261. 革の戒め 5
261. The Loejingr 5
“ああ…あ、あ…”
思い出した。
貴方は…貴方は…、
棘付きの鉄鎖で雁字搦めに縛り上げられた僕を檻へと押し込め、
この森へと連行した、あの日。
貴方は、僕が森の中へと一匹で姿を消すのを見送った、
恐ろしい出で立ちをした、神様の兵士だったんだ。
臭いを嗅ぐまでも無く、その時の記憶が鮮明に思い出される。
そうだ。と確信した途端、俺の全身は、痙攣したようにぶるぶると震えた。
勝手にぼろぼろと涙が零れ落ち、目の前には、あのときの光景しか映し出されない。
“うぁっ…あぁぁ…あうぅっ…”
終わりだ。
何もかも、お終いだ。
この人は、知っている人だ。
俺はあんなに恐ろしい声で唸って、二度と俺の前に現れるなと吠えた相手の目の前に、
世にも恐ろしい狼として、もう一度姿を現さなくちゃならないんだ。
あれだけこの姿を、人の眼に晒すまいと、びくびくしながら過ごしてきたのに。
俺はどうして、彼らと対峙することを、何でもないことのように考えられていたのだ?
Teusの傍らにいたいばっかりに。
俺は、自分がなりたい狼と乖離した狼でもあること、忘れかけていた。
「ふざけるなぁぁっっ!!」
“ひっ……!!”
びりりっ、と空気が痺れ、俺は誇張無く身体が僅かに宙に浮くぐらいに飛び上がった。
聞いたことも無いTeusの怒号に、尻尾が萎んで股の間へ逃げる。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
先までの、弱り切った己をひけらかして薄ら笑いを浮かべていた老人とは思えない。
嘗ての主神としての威厳が、一瞬にして纏われたような一喝に、周囲は固唾を飲んで沈黙する。
「そんな戯言が許されると思うてかぁっ!!」
「Teusよ、落ち着いて話を…」
「黙れっ!!」
「っ……」
「Fenrirに関係があるはずが無かろう!!」
「そ、その通りだとも…」
激昂した彼が手に付けられないことは、恐らく旧友であるTor自身が、最も良く知っていることなのだろう。
一端こうなってしまったTeusが平静を取り戻す為なら、もう何だってしなくてはならない。
開きかけた口を直ちに閉じ、一切の口答えをする前に、彼が吐きたい言葉を受け取ろうとする気概を見せた。
それだけ彼の中で、何かが弾け飛んだとしか思えないほどの変貌ぶりだ。
そして、俺はどうやらそれに値してしまったんだ。
それがおっかなくて。
俺はますます壁に身体をくっつけ、泣き声を必死に押し殺して、その場にいないふりをしてみせる。
「Torっ!!今すぐ俺の前から消え失せろっ!!」
「お前がまだ俺のことを ’ご友人’ などと呼べるうちにだっ!!」
「Teusよ、俺たちは、’狼の仔’ を罰しようとしているのではない。」
「悪者扱いもしてないってか!?あ゛あ゛っ!?」
「ど、どうか静まりたまえよ…。」
「ならば、その膂力でねじ伏せてみろっ!!」
「そんなつもりは…」
「今なら、できるはずだっ!!」
「……。」
お願いだ。
お願いだから、Teus。
もう、やめてくれ。
お前の怒鳴り声。
父さんよりも、怖いよ。
「はぁっ…はぁっ……。」
「……。」
「…済まない。」
「だが…親父は…まだそんな馬鹿なことを考えてるのか…?」
「いつまで、未来に固執しているつもりか…?」
……?
