261. 革の戒め 8
261. The Loejingr 8
俺は穴の開く程、Teusを見つめた。
ちょっと憎悪すら芽生えた。
何てことを言いやがるのだ、と思った。
全て、俺次第だと?
俺が怯えず、ちょっと勇気を出すだけで、
この場を乗り切れると言うのか?
「役割を、果たせ…か。」
俺の役割とは、何だ?
彼らに望まれたような、疎ましい怪物であることか?
そうじゃないよな。
俺、どうしてお前と一緒にヴェズーヴァに残ると決めたのだったか。
神々が、命を賭してまで俺のことを護ってくれたTeusの今を誹るような素振りを見せたら。
そうじゃなくてもTeusが返答に窮し、何か苦しい状況に直面させられたら。
傍らに立って、どんな威圧的な視線を跳ね返して、
こいつと、その縄張りを、護ってやるためだった。
出来るか、この俺に…
そんな大それた役割が。
こんなに青褪めて、震えているのに。
「……。」
「あー…」
鼻先を舌で慎重に舐め、俺は目の前に立ち並ぶ神々に対し、己の顔を低く降ろしたまま晒す。
上目遣いに正対させる時、それは挑戦的で、かつ警戒心の威圧的表示だ。
「…良くぞ、参った。」
全員が緊張から吐き出せなかった息を、不用意に漏らす。
まるで、大狼が喋ったことに驚きを隠せないみたいだった。
此方の方も、脚が竦み上がってしまって、次の言葉が出てこない。
また尻尾から、一瞬意識を逸らしてしまう。
すぐそうやって股の間に隠れようとするんじゃない。せめて、無表情を気取って垂らしておけ。
「……其方の名は、何であったか。」
先頭に佇む彼は、唖然として凍り付いた表情を、死人のようにぴくりとも動かさない。
「失礼、其方の…」
「’トール’ だよ、Fenrir。そう呼んであげて。」
Teusは、間を取り持つぐらいの仲介人にはなってくれるらしい。
そうか、俺にとって、彼は俺の友達の友達、という訳なのだな。
それにしては、どうしてこうも、心がときめかない。
悲しいかな、直感的に予感してしまえた。
彼はのちの物語においても、Skaのように、俺の心を開くように関わっては来ない。
結局のところ、俺が漠然と夢見た、アースガルズの原住民との邂逅とは、こんなものだった。
彼は、俺の知らない、恐ろしい神様の一人でしかない。
彼は、最後まできっと、俺の道と、交差しない。
それは、俺の尻尾を萎ませるほど、悲しいことであったはずなのに。
今だけは、その場しのぎであっても良いから、ただ今のやり取りを終わらせてそれきりにしたかった。
「ああ、トール…Tor…であった…」
「歓迎しよう。Teusのご友人よ。」
「…俺は、主の招集に応じ、姿を現した。」
「この狼に、一体何用であるかな。」
俺はその気になれば、腹をも晒す覚悟だった。
とことんへりくだり、溢れ出る謙遜の意を神々の前に示す用意が出来ていた。
「其方らは、私の行き過ぎた行いを、疑っておいでのようだ。」
「神々は、それを、どのように罰するのです。」
でも、演技なんかでは無かった。
怖くて堪らなかったから。
初めから、びくびく、おどおどしていただけ。
ただ、仔狼のように、何も知らずに、無垢な言動をすることが憚られただけ。
「……い、いや。それは語弊があると言うものだ。狼の仔よ…」
TorはTorの方で、未だ俺の風貌に動揺を隠せないでいるようだったが、
いつまでも閉口していては、流石に歴戦の兵士の名が廃るのだろう。
口調に落ち着きを取り戻せずとも、彼もまた役割を果たそうと勇気を翻した。
「Tor。」
すかさず一本の横槍が頬を掠める。
Teusは、調子に乗り始めている。
「彼にはFenrirって、素晴らしい名前がついているんだ。」
「こ、これは失礼をした…」
こいつ、まさか本当に引き合わせる役割でも、買って出ているつもりか。
やめてくれ。仮にも友達なんだろう?
こんな時に、愛想を振舞わせるなよ。
「Fenrir…殿、…」
こいつ、マントの中で、手が震えていやがるんだぞ。
互いに、一触即発の、その逆だ。
引き攣った笑みでさえ、見せる余裕を持ち合わせてなどいない。
ちょっとでも、相手が変な素振りを見せたなら、忽ち踵を返して逃げ腰を晒すだろう。
野生の狼と、武器を纏わぬ人間が相対したなら、きっとそれはこのようだ。
「…仰ってください。Tor殿。」
「私は、Teusの住む縄張りの為に、何ができる。」
…しかしその手に握られた槌を振るうのに、躊躇があるようでは、困るのだ。
彼は如何なるときでも、勇敢でなくてはならない。
そのように、称えられてきたはずだ。
思い返せば、俺はどうして初めて会ったTeusのことを、そのまま気分よく追い返すことが出来なかったのだろう。なんてことを考えてしまうんだ。
別に、俺がどれだけ話術巧みに、死なせてくれと熱望しようと、彼の心は動かなかっただろうけれど。
ただ一番の後悔が何であったかと尋ねられれば、間違いなくこれだ。
俺は、Teusのことを、震え上がらせてしまったんだ。
お帰り願おうと焦るあまりに、俺は彼の首筋を牙で撫で、命の危険に涙を流させた。
もしやり直せるなら、喩えその結果が今とかけ離れてしまうのだとしても、それだけは改めたかった。
ずっと、引き摺って行くんだろうなと覚悟しながら、地獄まで持って行くつもりの思い出だ。
その糧は、此処に生かされるべきだろう。
ああ、追い返してやるとも。Teus。
しかし、最も人間らしい方法に頼ろうではないか。
俺は姿勢をさらに低く下げ、腹を地面へと近づける。
「私は無害であると…貴方たちに、どのようにして証明できる?」
喩えそれが、狼として最も屈辱的であるとしてもだ。