261. 革の戒め 7
261. The Loejingr 7
一番最初に視界に入れたかった人間は、勿論お前だった。
Teus、Teusは何処だ。
すぐそこに、居るな。
ゆっくり、歩いて、
お前の傍らに控えていれば良い。
舞台袖と、お前の隣だけが、俺の生きられる成層圏だ。
これでも登場の仕方には、細心の注意を払った。
というか、仔狼のころから俺は、そうしてきたつもりなのだ。
警戒心から来るいつもの癖で、頭を低く落とし、背骨を突き出すようにして歩いてはならない。
それではちょうど、大人の人間たちの視線が俺の鼻面に突き刺さる。
一番避けなくてはならない面会だ。
第一印象が大事なのは、もう痛いぐらいに承知している。
俺の方も、目線があってしまうだけで、心臓が止まってしまってもおかしくないぐらい、緊張させられているんだ。
だから、堂々とだ。
怯えは、反射する。
俺が子供達を怖がっていたから、
俺は怖がられていたんだ。
分かってる。視線は震えて仕方無い。だが、姿勢を正せ。
髭も、耳も、情けなく垂れていて良い。
唇が横に引かれることはあっても、口は閉じて、牙は覗かせるな。
だが、尻尾だ。尻尾だけは、虚栄でも威厳を纏え。
逃げ腰になるな。
Teusのように、吠えるだけの、無骨な怒りじゃなくて良い。
ただ、淡々と、役目を果たせ。
Teusのご友人を、歓迎せよ。
このお披露目が、最初で、最後になることを願って。
「……。」
初め、神々の視線は俺の思惑通り、足元に注がれていた。
やった、と思った。
俺の咄嗟できめ細かな気配りは間違っていなかったのだ。
しかし同時に、おかしい、と思わない訳でも無かったのだ。
俺に纏わる個人情報は、例の身体測定と、知能検査によって、彼方に筒抜けである筈だからだ。
少なくとも、今から疑ってかかろうとしている相手に面会しようって言うのに。
まさか何も知らされていないってことは無いだろう?
だが、この感じは、明らかにそうだ。
「なっ……。」
ゆっくりとその視線は、幹の様に太い足元から、その頭上へと移っていき…
それでもそいつの全貌を捉えるには足りないと分かると、
顔面を恐怖に引き攣らせて、
一歩、退くのだ。
「っ…んだ、と……?」
俺の影が、彼らの頭上を流れる暗雲の如く覆う。
俄かに広がったどよめきも、何かの刺激に繋がりかねないとでも思ったのか。
その巨大さに、呆然として立ち尽くし、武器を携えていた手は垂れ下がったまま。
誰一人だって、沈黙を破ろうとしない。
ほら、やっぱり。
この神様たち、捨て駒だ。
何も知らされていない。
俺の体格の成長具合は、
精々最後に目撃されてから、倍を超える程度。
そんな馬鹿らしい憶測に支えられた、虚勢だったのだ。
「……。」
全員の視線が、俺の左顔面の毛皮を焼いた。
絶対に、見ちゃ駄目だ。
素知らぬふりをして。笑い返すような愛想なんて、これっぽっちもくれてやる余裕はないんだ。
歩き続けよう。
産まれた時から知っていたはずの四肢の動かし方さえ怪しくなって来るけれど。
優しく見守ってくれるTeusの顔だけに、集中して。
彼だけは、微笑んでいてくれたから。
激しい叱責の後を僅かに残し、少し引き攣ってはいたものの、俺をそうやって安心させようとしてくれるのはお前だけだ。
「…おいで。」
Teusは、俺に向って、右手を差し伸べる。
この場において、俺が全くの無害であることを示したかったのだろうか。
或いは、俺がそうであるように、誰でも良いから誰かに触れたかったからか。
いずれでも構わなかったから、言われるままにそうした。
「うん、ありがとう。」
「Teus……。」
それだけで、ちょっと涙腺が痛くなった。
「俺は……どうしたら…。」
「勿論、普段通りに、喋ってくれて構わないよ。」
お、俺が話すのか…?
もう、この状況が、普段通りではないんだ。
彼らも、幽霊街の住人達のように、朧げなそれであったなら、幾らか気丈に振舞えたりもするのだが。
出来れば、Skaみたいに、人間の言葉を解することだけの叶う狼として振舞いたいぞ。
「ごめんね。嫌なことは、きちんと嫌だって、言って欲しかっただけ。」
そんな不安が瞳を暗くしたのか、Teusはすぐさま小声でそう付け加える。
「嫌なら、それでこの話は、これでお終い。あいつらには、この場でお帰り願おうじゃないか。」
「し、しかしそれでは…」
「別に今回は、何か交換条件を突きつけられている訳じゃない。」
君は僕らの食糧難を人質に取られ、自らの身体を曝け出す様な屈辱を受けていた身分とはもう違う。
純粋な一匹として、心外な疑いの眼を向けられているってこと、忘れないで。
「…それとも、断ったら、怒られるとか思ってるの?」
「あ、ああ…」
「ふふっ、Fenrirらしいや。」
「でも、見てごらんよ、あいつらの顔。」
「無理だ、Teus。怖くてあっちなんて向ける訳…」
「おんなじ顔、してるよ。」
「……。」
「多分君がちょっとでも、人間の言葉を吐いたら、全員が言う通りにすると思う。」
彼は、それが面白くて堪らない。
厚顔かつ傲慢な来客たちの態度が豹変するのが、愉快だと捉えられるだけ、彼らのことが憎い。
「ごめんごめん…、でも、全て君に委ねられているって、言いたかったんだ。」
「Fenrirは、ちゃんと自分の役を演じていれば、それで良いんだよ。」
「俺はちゃんと、自分の役割を果たす。少しでも気分が悪くなるようなことFenrirにしたら、直ちにやめさせるつもりだけれど。Fenrirが大丈夫だ、五月蠅いぞって言うんなら…それは、黙っているつもりだし。」
「……とにかく、そういう意味。」
「Fenrirは怯えずに。」
「俺は、死んでも君のこと護るよ。」
「なんて…薄っぺらい、かな?」
彼は、俺の羞恥さえも悪戯ぽく笑い飛ばす。
どうか、俺たちの土地から、奴らを追っ払ってくれよと。