210. 難破船の探知者
210. Shipwreck Dowser
結局、俺は神々に課せられた試験の続行を申し出ることをした。
Siriusの失踪事件は愚か、昨晩Teusと交わした会話すら、無かったこととする。
そういうことで、互いに了承済みだ。
あいつらは、何処まで耳を欹てているだろうか。
そう考えた時に、何事も無かったふりが出来ると判断したからだ。
俺がSiriusを洞穴の前で見つけ出した時、当然あいつらはその一部始終を見降ろしていただろう。
恐らくは、間者の正体とは、鴉。
空を舞う彼らの視界の一端を通して、神々は間接的な監視を続けている。
食料を詰め込んだ支援物資が投下された日に、俺達を睨み続けていた一羽。
落ち着き払った様子であるのは、いつもの彼らのことだが、お零れを狙って果敢に滑空を繰り返す奴らとは一線を画していた。
自らの危険を冒して近寄りつつも、きちんと安全圏からもう一歩距離を取るぐらいの慎重さを兼ね備える。
その様子は、鴉本来の立ち振る舞いに似つつも、やはりどこか不自然だった。
狙いはもっと巨大な獲物、狼であったからだ。
勿論、視界だけと考えるのは少々見くびっていることになるだろう。
彼らは、俺が激昂し、この事態の裏ではたらいた悪戯に気が付くと知っていた筈。
それどころか、Teusがまともに取り合わってくれずに、孤立する結末まで見通していたはずだ。
それ故、試験を続行する契機が、必要になってくる。
彼らは、俺たちの昨夜の会話を、耳にしていたと、俺は考える。
思い通りの展開になったと、ほくそ笑んでいるだろう。
だが、視界は、完全に暗闇に覆い尽くされ、使い物にならなかった筈だ。
鳥目には、焚火の明かりなど、無いに等しい。
あいつらには、俺とTeusの間で交わされた言葉しか、探知できていない。
同席していたのは、俺とTeus、そして枝木に留まった自分の遣いだけ、そう思い込んでいる。
人が狼同士の会話を捉えることは、不可能であったのだ。
尤も、Teusは特別だ。率直に言って、未だにどうやっているのか分からない。
こいつは文法を会得できている訳でも無いのに、Skaに対する意思の疎通は、ほぼ完全に熟す。
狼の言葉に対する理解度として、敢えて数値化するなら、6割5分。
話の趣旨を外すことなく、他言語のネイティヴに対するどうしようもない意識の前提のずれを無視してしまえる。
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それに対して、彼はリスニングについて10割と言えよう。
“ウッフ…ウッフ…アウゥ……。”
“起きているな?Ska。”
お前が寝過ごす筈も無いよな。来てくれると思っていたぞ。
だって、Teusが自殺に追い込まれた時に、いち早く主人の異変を察知して、俺に急報を知らせてくれたのは、他でもないお前だ。
臨席しなくてはならない時に、必ず傍らで座ってくれている。
語彙の不足も、人間が補うようにできて遜色ない。
間違いなく、大狼の後継に相応しい逸材だ。
“ばれちゃってましたか……”
咳払いにも似たくしゃみを鳴らすと、彼は暗闇から音を立てずに姿を現した。
“聞き耳を立てていたつもりは、無いんです。”
“ただ、Teus様のことが心配だったから…”
茂みに浮かぶ眼光が、ゆっくりと溶け込んだ輪郭を取り戻していく。
焚火に当たる人間を獲物とする獣はいないだろうが、それでも常に、彼らを監視して周囲を取り巻いている。
そんな古森の逸話の主となれそうだ。
“フシュッ…”
音の主を振り返ろうとするTeusに対してぐっと目線を合わせ、俺の言いたいことが伝わってくれるよう願った。
「Fenrir…?」
Skaに反応するな。
そのまま、此方を見続けるんだ。
「……。」
祈りが通じたのか、彼は俺からゆっくり目を逸らすと、そのまま枝木を拾って、焚火を突く仕草で平穏を見事に装って見せた。
よし…そう、それで良い。
これで、必要な役者は揃ったな。
「Teusよ、一つ提案があるのだ。」
“Ska、俺たちの為に、ひと役買って貰えないだろうか。”
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言ってみれば、一方通行の筆談に当たる。
俺が人間の言葉を通してTeusに伝えた提案と、
Skaを媒介者として、狼の言葉で伝えた密約。
これが、俺達からあいつらへ向けた、逆探知の契機だった。
“…まずは、ヴェズーヴァでカラスが止まりそうな位置を、全て洗い出す。”
郊外も含めて、全てだ。
一羽だけが主神の遣いとは、考えていない。
屋根の上、街路樹の枝、あらゆる方向から、俺達を見張っているはずだ。
“群れの皆の協力を仰ぎたい。明日の昼までに、できそうか…?”
“勿論です、任せておいてください。”
出来る限り、さりげなく頼むぞ。
よもやお前達まで監査の対象とはなっていないだろうが、それでも捜索隊を組んでの大胆な行動は取れない。
飽くまで個々の日常生活に紛れて、様子を窺って貰いたいのだ。
“なるほど…でも、それって結局、獲物に勘付かれないように接近するのと、一緒ですよね?”
その通りだ。だから、あまり心配はしていない。
お前たちにしか任せられぬ極秘任務であることだけ分かってもらえれば、十分だ。
“やっぱり、Fenrirさんのお手伝いをすると、面白そうな出来事に巡り合えますね!”
極秘任務、という響きの格好良さに、Skaはぱっと顔を輝かせる。
まあ、楽しんでやってくれる分には、構わないか。
実際、これから神々を欺き、一矢報いてやろうと言うのだから、気持ちが弾まぬ訳がない。
“下手なちょっかいを出して、手痛い反撃を受け無いようにな。”
そんな父親じみた喚起をするに留まっておいた。
幾らあいつらでも、白昼堂々街中で狼に危害を加えるような大胆な行動は起こせまい。
「…では、Teus。明日の昼食後に、皆への謝罪を終えてから、最後の試験に挑ませて貰う。」
「うん、わかった…」
お前は、このやり取りを、何処まで理解している。
それを窺い知るのに十分な返答を得られた所で、お開きになった。
「それじゃあ、もう休んだ方が良いかな。」
「…また明日。お互い…いや、みんなで、頑張ろうね。」
“はい、Teus様!!”
「ああ…俺も、もうひと眠りしてくるとしよう。」
その立場、今度は此方が利用させて貰うぞ。