258. 物語の解れ 2
258. Guess my fairy-tale has a few plot holes 2
暫くは、Fenrirが森の中で目撃したSiriusの快走のなぞに関する議論が一頻り続いたが、納得の行く結論には至らなかった。
確かなことは、Sirius自身に自覚は無くとも、彼の背後には、余りにも偉大な大狼が ’憑いて’ しまっていること。
その守護霊の活動は、日に日に活発になりつつあって、到頭Fenrirの前に姿を現した。
そしてそれは、神々の何らかの画策と呼応しているものだと考えられる、ということだった。
彼らは、Siriusに触れようとしている。
これは、Lokiがか弱い仔狼に目をつけたような、卑劣極まりない攪乱作戦とは異なるとFenrirは解釈する。
何故なら、Teus自身を標的に定めた攻撃が、ヴェズーヴァという狼の楽園によって困難となったことで、Siriusに狙いを切り替えたのだとしても。
そうして誘き出せる対象というのは、結局Fenrirでしか無いからだ。
面白いぐらいに逆上する彼を見てほくそ笑むことは出来ても、それで終わり。
一時的に防御網が薄くなったとて、そこを突くことの出来る潜伏地も、罠を張り巡らせるのに最適な追憶の物語も、もう此処には無い。
飽くまで目的は、Siriusとその影に潜む大狼の意志。
Fenrirに比肩するうちの一匹として、危険視している可能性があるのだ。
「はあ…俺がお前であったならと思わずにはいられないよ。」
彼は、自分の推論を明快に述べたうえで、思わずそんな本音を漏らした。
「どうして、私の望む私の前に、姿を現してはくれないのです…?」
昨晩の景色が、未だに忘れられないといった様子だ。
不甲斐ない、合わせる顔が無いと頻りに呻いては、ごろりと身体を転がして、周囲の狼たちをどよめかせている。
よっぽど、彼の幻影に追い付けなかったことが悔しかったらしい。
嬉しかった癖に。
なんて横やりを入れて欲しそうだったけれど。
敢えて黙って置いてあげた。
茶化したくなかった。
彼が恥じらいを覚えることなく、我が狼への愛を告白できるようになった彼に、戸惑いを覚えたく無かった。
ようやく、自らが目指した狼の存在を、憧れとしてでなく、現実の相手として感じられるようになった。
それは、彼が思っているかも知れない以上に、大きな変化であると思っているから。
「しかし、これは俺に気を引き締めよとの警告…来る試練に向け、一番私に伝えたい、お告げだと思っている。」
「次に貴方と相まみえる時には、最高の姿で対峙したいです。」
などと締めくくって、舌先を鼻で舐める。
それはSkaが俺に散々に甘やかされた後に、群れの長へと姿を戻すのに唱えなくてはならない魔法にそっくりの仕草だった。
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「…で、昨晩、お前達の方にも、特に変わったことは無かったのか?」
ようやく此方の話を聞く気になった様子のFenrirは、砕けた姿勢のまま、俺達の方に視線だけを送る。
「んー…」
余りにも情緒不安定に神々の意志に対する冷静な透視と、大狼の走りに対する劣情的な賛辞を繰り返すので、俺はSkaの毛皮を撫でながら、お遊びモードに入った群れの一塊をぼーっと眺めているところだったが。
彼が正気を取り戻したのなら、やっと本題に入れそうだ。
目下の問題は此方であったので、是非とも賢狼の意見を窺いたい。
「それがねえ…」
「この街、ちょっとまずいことになっちゃったかも…」
“ちょっとなんてレベルじゃないですよ!Teus様!”
Skaが不満げに、わんわんと吠えている。
接合者となったつもりは、これっぽっちも無いんだ。
でもヴェズーヴァの中心に、だんだんと、皆が一か所に集まっていくようで…。
「そう、賑やか、だよね……」
“もうどこもかしこも先客だらけで、僕らが住める場所なんて何処にも無くなっちゃったんですよ!?”
