210. 難破船の探知者 2
210. Shipwreck Dowser 2
“頼んだぞ、Ska…お前達だけが頼りなのだ。”
図書館の天窓を仰ぐと、不安を抑えきれずに俺はそう漏らした。
Teusも自分も、迂闊には動けない。
済まないが、この任務はお前達だけで切り抜けてくれ。
夜中の内に、緊急の伝令は群れ全体に通達済みだった。
あれから俺たちが別れて寝床に就いた後、Skaから始まる遠吠えの大合唱があった。
狼の間、それも群れの間でしか分からないような、堂々たるやりとりの中で、翌朝から縄張りに潜むカラスを見張るという取り決めが為されていたのだ。
“アウオォォォォーーーー……”
彼らはヴァナヘイムで人間たちと共存してきた頃からずっと、夜な夜なこうやって密談を交わし続けていたのだろうか。
ちょっと羨ましくもあった。若狼の狩りの成果とかが聞けるだけでも、それにおめでとうと返すだけでも、幸せな眠りに就くには十分な夜咄ではないだろうか。
担当する領域から時間帯まで、なんともスムーズな伝達網に、思わず黙って聞き入ってしまう。
慌てて最後の方に、ありがとうと感謝の意を添えて吠えると、皆がそれに応えてくれて、それでその日の密会はお開きになった。
空が白み始めている、直にカラスたちが、活動を始める時間帯だ。
それは同時に狼たちが動き始める時間でもある。
普段であれば、ぼちぼち早起きの何匹かが薄目を開き始める頃だろうが、
既に役割分担を終えている群れ仲間たちの営みは、静かではあったが、それでいてどことなく騒がしい。
俺もそわそわしてしまって、結局眠れなかったのだが、此処でじっとしているより他無いのがもどかしい限りだ。
司令塔は、Skaに任せるとしよう。
“おはよう、パパ!”
“うん、おはよう。それじゃあ、行っておいで。”
“はーい!行ってきます!”
早朝の草露に腹の毛皮を濡らしながら、いそいそとお気に入りの昼寝スポットへ向かう柔らかな足取りが聞こえて来る。
全員が、それぞれ共通の目的の為に、別行動を取れている。
良いぞ、これならいける。
“カァー…アァッー…”
道中で偶々出くわしたらしい一羽のカラスが羽ばたく音。
そうだ。捕まえようなんて、考えなくて良い。
さりげない日常の行動に、一つ、彼らへの何気ない興味を混ぜるだけ。
そうして目に留めた挙動の何処かに、不自然な点が無いか、見極めるのだ。
“今のは、普通のっぽいなぁ…”
その判断は、間違っていないだろう。
主神の眼としての役割を担うのに、彼らがどれだけの時間を拘束されているのかは分からないが、遣いとして自然な習性を許されているとは到底思えない。
必ず何処かでボロを出す筈だ。
見た目は完璧な変装であっても、狼を欺くことは出来ない。
野生の本能故か、人間のすぐ傍で育っていながらも、彼らは人工物に対してずば抜けた嗅覚を有している。
殆ど廃墟と化したこの街に於いても、その能力は遺憾なく発揮されるだろう。
これは最近になってTeusが教えてくれたことなのだが、苔むした廃屋を遊び場にしている仔狼たちは、決して戦利品として、ガラクタを持ち帰らないらしい。
噛みつくのにちょうど良い枝木は、幾らでも引き摺って歩くのに、壊れた戸板や、鈍い光を放つ薬缶やスコップには目もくれない。
人間の臭いが、異質であると初めから知っているからだろうと、彼は言っていた。
自分のことを人間の端くれだと思い込んでいた奴には到底備わりそうにない直感だ。
もしそれが本当なら、ひょっとすると、俺よりも簡単に見つけ出してくれるかも知れない。
そして彼らのはたらきとは、その期待をはるかに上回るものだったのだ。
“ママ…あのカラス、やっぱりおかしいよ。”
朝食の時間帯に、それは起こった。
Teusが群れに提供した備蓄の肉塊を平らげ、残った脚の骨をガシガシと齧っていた一匹の狼が気づいたのだ。
いつもより、カラスの集まりが悪い。
お零れに預かろうとする彼らは、羽音を立てぬよう、二本足でジャンプしながら、視界を外れるようにしてこっそり近づいて来るのが常だ。
狼とやり合っても敵わないことは初めから分かっているので、諦めてお咎めが無くなるまで、絶えず接近を試みる。
それで堪忍袋の緒が切れて、突発的に走って襲う素振りを見せれば、すぐさま安全なところまで飛び去って、ほとぼりが冷めたらまた降り立ってくる。
気が済むまで貪ったら、いつもくれてやっているのに、俺達はそうした不毛なやり取りを延々と繰り返す関係だ。
それなのに、無益な残飯の取り合いから離れて、枝木の奥深くに身を潜めるカラスの存在が一羽、先ほど知らされたのだ。
“でかしたぞ…!”
かなり怪しいな。炙り出せたとまでは言わずとも、そいつは密偵の候補と言って良い。
ヴェズーヴァでもヴァナヘイムでも、主要な食糧は住民の食べ残しである以上、彼らにとっては喉から手が出るほど欲しい筈。
そして決定的なのは、そいつが ‘一羽’ であったということ。
言い換えれば、彼らにとってもこの土地は縄張りである、ということだ。
彼らも俺達と同じで、集団でネットワークを駆使しながら生き永らえて来た森の住民だ。
縄張りの中に余所者が混ざり込んでいれば、間違いなく警戒する。鳴き声で追い払われることにだってなるだろう。
そうならないよう、現地民から距離を置いて、監視の役目に徹しているのだとすれば、
彼らはある意味で目立っているのだ。
あとは、朝食後の怠惰な時間をずるずる引き延ばすだけ。
姿を潜めて此方を窺う行為自体が不自然であるのだから、それはもう容易く見つけ出すことが叶ったのだった。
“Fenrirさん、僕から遠吠えを始めますから。後に続いた狼の鳴き声が、マークポイントです。”
“了解した。”
こうして見つけられたカラスたちの数は、十数羽にも上った。
脳内で彼らの居場所を地図に描いていくと、くっきりとTeusとFreyaが寝床に使っている家屋を包囲している様子が映し出された。
“こんなにいやがったとはな…”
随分と大層な監視隊を寄越したんだな。
どうやら、裏で大それた計画が動いていると睨んで、間違いなさそうだ。
この街路の何処かで俺とTeusの会話を悟られぬ死角を作り出せないかと期待していたが、思ったより厳しそうだな。
“だが…そっちだけで良いのか?”
意外なことに、俺の眠る図書館方面には、一羽も見張りが着けられていないことも分かったのだ。
これは、予想していない収穫だと言えるだろう。
今朝は初めから湿った空模様で、未来を予見するまでも無く、例の試験を外で執り行うことは避けたかった。
其処から、一計を案じることは出来そうだな。