261. 革の戒め 9
261. The Loejingr 9
Torは、俺が示した半服従的な姿勢を穴の開く程見つめ、未だその真意に裏が在りはしないか、見定めかねているらしかった。
側近の耳打ちも、全部丸聞こえであると分かっていそうなものだが。
ああ、勿論都合よく、届いていないとも。
少しも、不穏に響いてなどいない。
「どうする……。」
「本当に、我々で…?」
「’あれ’ の効果は、確かなのだろうな?」
「もし失敗すれば、我々の命は…」
しかしいつまで、こうしていれば良い。
この姿勢を解く唯一の手段は、お前達が俺の首筋の毛皮に、牙を嚙合わせることだけだった。
そして直ちに、興味を失うこと。それが、俺が上位の狼に対して赦される形式的な決着であるのだ。
それを知らぬお前達に対して、人間でありたいと願った半端者がやることでは無かったのかも。
今更そう思い始めても、遅いことだ。
ただ、俺は無性に遜りたくて、何というか、いつも通りだったのだ。
人前では、良い仔でいたい。
「Teus……」
しかし彼らの話し合いは、一向に終着の兆しを見せない。
余りにも不格好なので、俺は到頭そのまま寝ころび、Teusの方へと顔を向けて寛ぐ素振りを見せた。
無害な申し出が出来れば、もう何だろうと良い。
「ごめんね?もうちょっと、我慢して…あいつら、優柔不断な所あるから。」
「…俺は、全然…」
全然、嘘だ。
こんな針の筵、早く抜け出して森の中に駆け込みたい。
というか、この場に俺一匹であったら、迷いもせずにそうしている。
「早く、終わりにしたいよね。こんなこと…」
こうしてお前を見上げると、病に瀕し衰弱し切った自分を思い出す。
そうやって無根拠に笑ってくれるだけで、頼もしいことこの上なかった。
どれだけ心が荒もうと、結局ただの一度だって、それを薄っぺらい作り笑いだって思ったことは無かったな。
いつまで経っても、こんな風でいるのだから。
こいつが老い耄れていくのが神々の摂理であるというのが、正直俺の中では納得が行っていない。
お前は、こんなに沢山の狼たちに、必要とされているんだぞ。
「……待たせたな。Teusよ。」
「あのさ。話しかける相手、間違っているんじゃない?」
「おい、Teus…」
「君たちが待たせてるのは、Fenrirの方だって、見たらわかるだろう?」
「う、うむ…」
「良かろう、我々は、其方を裁こうと思う。」
「それは…それは、有難いことです。」
裁く、か。
十と七つの年余り、遅い審判じゃないか。
もっとお前たちは、早く決断を下していたはずだ。
俺は、悪い狼であると。
それがどうして、今になって。
「どのようにして、私を裁くのですか。」
「…それは、主の眼によって、確かめるが良い。」
別の男の声が、躊躇するTorに代わって響いた。
そうそう。それで良い。
多勢を気取って、恐怖心に打ち勝ってくれ。
「何が始まると、言うのです?」
「我らの父は、既に其方を裁く秤を、用意してくださっておられるはずだ。」
「……?」
俺を直視するなど、その怯えようからして、あり得ないことだ。
彼らの視線は、俺の背後に聳え立つ、金属の箱船に注がれている。
用意の良いことだ。既に運搬済みである、という訳か。
小さくなって震えていた俺のことを、そいつはじっと暗闇から眼光鋭く見つめ、罪の色を見定めようとしていたらしい。
全く以て、その気配を感じられなかったが、別に驚くには値しない。
ご馳走の宅配も、思い返せばいつだって唐突であった。
運ばれる臭いで、初めてその到着を知覚させられていた。
「秤、か…。」
何の比喩かは知らないが、体重計の代わりになるものがあるのなら、初めから此方に寄越してくれれば良いのに。
「ではどうぞ、中へお入りになって下さい。」
俺は、彼らに半開きの入り口が見通せるよう、徐に立ち上がって脇へ退いた。
裁きの儀になくてはならない、重要な神具であるのなら、何故それは彼らの懐に携えられていないのか、気にならない訳では無かったが、先に覗き込むというのも無粋だ。
きっとそれなりに重量のある…悍ましい造形をした、拷問器具を思わせる代物なのでは。
やけに切れ味の悪い予想が立った。
「……。どうしたのです。」
「…それとも私がそいつを咥えて、皆様の前にお持ち致しましょうか?」
それが俺を痛めつけるための趣向が凝らされた遺物であるのだとしたら。
そいつを自らの口に携えて、運ばせるというのは、この上なく屈辱的であるという気がしたのだ。
まるで、磔刑の十字架を運ぶような。
「…そうするが良い。Fenrirよ。」
「…ええ。仰せの通りに、致しますとも。」
俺は、舞台からの、暫しの退場を許された。
数秒後には、もっと醜い面を下げて、幕の裾から姿を現さなくてはならないとしても。
正直、心の底からほっとしている。
膝が震えて、そのまま折って腹から崩れ落ちそうだ。
それだけ、達成感があった。
俺も、彼らも、取り乱すことなく、実に人間らしいやり取りを、紛いなりにも続けることが出来たのだ。
これで良い。
あと少しだけ、このまま、吐き気を催すような緊張感に、耐えるだけ。
「……。」
暗がりに目を凝らす感じは、洞穴の陽の光の届かぬ最奥を思わせる。
其処に誰もいないと分かっていても。何者かが潜んでいる期待を拭いきれない。
潜り込んで休むには、余りに人間臭かったが、印象はそんなに悪く無かった。
「……出てこい。」
「其処に、いるのだろう?」
そんな風に呼びかけてみても、反響するのは、震えた俺の声だけだ。
「……?」
そいつに、意志の類は無い。
足元に媚びるようにして這い寄る、ざらざらとした重たい感触も。
「……。」
きっとあの日と変わらず、
四肢に纏わりつくだけなのだ。