガラス片が飛び散っていて、うっかり踏むと怪我をする。”
“えっ、本当ですか。それは、まずいですね…Teus様とFreyaさんが安心して過ごせる唯一のお家だったのに。”
“修理の目途は、まだ立っていないが、これからの季節を考えると、ヴェズーヴァのあばら家に二人で住ませるのは、あまりにも不用心だ。”
“仰るとおりです。僕がベッドで一緒に眠るとかすれば…”
“そういう訳で、一時的に、TeusとFreyaを、退避させることにした。”
Skaは驚いた表情で、群れの周辺で異常を察知したように首を擡げる。
“…どちらへ、でしょう?”
“お前、覚えているか。二人が春先に訪れた、海岸沿いの、あの景色を。”
“はい、勿論。覚えています。”
“ちょうど良い機会だ。あの滞在の続きを、Teusは所望している。”
“な、なるほど。それは、良いかもですね…”
“…今度は、ゆっくり、できると良いなあ。Teus様。”
がつがつと飲み込む肉塊のようには行かず、ゆっくりとその言葉を飲み込もうと、難しそうな顔をして俯く。
“…随分、急に決まったんですね。”
“前々から、あの塔は広すぎて寒々としているとぼやいていたからな。今回の件で、もう耐えられ無くなったのだろう。”
“Fenrirさんが、温めてあげれば良いのに…”
“御免だな。俺はお前と違って、あいつと眠るのが好きではない。”
“えー…もったいないですよ。とっても良い夢が見れるのを、Fenrirさんは知らないんですか?”
“まあ確かに、悪い夢は、見なかったな。”
“あ、やっぱりそうですよね!僕だけじゃ無かったんだ…”
Skaはそう言って、嬉しそうに耳を弾く。
羨ましいことだ。目を瞑るだけで、お前はいつだって、あの人に会いに行けるのだな。
のろまな俺は終ぞ、一晩だって、一緒に走ることを許されなかったがなあ。
“そうだとしても、俺は夜中に散歩に出掛けられないベッドの役割は御免被るのだ!”
“それに、この提案は、俺が持ち掛けたものでは無いこと、此処で強調しておくぞ。”
“…ってことは、やっぱりこの前のお手紙の…”
“…まあ、そういうことだ。”
嘘は吐いていない。
しかし、言葉を濁していたことが、却って彼の不信感を煽ったと後悔した。
“俺たちは、あの送り主の言葉に、甘えようと思う。”
“そう、ですか。”
“Teus様、あんなに嫌がっていたのに…”
“背に腹は、代えられないということだろうさ。”
どれくらいの期間になるか、はっきりとしたことは言えないが。
何も、ずっと帰ってこないという訳では無い。
その間、お前たちの元気な姿を見る為に、頻繁に此方に帰らせることを約束するとも。
尤も、その為に苦労させられるのは、俺になりそうだがな。
“そうじゃなくて、Teus様は…”
“いずれは、こうなっていた。きっかけが、何であっても。だから…”
“……悔しく、無いのですか?”
“……。”
“分かってます。僕じゃ何も出来ないって。”
“僕はあの時、Teus様の言う通りにしか、出来なかったから……”
“僕を追放することでしかっ…僕のことを、救えないTeus様に…”
“僕はぁっ…僕は…何も出来なくて…貴方の ’束縛’ に頼りましたっ…!”
“僕はっ……僕はまた、何も出来ないんでしょうか?”
“僕はっ…また、また同じように、何かを犠牲にしなくては、なりませんかっ??”
“僕はっ……僕はぁっ……”
やめろ。やめてくれ。
お願いだから。
“Ska…”
“…ずっと、とは言わない。”
“…あいつと一緒に、来てやってくれないか?”
“っ……?”
“当り前じゃないですかっ!!”
彼は、微塵の恐れも抱かず、物凄い剣幕で唸った。
上位の狼に対する畏れなどでは無く、本気で牙を剥いたのだ。
“ぼっ…僕のことっ…置いていくつもりだったのですかっ!?”
“あんまり、僕のこと、馬鹿にしないでくださいっ!!”
“す、済まない…そんなつもりでは…”
“行きますっ!行くに決まってる!地獄の底まで、僕はついて行きますからっ!!”
“わ、分かった…分かったから…”
地獄の底、という言葉に、どきっとした。
何処で覚えて来たのだ、そんな縁起でもない言い回し。
俺しか、吸収の機会は無かったか、だとしたら、口はとんでもない禍の元だ。
“僕のこと置いて行ったら、群れの皆で、この世界を何処まででも、探しに行きますからねっ!!”
“あ、安心しろ…そんなことはさせない…約束する。”
“だ、だから…”
“Ska、どうかその泣き顔を、Teusに見せないでやってくれ。”
“………。”
“お前のそんな顔を見たら、あいつは頑として此処に残ると言って聞かなくなってしまう。”
俺は恐る恐る、Skaの顔面を舌で拭って、彼には到底分からぬであろうが、畏れのあまり、媚びるように耳を寝かせたりなどする。
“Fenrirさん…?”
そんなことをTeusにしたら、卒倒してしまうだろうなという気が、ふとした。
“ほら、主人がお呼びだ。”
“いつものように、お迎えに、伺ってやれ。”