215. 蓋然的推論 2
215. Plausible Reasoning 2
「そんな所だ。」
「これで、おしまい、かな。」
勝手に終わらせてしまって、ごめんね。
でも、もう続けようと言う気にならないよ。
敗北したのだ。静かにそう悟っている時点で、抗う熱意は消え、もう決しているんだ。
俺が俺である、ただそれだけのせいで、
俺はもう、Fenrirに答えを教えられない。
僅かな可能性がまだ残っているのだとしたら
Fenrirが完全に、表向きの会話として展開されている、過去の神々の英雄譚から、来る脅威を奇跡的に言い当てることだ。
でも、そんなのは、FenrirがOdinとの知恵比べに勝つぐらいに、不可能に等しい。
彼は、予言者ではあり得ないのだ。
「ふぅー……」
俺は羽ペンをインク壺の中に収めると、難解な書物を読み進めるのを諦めるようにして、扉を閉じた。
「……。」
読み聞かせの途中で申し訳なかったけれど。続きを語り出すつもりも無い。
大抵の現実はそういうものだ。
納得の行く最期が訪れると考えるのは、死ぬ間際に出来る最高の肯定だと思っている。
それを蔑むつもりは、勿論無い。俺だってそうしたいと、予てより願っている。
けれど、終わりはいつだって、唐突だ。
残りのページ数全てを、主人公が生きられるとは限らない。
熱い飲み物を、啜りたい。
だいぶ疲れた。頭を使うのが苦手な癖に、慣れないことをするから、放出しきってしまって、くたくただ。
凝り固まったからだを解す為に、思い切り伸びをする気にもなれない。
父なる神も、相当に人使いが荒いと見える。
まだ雨は止まないのか?
ずっと耳に流れ込んで来るので、今も雨音が続いているのか、分からなくなってしまった。
天窓を見上げても、暗幕を被せられた鳥籠の中にいるようで、外の様子は窺い知れない。
朝には、太陽を拝めると良いのだけれど。
夜通しの雨は、朽ちかけたヴェズーヴァの家屋を傷める。
前の様に、ヴァン川の氾濫に見舞われていないと良いのだけれど。
隣で座ってくれていたFreyaは眠ってしまったようだ。
フード越しに、すうすうと柔らかな寝息が聞こえて来る。
いつもなら、とっくに床に就いている時間だものね。
夜分遅くまで、一緒に付き合ってくれて、ありがとう。
俺ができることと言えば、彼女を長椅子に横に眠らせ、布団代わりに自分が身に纏っていた外套を被せてあげるぐらいか。
それでも寒さを感じるようなら、狼たちに寄り添って貰えば良い。
さあ、最後の一仕事だ。
「全く、ご老体には応えるなあ…」
そう笑って今度こそ、腰を上げようとした、その時だった。
「いいや、此処からだ。」
……?
「試験官よ。もう暫し、席に着いていて貰えないだろうか。」
「解答時間に、制限は無かったはずだ。」
「続けさせて欲しい。」
「分かった気がする。」
「…求められている、答えが。」
……!?
「ほ、本当かい…?」
どちらにも解釈できた。
一つは俺がFenrirに、Odinによって盗聴されることなく、解答を教える新たな手段を思いついたこと。
そしてもう一つは、繰り広げられた一連の対話を通して、彼が本当に真実に辿り着いてしまったことだ。
そして、もし後者であると、すれば。
彼がじっと視線を落として、深く考え込んでいるように見えるのは。
その上で正しく答えることを、迷っているからでは無いだろうか。
「だとしたら、続けない理由は無いね…」
口ではそう返したが、
この心の蟠りから察するに、俺は彼に諦めて欲しかったのかも知れないと思った。
「そうだな…面白い話を、聞かせて貰ったぞ。」
ぽつぽつと喋り出す彼の口述を、最早書留めようとは思わなかった。
どうせ、俺の頭の内側から、傍耳を立てているのだ。
今は一緒になって、聞き漏らさぬように、Fenrirを見たい。
「非常に参考になる、思考実験であった。」
「俺もお前と同じだ。怖いとは思わなかった。しかし…」
「ある種、的を射ている気がするな。」
「…何処か、真に迫るものがあった。」
「……。」
俺は、意図せずして、どんな真実を、今話した物語に託したのか。
そして彼はそこから、どんな手掛かりを得たと言うのだろう。
「想定内、とは言えないが、まだだ。」
まだだ。
まだ、視界の端で、狼たちは眠らない。
「…Teusよ。」
“お前が肝心な所で至らないというのを、考慮に入れるべきだった。
それだけのことだ。“
“I should have taken into an account that you might fail even when it comes down to it. But that’s all it is.”
