202. 認識のはかり 3
202. Noetic Scale 3
結局、俺の提案は最も実現しやすそうだということで、採用された。
「はーい、リンゴの配給だよー!並んで、並んでー!!」
誰しも、デザートは別腹だ。それは狼とて、例外ではない。
“ウッフ…”
「はい、どうぞ。君は…Nymeriaか。さっきはごめんね。」
“フシュンっ……”
狼たちがきちんと列を為す必要が無く、ただ要求に応じて与え続けるだけで良い。
Teusは麻袋の中に手を伸ばしては狼に咥えさせることを、ただ延々と繰り返し続けた。
「君は…男の子だね。歳は幾つか、教えて貰えるかな?」
“うっふ、うっふ、うっふ、うっふ。”
「おっけ。4歳だね。」
Skaが吠えた数だけ、年を重ねることになっている。
「Fenrir、名前は?何て言うの?」
“…貰った名前、憶えているか?”
“……”
その狼は、じっと此方を見つめ、首を僅かに傾げると、礼儀正しく目を逸らした。
“…そうか。ちゃんと、覚えているんだぞ。”
「―だそうだ。」
一匹につき、1個までと決まっている。
2個目を強請って近づくものは、口元から漂わせる甘酸っぱい香りによって、忽ちSkaに追い払われる算段だ。
川辺で丹念に鼻先を洗い、果肉の甘味を忘れてしまうぐらいに水を飲めば、誤魔化せなくもないだろうが、名を名乗るところで結局躓く。
偽名の概念に彼らが至るには、Ska並みに知性を有していなければ、難しいだろう。
それに、そこまで貪欲にならずとも、他の狼が両前足で獲物を押さえ付け、一心不乱に齧りつくのを横取りしようと狙うほうが安上がりだ。
そうなると、地位が上の狼からは隠れてゆっくり食べたい。そんな心理がはたらいて、リンゴを受け取ると皆、廃屋の中へ引っ込んでしまった。
そうなると、犯行現場は、自然と広場から遠ざかっていく。
影では、目を着けられた地位の低い狼が憂き目に合っているのかも知れなかったが、
少なくとも、ご馳走の不正受給者は一度も現れずに済んだのだった。
あとは、渡した数が、そのままTeusの欲した群れの人口となる。
「86、か…思ったよりも、いるんだな。」
いいや、そこから1を引かなくては。正しい数字には、ならないな。
一匹だけ、手伝ってくれたご褒美に、余計に貰っている奴がいるのを、俺は見逃さなかったぞ。
しかし、口止め料を貰っている身なので、約束通り目隠しをされていよう。
別に一匹増えたところで、誤差の範囲だろうしな。
それにしても、異常な群れの数だ。
嘗て読み耽って、心をぐちゃぐちゃに壊された、狼王の話に出て来た群れでさえ、20を超える規模であったと記憶している。
こんなにも膨れ上がって、大丈夫なのかと心配になる程だったが。実際、命に関わる闘争は起こっていないから不思議だ。
ヴァン神族の長老に先立たれた時も、ヘルヘイムからの侵攻に脅かされた時も、結局群れを離れた狼は殆どいなかったとSkaは言う。
ゼロでは、無い。それで良いと思う。
新たな家族を求めて冒険に出たい、その衝動に導かれて一匹狼になるのなら、笑顔で送り出せば良い。
また戻って来てくれるのなら、これ以上嬉しいことは無いし、そうでなくても、きっと幸せな群れを築いて暮らしていると信じて、遠吠えが聞こえるのを待てば良いのだ。
そう、決して群れを追われるような、
皆に追い出されて、一匹ぼっちになってしまうようなことが無ければ、全くそれで良い。
そういう意味で、ヴェズーヴァの群れは、健全であるはずなのだ。
Skaのずば抜けた統率力と、Teusの神としてでは無い人望の厚さが無ければ、あっという間に彼らは、自然の摂理に従って、家族単位で散り散りになるだろう。
しかし、そうはならない。
この国は、これからも、生き永らえる。
そう神々は、予言しているのだ。
だからさしずめ、市民権を与える王様と言ったところか。
「寧ろその逆さ、俺がこの土地で往生させてもらうための、形式的な戴冠。」
臨席したやり取りを交換であると評すると、予想外に真面目な答えが返って来た。
「これから、どれだけの供給を要請することになるか、報告する必要があるんだ。」
「それはつまり、継続的な援助を当てにしている、ということか?」
急にどうしたのだ、Teus。お前らしくないじゅないか。