「そんなことは、決してない。」
「……?」
「ああ…Teusよ。済まない。」
「こ…このTorが口を挟んでも、構わないか…?」
「……。」
「父上は、つくづく狡猾な男でいらっしゃるようだ。」
「お前を交渉人として抜擢し、此処まで寄越した理由が…今になって、ようやく分かった気がする。」
「なんだい。聞かせておくれよ…」
「其方の主が、思し召しになっておられることを。」
古風な言い回しが目立つ定型的なやり取りは、ある種、落ち着いた話し合いの場を導くのに役立ったらしい。
俺は、その場にいないものとして、会話は良識ある大人たちだけで続けられた。
「分かって欲しい。Odin様は、全ての可能性を平等に捉えておられる。」
「決して妄執に捕らわれ、決め打ちと言ったような、脅迫に駆られた蛮行に及んでおられるのではないことを、此処は一度、互いに了解して置こうではないか。」
「……。」
「その狼の仔は飽くまで、挙げられるうちの一つの選択肢。我々は、それを潰そうとしているに過ぎない。」
「……他には?」
「何と…?」
「お前は選択肢の一つと言った。」
「ならば他にどのような真因の候補があって、それを試みるに値しないとお考えになった結果の筈だ。」
「ああ…それは、勿論、そうであるとも。」
「Lokiの奴どうやら、今回の件には、関与していないらしい…」
お前が先日Odin様へ報告した事象、あれは包み隠さぬ事実であろうな?
もし本当にヘルヘイムとの接合点が再びこの街に現れたのだとしたら、その担い手もまた、その場に居合わせて然るべきだ。
あやつも其方と同じように、異なる世界を渡り歩くことを許された類まれな存在であることは承知している。
しかしLokiは先ほども述べた通り、Odin様の招集に応じたのだ。
少なくとも、この数週は、あの方の眼が及ぶ場所でしか行動を許されておらぬ。
このような悪戯に興じるような、僅かな隙間さえ、無かったはずなのだ。
そうなると、別口からの、それもLokiのような悪意を伴わぬ刺客が考えられる。
「も…もしや、またも彼女が…?」
「そう。それが、我らが主が初めに懸念されたことだ。」
「尤も、例の事件の前兆として、彼女が出没していたのかも、確認しようが無いのだが。」
「…勿論、そのような目撃情報、在りはしまい?」
「あ、ああ…」
「そうなると、やはりお前が行ったという、簡易的な夏至祭…」
「それに無垢なる協賛の遠吠えを上げた…言わば媒介者がおる。」
「何…?」
「かの狼の仔が、あの娘のような力を持ち合わせていると考えるのは、何ら合理性に欠けた推論では無い。」
「恐らくは、その自覚さえも、無い筈に違いないが…」
「今なら、その芽を摘み取るだけで、最悪の事態を免れることができるはず。」
「彼の力を抑えることが、一つの解決策となり得ると、父上はお考えなのだ。」
「好転の保証は、はっきり言って無い。」
「父上も、お前の意志を尊重するおつもり、とのことだ。」
「しかしこれだけで事態が解決するのなら、それで良し。勿論、お前達が罰せられることは、よもやあるまい。」
「その狼の仔の潔白が示されるのであれば、それはなおのこと、お前にとって喜ばしいことでは無いか?」
「如何だろう…?Teus。」
「協力することができそうならば、是非ともそうさせて貰いたい。」
お久しぶりです、灰皮です。
いつもFenrirの話に付き合って下さり、ありがとうございます。
この度は投稿に間が開いてしまい、誠に申し訳ございませんでした。
結果だけ見ればただインフルエンザに罹患しただけだったのですが、
処方箋の服用も虚しく高熱が数日に渡って続き、
未だに出歩く気力も無くて味覚もおかしいままと、結構重症化してしまい、
筆を取れなかった次第でございます。
今こうして座っていてもしんどいので、次回の投稿に日が空かぬよう療養致します。
それでも途中で投稿が途絶えてしまうことはございませんので、
どうかその点はご安心くださいませ。
途絶えていたら、それは多分私が息絶えています。
そういう訳でして、またお詫びの与太話に章を裂かなくては
ならないようです。本編がだいぶ予定より遅れ気味ですので、
あまりそちらに時間を掛けるつもりはございませんが、
少し脇道に逸れる息抜きをお許しください。
本章、「革の戒め」からはもう、殆ど一本道の筋書を考えています。
どうか、今までのFenrirの言動と照らし合わせながら、最後まで
お付き合い下されば幸いでございます。
この度は、お待たせして申し訳ございませんでした。
それでは、これからもなにとぞ。
2023.12.02




