211. ヴァフズルーズニルの歌 6
211. Vafthruthnir’s Sayings 6
「狩れぬ獲物などいない。確かに俺は、常日頃よりその矜持を胸に生きてきた。」
「その豪語を現実とすべく、Siriusの影を追い求めて来たとも。」
「彼とは、それ即ち、狩りの最高峰と謳われた大狼そのものであるからだ。」
その名を汚すことなく、願わくば、仕留めて御覧に入れようぞ。
と、言いたいところだが。
「Teusよ、雨は、いつになれば止むのだろうな…」
これでは、実演も儘ならぬ。
太陽は、大狼に喰い殺されると恐れをなして、陰ってしまわれたのだ。
流石の俺も、太陽神が纏った分厚い外套雲を引き剥がすことは出来ぬ。
だから代わりに、知恵を絞ってやるとしよう。
お前達は、俺が躍起になって、天に向かって無様な跳躍を披露し、
滑稽なまでに大口を開いて天球を呑み込もうなどと試みる愚かな怪物が見たかろう?
しかし今までの流れを汲んでやるならば、そうは行かぬ。
実際のところは、無理難題を持ち掛けて、またも俺の知恵を測ろうとしているのだな。
「えー…うん…」
Fenrirの語り口は、実に古めかしく飾り立ててあって、まるで父上が長広舌を振るうようだ、などと考えてしまった。
会話の一つだってしていない。俺が代読しているだけだと言うのに、彼の語り口が移ることなんてあるだろうか。
参ったな、この場じゃ無ければ、すぐに止めさせてやりたいぐらい、耳がそわそわする。
全然頭に入って来ないし、普段でも難しいこと喋っているときは聞き流したくなるのに…
普段であれば、そう思って、視線を逸らしていたころだろう。
実際、俺の意識は、直ぐ傍らで愛撫しろと強請るSkaの方へ、自然と向かって行った。
だがそれは、手持無沙汰が故の興味というよりは寧ろ。
「……?」
何やってるんだ、あれ…?
視界の端に捉えた光景が、大狼より遥かに惹きつけられるものだったのだ。
狼たちが、壁を這うようにして伸びる螺旋階段の足元に集まっている。
彼らは、今晩の寝床を、大樹の根の代わりとして其処に決めたようだった。
既に寛いだ様子で、階段の端に丸くなって此方をぼんやり眺めているので、思わずくすりと笑ってしまう。
微笑ましい。これじゃあ、図書館に住み着いた室内犬だな。
文字通り、彼らはFenrirの子供達と言っても良いかも知れない。
もし、この仔達が勝手に本のページを捲って、刻まれている模様を眺め出したら?
そして、Fenrirのようにあらゆる物語を貪り、Skaに匹敵するような人知を手に入れたらどうなるだろう?
この群れは、高度なコミュニケーション能力を手に入れることで、瞬く間に反映する。
そして一度は袂を分かったヴァナヘイムの神々と、再び交流を持つようになるかも知れない。
今度こそは、対等な関係として。
そんな妄想が膨らみだす始末だ。
…だが実際のところ、そんな奇跡は起きそうにない。
自分たちの目線が届く高さの本棚から、気に入った書物を引っ張り出し、満足そうに口に咥えて尻尾を揺らすと、積み上げて手ごろな枕の代わりにするのが関の山だ。
冗談だったとは言え、Fenrirを困らせる為に変な嫌がらせを吹き込んだのがいけなかったかな。
あんまり調子に乗って本を散らかすと、Fenrirに怒られるぞ…
狼の目線と高さが同じ2段目は、棚の密度がだいぶ減って、所々で本が傾いてしまっている。
言うなれば、こんな有様だったのだ。
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流石に注意してやろうか迷ったけれど、一番この蔵書を大切に扱っている筈の本人は、自分が積み上げた推論を披露するのに夢中みたいだし、まあ良いか。
「おい、Teus。俺の話をちゃんと聞いているのか?」
いや…待てよ…?
「ごめん、ちょっとぼーっとしてた…」
「全く…肝心なところだぞ。聞き漏らしたくなければ、此方を向いて、目を逸らさぬことだ。」
自身の役割に、集中しろ。
お前の使命とは、俺の知恵を残さず書き取り、主神へと報告することでは無かったのか?
「あ、ああ…分かってるよ…」
どうしたんだよ、そんなに乗り気になっちゃって。
初めとは、やる気が俺と逆転しているじゃないか。
「それで…お前は何処まで聞いていたのだ。」
「ええと…実際に太陽を捕まえる訳には行かないって話…?」
「そう、その通りだったな。」
俺が渋々ペンを拾い上げ、握り直したのを確認すると、Fenrirは再び饒舌に論述を始める。
「嗤うが良い。所詮は、図体ばかりの大きな狼の一匹、大した力も持ち合わせていないのだなと。
俺が天空神の位を与えられた神様であれば、太陽を操る力を披露してやれたかも知れない。
背中に立派な羽を生やしていたなら、まん丸に腫れた果実に噛みついて、ほら仕留めてやったぞと咥えて持ち帰っただろう。
だが実際には、太陽の動きを、少しでもその場に止めることさえ不可能なのだ。
こうしている間にも、暦は着々と時間を刻んでいく…」
だが、またしても俺は、Fenrirの推理から興味を失い、視界の右端の景色に釘付けになっていた。
“Teus様。もうちょっと、もうちょっとだけ、こっち見ていて下さい。”
Ska…そこをどいてくれないか?
視界を遮ってる、左目からしか、本棚の様子が見えないよ。
「したがって、この難題に立ち向かうには、根本から視点を変えねばならぬと俺は考えた。」
「そして、辿り着いた答えはこうだ。」
「俺が、太陽を ’丸呑み’ にしてしまえる…」
「……?」
「それが可能となる日を、予言してやろう。」
「どういう、ことだ…?」
「言い当ててやれば良いのさ。」
別軸で始まっていた異変に、俺は急いでペン先を走らせる。
「’皆既日食’ が起きる日を。」