“そして、それも克服できる障壁の内の一つに過ぎぬ。”
“That is just one of the problem that we can overcome”
“時間稼ぎ、ご苦労であった。”
“Thank you for your efforts to buy time.”
“言っただろう。諦めさせたくはないと。”
“I said I won’t you to let give up”
そう微笑んで、彼は俺に、最後の提案を持ち掛けたのだ。
“初めに言っておこう。”
“お前は、俺の中に、入り込んで来ているよ。”
“…お前がそう望まなかったとしても、お前の存在を、感じている。”
“それが、どれほど俺の力になってくれたことか。確かに目の前にいるお前は、知らないのかも知れないな。”
“お前が進む道だ。死後の旅路では、今までの繋がりさえも断ち切りたいと言うのなら…それについて何か言うつもりは無いさ。”
“一匹で死なせてくれって、俺だって思っていたからな。その意思を変えて欲しいとは少しも考えない。”
“ただ俺はお前と同じように、お前が俺に対してそうしてくれたように。行き着く先がどんなだろうと、一緒にその未来を見据えることなく応援したい。”
“だが俺は、お前の中にいなくとも、お前の力になれると信じたいのだ。”
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“良いか、Teus。この文章は、Freyaの眼にも届いている。
落ち着いてこの文章を読み進めるのだ。”
“この難題、やはり彼女が不可欠だ。お前の側についてくれる、貴重な協力者となってくれる。”
え…?
Freya、まだ起きていたの?
狼たちと言い、ずっと一緒になって、この試験に参加してくれていたなんて。
“Teus、お前が兄弟暗号を使っての会話が出来ないことは、確かに致命的な失態であった。”
“しかし、それは敗北を意味しないのだ。ようやく同じ土俵へと墜ちただけに過ぎない。”
“何故なら、Odinとて、同じ状況に立たされていることに変わりは無いからだ。”
“何、簡単なことだったのさ。”
“お前が、Odinよりも先に、兄弟暗号を用いた対話を身に着ければ良いだけのこと。”
……!?
“どちらが先に、言語習得を達成できるか。
Teus、此処からは、お前とOdinの間の、知恵比べだ。“
…なんだって?
ち、知恵比べ?俺が?
“出来る限り、効率よく、最低限の言い回しを覚える必要があるな。
当然、Odinだって馬鹿じゃない。俺やFreyaが兄弟暗号で話す時間が長ければ長いほど、その言語の本質を見抜く手がかりが増えることになる。先を越されてしまえば、不正は暴かれ、俺達の負けだ。
そうなる前に、お前はFreyaと、恰も初めからその言葉で会話ができたかのように振舞えなければならない。“
“しかしその段階に達すれば、お前の口は、主神の耳を逃れて、好き勝手な歌を口ずさむようになるわけさ。”
そ、そんな…無理だよ!!
上手くいくと、本気で思っているのか?
幾ら何でも、俺に期待し過ぎだ。
“ふっふっふ……なんだ、座ってお勉強は苦手か?”
“安心しろ、俺がついてる。”
「…Pot să vă țin de mână?」
“そして、彼女もな。”