真昼間の太陽に晒された広場にいて、この気配の量だ。
ともすれば色鮮やかで気怠い陽だまりで悪くなってしまった死肉のように、自分が狂ってしまった錯覚に襲われる。
耳を塞いでも、ずっと聞こえる。
賑やかな喧噪が。
絶対に気のせいじゃない。
狼のそれですらない。
「ううむ…」
流石のFenrirも、これには頭を抱えるようだった。
呼び寄せてしまったらしい元住民の英霊を追い返すなんて、牙を剥きだして唸る程度では解決しそうにない。
「お前の思い付きは、いつだって規模が大きく、多くの民を巻き込んでしまうと何故理解できない…」
凡そ思慮に欠ける。
喩え神としての全身を、そして人間としての半身を失おうと、
お前が奇跡の担い手であることに、変わりは無いのだ。
「こ、これは一時的な帰還だから…」
先祖の霊を迎えて持て成す、年に一度の儀式だよ。
特別な歓待を受けた英霊たちも皆、段々と、元の場所に戻っていくと伝え聞いているけれど…
そ、それに、ヴェズーヴァに新たな境界が得られたことで、僅かな期間でも、もう一匹のFenrirが森を駆けまわれるようになったのなら、そんなに悪いことでは無いだろ?
「伝え聞いているだと…なんでそんなに曖昧に語尾を濁すのだ。」
「え、ええと…」
「お前、もしこのまま住み着かれちゃったらどうしようとか、心の片隅で不安なのだろう?」
「あー…うん、ちょっと…」
「はぁ……。」
「ああ、季節遅れとは…そういうことか…」
「……?」
「後追いでこれか。バカバカしいにも、程があるな。」
何?…何一匹で納得してるんだよ?
俺にも分かるように教えて?
「お前達は本当に、厚顔無恥という言葉が相応しいと言うだけだ。」
お前…達…?
「はぁ…ったく。考えることは同じか。
驕れると、後先考えられなくなるものなのかねえ。」
「……。」
全然分からない。彼が前脚の間に顔を埋め、溶けそうな表情で物憂げにしているので、
俺とSkaは顔を見合わせることしか出来ないのだった。
「もう一つ、意見を仰ぎたいことがあるんだけど…」
「何だ。魔よけのお札なんて、俺の知識ではどうにもならんぞ。」
「違うよ。それはもう、諦める…」
“え、ちょっと困ります。何とかしてくださいTeus様…”
「その…Garmが噛んでいるという線は、無い?」
「……。」
“……。”
「俺が、地獄の淵に触れてしまったのも、君の言う俺らしい気まぐれだけが、原因では無いような気がしていて。」
「…死神からのお呼びが、もうすぐそこまで迫っている、と?」
うん…
或いはSiriusが、もう一匹のSiriusに導かれ、衝動的に行動するように、
俺自身もまた、大いなる意志によって突き動かされているような。
そんな気がして、
昨日は君が戻って来てくれるまで、凄い怖かった。
Skaが駆けつけてくれなかったら、本当にFreyaと、何をしていたか分からないかも。
そう思い返している自分が、怖いんだ。
「……。」
「俺は、そうは思わない。」
お前の不安も、勿論察してやれる。根拠のない否定はそれを取り除くどころか、寧ろ増幅させてしまうのだと理解もしているつもりだ。
まず、Garmとは一切関係が無いと考える理由だが、
お前が見た靄の壁というのが、本当にヘルヘイムとの繋ぎ目であるとするのなら。
その淵に立っていた彼女は、そちら側へ歩かなかった訳だ。
…彼女はまだ、攫われていない。
そうだな?
そして、お前が馬鹿な真似をしでかすのは、今に始まったことでは断じてない。
望郷の意なんてかなぐり捨てていると言っておきながら、こんな祭りごとを後追いで始めたのは、確かにどうかと思っているが。
別にお前は、お前自身に怯える必要は無いと思っているよ。
似たような経験がお前を安心させることが出来るか、自信が無いが。
俺はお前を毛皮の中心に巻き込んで眠るのが怖かった。
そういった告白をした記憶がただ一度だけあるが、お前がそれを覚えていなかったと願おう。
尻尾で覆った鼻先のすぐ隣に、お前がいる。
そのせいで、俺はちょっとした微睡みの間に、神々が嫌い畏れた本質とやらが顔を出し、
お前を喰い殺してしまうんじゃないか。
そのように想像しただけで、決して休めなかった。
ずっとだ。お前と一緒に森を周り終えるまで、本当に怖くて堪らなかったのだ。
その時の、お前の毅然とした態度は、どれだけ俺の行く先に活力を与え続けたか。
お前は不安を打ち明けられるだけ、強い。
そう言いたい。
安心しろ。お前が俺を狩り殺すような残虐性を、記憶にも残らぬ夢の中に秘めていたのだとしても。
俺なら、お前を止められる。
お前はもうか弱い。
「望んだ通りの、非力な…そう、ただの人間だよ。」