201. 予期せぬ助力 3
201. Unlikely Aid 3
「どう?眠たくなるぐらい、満腹になってくれた?」
「んー?んん、そうだなぁ…」
“はーい。Teus様のお膝で、お昼寝したいでーす!”
神の恵みとは、それはそれは大層なものだった。
底なしであるはずの怪物の胃袋が、もう良いよと遂にげっぷを鳴らす。
「よーし、おいでーSka!!」
「……。」
主神の施しは、ヴェズーヴァの住民全てに再生の飽食を与えた。
俺が腹いっぱいになるまで喰らうことを優先すれば、群れの狼たちがご馳走にありつけなくなるのではと遠慮していたのだが、どうやら杞憂だったらしい。
こんな風に黙々と、何も考えずに肉塊を頬張ったのは、飢餓に嗾けられた時以来だ。
そう、Teusが俺に齎してくれた奇跡と同じだった。
文句のつけようの無いぐらい旨かったが、それ以上に生きるための食事だったのだ。
一口一口が、急速に血肉へ変わっていくのを感じる。
Garmとの死闘で使い果たした身体に、染み込んでいく。
それで気が付いた。
俺はあれから、ヴァン川の水以外、何も口にしていなかったことを。
貴方の喪失と向き合うことだけで、精一杯だったから。
食事を取ろう、という発想に至れなかった。
乗り越える為、昏々と眠り続けるのと似ていたのだ。
だから実のところ、身体は限界に近かったのだなと痛感させられる。
力の限りを使い果たして、その搾りかすだけで、どうにか命を維持して来ていた。
末端に血が通う、この感じ。
段々と、全身の至る所が痛み、ようやくまともに有機体として機能し始める。
TeusもTeusで、願っても無い贈り物を受け取り、ほくほく顔のようだ。
彼も最早、信仰によって生かされた全能の存在ではない。腹も普通に空くだろう。
狼の様に狩りを生業としないなら、それは正に宝札と言って良かった。
嬉しそうに包みを開く彼を眺めて、俺だって頬が綻んでしまうじゃないか。
「何だ、それは…?」
「うん?これかい?」
見た所、兵士が身に着ける、防具の一部のようだが。
「そう、すね当てと、前腕当てだね。あと手甲。」
流石は全知全能の父上、ちゃんと分かってるんだなあ。
「…?それは、お前が願っていた施しであるのか?」
一戦を退いた退役軍人にとって、無用の長物であるような気がしてしまうのだが。
「うん。これで幾らか、ましになるさ。」
「しかも、左右で対となるうちの、一方しか無いじゃないか。」
「それで良いんだよ。必要なのは ’左’ だけだから。」
「左……?」
Teusは慣れた手つきでそれらを装備し、身体の一部とする。
「歩くのにも支障を来すようじゃ、流石にやっていけないからね。」
目を凝らしてみると、成る程どうやらただの兵装では無いと分かった。
神様の故郷は、随分と巧妙な鍛冶屋をお抱えらしい。
俺が刻みつけるのとは比にならないほどの行間の狭さで、呪いの言葉が刻み込まれている。
「Siriusの義足と同じさ。弱った左半身の保護と同時に、パワードスーツの役割も兼ねている。」
「パワード…?」
「強化外骨格のことさ。着用することで筋力を増強させ、人間の動作を強化・拡張させるんだよ。」
「驚きだ。ルーン文字も綴り次第で、そんなことまで出来てしまうのか…」
時代錯誤も良い所だったが、それは彼に関してのみ、今に始まったことではない。
眼に見えて衰えてしまった彼が、少しでも今までとの落差に苦しまずに済むのなら、それに越したことも無いのだ。
指の先までしっかりと板金で覆われた左腕を空へかざすと、握ったり、開いたりして感触を確かめる。
「うん、良い作りだ。初めて着けてみたけど、良く馴染むね。」
「学びたい技術だな。Siriusの義足にも、応用が利きそうだ。」
「そうだね!ぜひアップグレードしてあげたい。頼んだよ、Fenrir。」
「ああ、俺を当てにしているのか…」
殆ど独学で、俺が転送の儀を成功させたことを、暗に示しているのだろう。
まさか、お前が神様としての力を失って、代わりに俺がその一端を担うことを期待される日が来ようとは。
「よーし、なんか動けそうな気がして来た!」
他にもいろいろと送って来てくれているみたいだし、他に怪しいものが無いか、調べてみることにするよ。
「あ、ああ…そうしてくれ…」
「ごめんねSka、ちょっと忙しいから、Fenrirと寝ておいで。」
“…?わぅ…?わふぅん…”
…しかし、お前と出会わなければ、俺が神様として奇跡を発眼させることはきっと無かっただろう。
ある意味、今の俺が持てる力というのは、お前によって与えられたということも出来るのかも知れない。
もっと自然の秩序に従った表現をするなら、
俺は彼から、受け継いだんだ。
もっと狼らしい表現に酔うなら、
或いは彼から、奪ったのだとも思う。
気にかかることがあった。
アース神族は既に、Teusが神の座から転落してしまったことを知っているのだ。
Lokiが、そのように報告したのか。
そうだとして、Teusの左半身が、著しい老化に悩まされていることにまで言及するだろうか。
心の底から憎み合った仲であるなら、神々はTeusに慈悲を与えることまで見越して、その点については黙している筈だ。
――監視されている。
軋んで倒れた板金の耳障りな爆音にも驚かず、箱の縁に留まり続けていたカラスが一羽。
気のせいでは無かった。お零れに預かろうとしている輩に混じって、じっと此方を見つめている。
この支援物資の運び手は、やはり俺が姿を現すことを見越していたに違いなかったのだ。
「まあ…好きにするのだな…」
今は、良い。
気付かないふりをしていた方が、きっと身の為だろう。
「……。」
考え事が、纏まらないほど、耐え難い倦怠感に襲われている。
正直なところ、しんどくて、このまま日が暮れるまで四肢を投げ出して横になっていたかったほどだ。
嘔吐の気配は無かったから、食べ過ぎても大丈夫なのだろう。
俺は今度こそ、Teusを心配させずに、死線の峠を乗り越えられそうなのだ。
どうしよう、本当に、ヴェズーヴァのど真ん中で、微睡んでしまおうか。
銃声が耳元で鳴り響いたとしても、Teusが悪口を並べ立てても、目を醒まさないぐらいに、
深く、深く眠れるだろう。
まるで越冬する灰色熊のように、
四六時中眠りこけて、数日後のある朝、ゆっくりと意識を擡げるのだ。
超回復によって、俺はまた一段と成長を遂げる。
いいや、いけないな。
許されざる愚行だ。
しかし、ちょっとだけ、目を瞑ることは?
それくらいなら、幾ら何でも、咎められないだろう。
ちょっとだけ…ちょっとだけだ……でも…
「ん……?」
眼下で蠢くお前は、誰だ?
輪郭がぼやけて、合わないのだ。
“じゃあ僕も、Fenrirさんの隣で、お昼寝しても良いですか?”
ぐるるる、と甘えた声でせがむので、お前だと分かった。
“好きにしろ……”
“はーい!!”
ああ…なんて、平和な、昼下がりなんだ。
幸せ過ぎて、眩暈がして、吐き気がしてくる。
罠への警戒を怠った、怪物の末路だ。
目を醒ましたら、この一生腹いっぱいで暮らせそうな箱の中に、閉じ込められてしまっているのかもな。