224. 見捨てられた交叉路 2
224. Forsaken Crossroads 2
「Freya…Freya…?」
迎えに、行かなきゃ。
「何処に…いるんだ…?」
手筈通り、二人の住む屋敷へと至り、夏至祭の始まりを伝えに行く。
その選択をはじめから弾くような決断が、まだ俺の中に残っていただなんて。
コッコが燃え尽きるまで一緒に、揺らめく水面を眺める間に離したいことは沢山あったのに。
俺は、まっすぐ家路に着くことをしなかった。
彼女は家にいない気がした。
何処か違う場所へ、行ってしまっている。
きっともう、その知らせを受け取る前に、表通りへと繰り出してしまったんだ。
まるで祭りを待ちきれない子供から、ちょっと目を離してしまった父親のように、
まだ予感の段階で、とんでもない失態を犯してしまったような気でいる。
俺は怠惰だ。
ちゃんと、約束していれば良かったんだ。
恥ずかしがらずに、一緒に街の中を歩こうって。
そうすれば、こんな風にすれ違うことも無かっただろうに。
逢いたい。
そう一言、甘えるだけで良かったのに。
「Freya…!!」
行き違いに、コッコが良く見える川辺へ向かってしまっただけなら、どれほど良いだろう。
特等席を知っているのかい?
何処で、今宵の祭りを眺めようと決めていたの?
ひっそりと、教えてくれても良かったのに。
兄弟の間で交わされる、あの言葉でさ。
でも、違う気がする。
急がなきゃ。
祭りが、終わってしまう前に。
走ることを、老いたこの身体は、疾うに拒んでしまっていたが。
それでも焦る心が、自然と引き摺った歩みを早めていく。
狼の聴覚を有していたなら、或いはもっと早く、彼女の元へ辿り着けていただろうか。
早々に家路を外れて入ったこの通りは、Fenrirの灯してくれた灯りも疎らであるようだ。
人気が絶えているのは、皆、催しへ参加するために出払ってしまっているからだろう。
きっとどの扉を叩いて訪ねてみても、返事を返してくれたりはしない。
「違う、此処じゃない…」
すぐ隣の通りは、幾分か賑やかであるようだ。
そちらを、覗いてみる方が賢明な気がする。
「い、いない……」
誰もいないはずなのに、辺りを見渡すのに、酷く時間がかかる。
人影がちらついてしまって、認知が歪むのだ。
大通りを進むのにも、胸元に手を当て、身を縮めるようにしなくては、
幾らか風当たりが強いように感じられてならない。
当然、中央を堂々となんて歩けなかった。
しかし、それ以上に不気味だったのは。
「一匹も…」
狼が一匹も、姿を現さなかったことだ。
彼らが、俺のことをどう思っているかは、正直分かっていなかったけれど。
少なくとも、避けようとしているなと思ったことは無かった。
しかもついさっき、沢山の御馳走を振舞ったばかりなのだ。
Fenrirの言う通りであれば、今頃それぞれの根城で、満腹の腹を晒して寛いでいる筈なのに。
どの通りを覗いてみても、その影すら窺えない。
「きっと、此処も違うんだ…」
彼女の周りには、自然と狼たちが寄り添うのが想像できた。
この通りは、彼女が自分を待つのに、相応しくない。
何度も脇道を覗き込み、そこに飛び込むべきだろうかと暫しの躊躇を迫られている。
幻想的な邂逅に胸を膨らませつつも、
見慣れぬ霊廟に攫われてしまいそうな恐怖で胸が高鳴なっていた。
色彩を失った視界には、その向こうが常闇の別世界に思えて、何かが蠢くのを感じずにはいられない。
あれは果たして、野良猫がそうするように、通用口を潜り抜ける狼だったろうか。
…吸い込まれそうだ。
路頭に迷う一人の人間として。
俺もまた、片割れの土地を彷徨う、幽霊の中の一人になれるだろうか?
その誘いに身を委ねることが、彼女との再会を果たす、唯一の方法であるとしたら?
夏至の夜、交差点に立つ貴女に、きっと巡り合える。
偶然にでも、俺は君の後ろ姿を、交差点で見かけることが叶う。
その自信が無かった。
こんなに居心地の良い、ちっぽけな街なのに。
しかし、昔からこうして。
何処へ繋がっているかも分からぬ路地裏を、縫うようにして歩くのが好きだったよなあと。
そう思い返して、傷心をさすると、何だか甘酸っぱい気分だ。
ミッドガルドでは、俺の名を知る者はいないから。それが出来た。
間もなく陥落することも知らぬ都市の真っ只中で、外套に身を隠し、誰かの視界に留められることを免れ。
そう、俺は、没個性化したかったのだと思う。
延々と道をくねりながら考える、答えの出ないような問いが、死ぬほど生産性が無くて好きで。
唐突に訪れる空腹や、行き止まりが、俺の興味を醒ますまで、ずっと当てもなくふらついていたものだ。
そうして選ぶ道に、大きな含みを持たせてみたりするのが、この散策の醍醐味だ。
時折、この何気ない選択が、自分の運命を大きく変えるような気がして。
視界の端に止まったその裏路地に釘付けにされてみるのだ。
そうして、俺はその場で、そのまま真っすぐ進んだ自分と袂を分かつ。
遊離した自分の姿は見えないけれど、確かに俺は、そこで運命に抗ったのだと思うことにしていたのだ。
「……。」
きっと、俺の眼に未だ色が、見えていたのなら。
そして、光がその先をしっかりと映し出していたのなら。
今の左折には、もっと大きな力が必要だったと思う。
視界の端には、誰の影も見えなかったけれど。
俺はたった今、自らの左二肢を操る糸を、振り切ったのかも知れない。
 