あれだけ、アース神族との縁を切りたがっていたのに、どうして今になって、自給自足を諦め、緩い繋がりを保とうとする。
「勘当されても、こうして継続的に援助して貰えるのなら、俺は甘えても良いかなと考えている。」
「納得いかないな…そう考えを改めたのは何故だ?」
余計な援助に思えるな。狼たちを餌付けするのは、正直言って感心しない。
Skaを養っていた長老だって、基本的には放任していたのではないのか。
彼らには、彼ら自身の力で、食料を調達させるべきだ。
今回は特別だったのだと、認識させた方が良い。
「そう。けれど、今は非常事態だ。」
狩りに卓越した彼らであっても、厳しい状況下に置かれていることを重く見るべきだと思う。
ヨルムンガンドの目覚めは、此処ら一帯に、甚大な被害を及ぼした。
既に多くの野生の動物たちが、震災に巻き込まれて、命を落としている。
せっかく手を加えて来た草食動物の群れは激減し、此処から更に生き残りをかけて、淘汰の篩にかけられていく。
HelとGarmが踏破した辺り一帯の腐敗も、驟雨によって洗い流されたのは見た目だけだ。
菌は、根を張り巡らせ、内側はぼろぼろに傷ついてしまっている。
これから先、数世紀を経て回復していくことだろうが、住民たちは、その毒を、身体の中に蓄積させながら…
「食物連鎖の頂点へ濃縮され、そして集約されていくことになる。」
「……!?」
「もう俺の力で、均衡を回復させることは出来なくなってしまった。…悔しいけど、頼るしかない。」
Fenrir、君ですら危ういと考えている。
そして、彼らは君ほど強くないんだ。
君の様に飢餓に一年間も耐えられないし、仔狼を養う親狼の身にもなってくれ。
俺のことを喰い殺してくれて、それでも数日しか持たない。
共喰いが日常的になる未来だけは、絶対に辿ってはならないんだ。
…また均衡が訪れてくれたなら、俺が死んでからも、
狼たちが、安心して暮らせると思うから。
「お願いだ、Fenrir。君が…俺を受け入れてくれたように。」
「……。」
Teusが飲み干した ’毒’ は 。
彼の身体を表面から蝕み、彼から神の器を奪い。
半生半死の晩年を齎した。
Garm、
Helが巻き散らした毒は。
狼の身体を、内側から、どのように変貌させるのだ。
泣くな、変化を恐れてはならない。
狼狽えることは、Teusを恐れることと同義だと心得よ。
「ありがとう。君にだけは、ちゃんとこれからのこと、話しておきたかったから。」
首を垂れて、沈黙を是とする俺に、
お前の笑顔は如何にも神々しく映ったのだった。
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「年齢と性別さえ分れば、必要な食料は概算できるとのお達しだ。」
だから、こんなことを態々している。
アースガルズにも、飼われている狼はいるからね。
Odinなら慈愛ある態度で、正しく見積もってくれると思う。
「ふうん…」
「ああ…あの、Skaと同じで、主神にも抱えている愛狼がいてね…」
さらりと、残酷なことを口にするのだな、お前は。
そんな気まずそうな顔をしても、此方の方が困る。
目を通す気にもならないが、熱心に書き綴っていた羊皮紙は見た所、報告書のつもりらしい。
それが契約書となり、国同士であることを考えると、条約となるのだろうか。
俺には、降伏のように思えて、やはり心から納得することは出来そうにない。
「ただし、Fenrir。君は別だ。」
「……?」
Teusは咳払いをして居住まいを正すと、マントの中に羊皮紙をしまい込んで俺へ向き直った。
「君の年齢と性別を与えた所で、彼らにはFenrirのことなんて、これっぽっちも分からない。」
怪物では、断じてない。しかし、規格外だよね。Fenrirは狼でも大狼であるから。
もっと、定量的な情報を、渡す必要がある。
「率直に言おう。アースガルズの神々は、君のことをもっと知りたがっている。」
そうしないと、Skaと同じ量のごはんで、我慢しなくちゃならないしね。それは嫌だろ?
「おい、待て…俺はそんな援助、必要ないぞ?大体、これは…」
「そして俺も、Fenrirのこと、もっと知りたいんだ。」
「……。」
「俺は、君にも1個、リンゴを渡したつもりだ。」
「Fenrir…」
「俺は本気だ。まだ諦めてない。」