208. 神隠し 2
208. Spiritted Away 2
“ハァッ…ハァッ…ハァッァッ…!!”
してやられた。
完全に、掌で踊らされていた。
神々の前では、全てがお見通しだったのだ。
鴉の眼も届かない森の中で、彼らが俺を引きずり出す、最も確実で、かつ簡便な方法。
この試練を通して、あいつらが見定めたかった事。
それは、神々の仕掛けた罠に俺が ‘気が付くか’ どうかだったのだ。
ある意味、嗅覚であり、異変に対する聴覚。
彼らが行使する力に対して、俺の六感が、どれだけ鋭敏でいるのか。
それを見定める為だけに。
野心ある勇敢な狼たちを出しに使って。
しかもそのうちの一匹を、犠牲にしやがったのだ。
最後の一匹を探し損ねたことで、俺はこの試験に、表面上でさえ落第している。
きっと皆に笑われるだろう。縄張りに潜んだ同胞の居場所を見抜けないなど、狼の風上にも置けないぞ、と。
こんな失態を侵すようでは、我が狼に合わせる顔が無いではないか。
俺は両前足の間に鼻面を埋め、激しく赤面しながら恥辱に震えたに違いない。
だが今は、己の狼としての才を嘆いている場合では無い。
自尊心を見るに堪えぬまでぼろぼろに切り裂くのは後だ。
誰が足りなかったのか、確認するまでも無かった。
直感で分かった。
あの仔しかない。
Siriusが、攫われたと。
“頼むっ…間に合ってくれ…!!”
連続するフラッシュバックに目の前の景色を奪われ、
何度も躓きながら、がむしゃらに駆ける。
“それだけはっ…それだけは嫌だっ…!!”
とても、最善の走りなんかではなかった。
けれど本気で走らされた。
俺が放つ、青白い光を見たかったのだとしたら、必死にならざるを得ない状況を作り出すのは、逆効果だったようだ。
見ろよ、こんなに見るに堪えなくて、格好悪い。
“お願いだぁっ…神様ぁっ…”
“俺からっ…俺からあの仔を…”
“奪わないでくれぇぇっ…!!”
狩れぬ獣などおらぬと謳われた大狼が情けない。
彼の居場所を探そうにも、皆目見当がつかなかった。
一匹の狼を、この世界から救い出すことさえ叶わないのか。
既に、この森からは、姿を消している可能性すら脳裏を掠める始末で、
膝から崩れて鼻先を地面に突っ込みそうになる。
それでも、途方に暮れるのだけは嫌で。
俺は自分に対して差し向ける疑いの余地さえも無いほどに、努力と言う名の欺瞞で満たしたがったのだ。
これは不可抗力でありながら、俺は出来る限りの奔走に明け暮れている。
“シリウスゥゥゥゥッ……!!”
そう思いたくて、そしてそれで許されたかった。
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頭の中は真っ白で、本当に道中は、何も考えていなかった。
ただ、落とし物をした場所は何処だろうかと記憶を辿る中で、
ひょっとすると、最も馴染みのある場所に置き忘れてしまったのではないか。
そんな発想に似ていたと思う。
“アァッ…アァッ…ハァッ…ハァッ…”
気が付けば、俺が一生の殆どを暮らした、
そして捨て去った洞穴の前に、
俺は立っていた。
“……。”
Siriusはいた。
瓦礫の山で塞がれた入り口の前で、銀弾で撃ち抜かれたように倒れていた。
死んではいない。
すうすうと鼻息を立てて眠っている。
“ああ…あ、ああ………”
近づいて、匂いを確かめるまでに、夢の中かと思うほど時間がかかった。
自分の走りを乱したせいで、四肢が縺れ。
息も絶え絶えで、狼の言葉を紡げない。
“あ、ああ……”
“よかっ…た……”
鼻先で優しく突いてから、
震える舌先を伸ばして、頬の毛皮を舐める。
“大丈夫か…?怪我は、していないな…?”
“怖かったよなあ…あいつらに、酷いことを、されていないか…?”
“勝手に頭の中に、入り込まれたりなんて…ああ……”
“良かった。本当に良かった…!”
“お前が無事であったなら、もう…それだけで…”
“それだけで……”
“……。”
綻ばせた口元も、次第に力が抜けて、表情の一切を失ったかと思うと。
“ヴルルルルゥゥゥゥ……”
俺は醜く上唇を捲り上げ、牙を剥いて唸った。
“グルルァァァァァァァァッッッ……!!”
力任せに引っ叩いた岩盤は、果実のように潰れてぐしゃぐしゃに砕ける。
“クソがぁぁぁぁぁっっーーー!!”
それでも幸いなことに、眠りこけたこの仔は、目を醒まさない。
“……許さねえぞっ…良くもっ…良くもこんな真似しやがって…!!”
楽しかったか?
俺が情けないくらいに狼狽えて、血眼になって探し回る姿を天上から眺めるのは。
騙されないぞ。めでたしめでたし、なんて言うとでも思ったのか。
見落としたりなんて、するものかよ。
俺は、出題された5匹のうちで、眠ってしまった可愛らしい一匹を、しっかりと探し当てているのだ。
Siriusは、確かにこの世界に、
僅かだが、存在していなかった。
彼が、神々の気まぐれな右手に救い取られたのは、
間違いないのだ。
“覚えておけっ…今度俺の仲間たちに手を出したらっ…”
“…その手首ごと、食い千切ってやるからなぁぁっっ!!”
“う……ん…?”
俺の怒号に、びっくりして飛び起きることもせず。
彼は若狼らしからぬ重々しさで、ゆっくりと眼を見開く。
“……さん?”
そして向けられた視線が、別人のようで
堪らなく怖かったのだ。
少し目を離した隙に、俺が愛した家族が、
何者かの企みによって、悪意ある複製にすり替えられてしまった。
そんな妄想が、疑念が、頭の中を覆い尽くして。
“……。”
俺は一瞬、彼を舌によって愛撫することを、躊躇ったのだった。