212. 予言により 4
212. As Foretold 4
「い、今、なんて……?」
文面でそう書かれているのだから、聞き返す必要は無かった。
しかし狼たちがスペルを綴ることのできる棚の行数は限られていて、瞬く間に書き換えられるFenrirの言葉を読み返すこともまた難しいのであった。
「読心するって…言いたいのか?」
口先だけで会話を流れさせるのは、想像以上に難しいことだった。
普段の何気ない会話は、自分が意識せずとも、相手の発言に対して、最も自然な応答と思われる言葉を言い連ねているだけ。
そう言うと味も素っ気も無いが、上の空で考え事をしている時なんて、実際そんな場合が多いだろう。
「うむ。それに似たようなことをしたい、と考えている。」
けれど今は、それを本筋と捉えなくてはならない。
違う、本筋として進めるふりをしなくてはならない。
適当なやりとりで済まされる議論なんかじゃない。
チェスのゲームを、二つの盤面で、並行してプレイさせられていると言えば良いだろうか。
それも、盤面を睨むことの出来ない、目隠しチェスだ。
俺みたいな、一般人にできる芸当では無い。
それなのに。
彼は別軸の会話で、決断を迫って来たのだ。
「この試練の基本は、‘対話’だ。それ故このような試みから答えを求めることは、許されるだろう?」
二つの盤面で、王手をかけられている。
表面上も、水面下も、大詰めと言った所か。
‘答えを教えてくれ、だって…?’
思わず胸元を皺枯れた左手で掴み、手元の古本を穴の開く程に見つめる。
何を考えているんだ、あいつ…?
何故、急にそんな取引を持ち掛けて来た?
今までの様に、明晰な頭脳から繰り出されるその完璧な解答に恐れ慄きながら聞き入るだけで良かったのに。
この問題には、流石の賢狼もお手上げってことなのか?
そんなことない。君なら決して、辿りつけない問題じゃないだろうに。
仮にそうだとしても、どうして正直に分からないと言わない?
ひょっとして、彼は最終問題に移れなくなることを危惧しているのか?
別にそんなルールは名言されていないが、それでも完答することが、何らかの条件を満たすことになると考えているのなら、助けを求めるのも不自然ではない。
彼はもう、俺にも分からないOdinの狙いを見抜いているのか?
…いや、そんなことより、もっと重要なことがある。
なぜFenrirは、俺が答を知っていることを前提に、取引を持ち掛けて来た?
その確信が、何故彼にはあった?
「……。」
もう、吐きそうだ。
口元を抑え、混乱し切った頭で、必死にFenrirの意図を読み取ろうと藻掻く。
俺の顔を拝めるのが、狼たちだけで助かった。
もし神々がこの試験会場に臨席されていたら、激しい動揺がありありと浮かんでいるこの表情を見て、容易く密談を見抜かれていただろう。
それで発狂して、もう逃げ出して…神様なんて何処にもいない世界で…
「……。」
…落ち着け、落ち着くんだ。
Skaの毛皮を優しく撫でて、自分にそう言い聞かせる。
「…分かった。協力する。」
呻くように、そう絞り出す。
答え、か。
君は、頭が良すぎるよ。
見え過ぎちゃってる。
Fenrirが、しようとしていること。
その意図は、俺にはさっぱり分からない。
けれども、彼は俺達を悲しませないようにと必死なのだ。
俺ではどうしようも無かった、惨劇を回避しようと、足掻いている。
喩え、どれだけ抗い難くとも。
「それで、君が良いのなら。」
どうなっても、知らないよ?などと言うつもりは無い。
もう殆ど、運命共同体みたいなものだし。
君は俺が暮らす群れにようやく迎えることのできた、大事な一匹なんだ。
やってやる。
面白くなってきた、というには、指先が震えて言うことを聞かないのだけれど。
俺は所詮、舞台を降りた代理人でしかない。
元より中立を請け負ったつもりも無いんだ。
この天秤、傾けてやろうじゃないか。
と、言いたい所なのだけど…
「それで、俺はどうしたら良いんだい…?何が何だかさっぱりついて行けない…」
もっと具体的に言えば、俺の方から、どうやって君に答えを伝えれば良いんだ?
普通に筆談を持ち掛けることは、咎められないと思うかい?
流石にそんな不正が認められる訳が無いよね。
…ってことは、俺の方からも、君にメッセージを送る必要がある訳だ?
それは、どうやって実現すれば良いのかな。
テレパシーが使えれば、何の苦労も無いのだけれど…。
思案顔にそう書かれていたのか、Fenrirは俺の顔をじっと見つめると、すぐさま狼たちに指令を送った。
そうだ、お前側からも、暗号を送って貰いたい。
“Yes, I need you to send me the code from your side as well.”
そう…まあ、そりゃそうだよね。
でも、分かっている。
既に手は打ってあるんだろう?
ね…Ska?
その為にFenrirは、膝元で眠りこける分身を、無理やりにでも目覚めさせようとしていたんだ。
今のやり取りを耳にしていた彼は、自分に与えられた任務をすぐさま理解したらしい。
もう、先までの蕩けた表情の甘えん坊狼はいない。
“はい、任せておいてください!”
いつも頼りになる愛狼の毛皮を撫で、全てが繋がったような感覚に、一縷の光を垣間見る。
これなら、ぱっと自力で思いつくだけでも手はある。
例えば、Skaの背中に、一文字ずつルーン文字を指で描いて、それをFenrirと同じように本棚に展開させる。
流石のSkaも本を傾ける係に徹する狼たちと同じく、一文字一文字の意味までは読み取れていないだろうが、
文字を本棚の列ごとに分解する役割を担うことぐらいは、直ちに理解して実行してくれる筈だ。
Skaは、そんなことを期待できてしまうぐらい、超有能な狼だから。
よーし、くすぐったいとか、言わないでくれよ…
「まあ、落ち着け。一つずつ、段階を踏んで行こうでは無いか。」
Teus…残念だが、そんなに事態は単純では無いのだ。
“Unfortunately, the situation is not that simple as you think.”