193. 僕は主人公なんかになれはしないけど 2
193. Not a Hero 2
「……。」
「家族、だと…?」
立派な敗北だった。
生へしがみ付くことを諦め、
Teusは、負けた。
ヘルの父親になった。
大狼の、父親と成り果てた。
そして、彼が殺した想い人の、念願の妻となった。
「……そうかよ。」
「それで、僕から全部を奪ったつもりか…?」
「奪った?」
「捨てた、の間違いじゃないのか?…兄弟。」
「良い気になるなよ、偽善者が…」
Lokiは、腹のうちに秘めたTeusに対する往年の嫌悪を一言で放ってから、
すぐに繕った笑顔を取り戻す。
「失敬。まあ一応、お前に何が分かる、とだけ言っておきますよ。」
「ああ…そうだね。」
偽善者、か。
お人好しと同じか、それ以上によく、言われるよ。
尤も、誰よりも己にそう言って来たのは、他でもない自分自身であるのだけれど。
神の代名詞だと、思っているから。
「義弟よ。折角だから…話しておきたいことがある。」
「生憎、そんな時間は無いのですよ。お互いにね。」
「僕は、‘怪物退治’ で、大忙しなんだ。」
「ふふっ…そう。まさに、その怪物の話。」
「お前が撃とうとしているのは、’怪物たち’ じゃない。」
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「Loki。随分と、辛かったんだろうなって、この一年を通して、痛感している。」
何も、子供達を怪物と呼ぶことを、非情だと言いたいのではない。
逆の立場で、お前に同じことを言われたなら、間違いなくその銃口を向ける方向を変えている。
こんなことを言うと、余計に偽善者の色が濃く映るだろうけれど。本心なんだ。
「…俺は、お前が見透かした通りの、薄情な人間だ。」
それを一目で見抜かれたのだから、お前はきっと一流の眼をしてる。
「何度も揺らいだ…正直言って、貫き通せる自信が無かった。」
彼らが当然だと思ってくれた通りの愛情を注げる、自信がね。
次の日には、なんだかどうでも良くなって、飽きた玩具のように見捨ててしまう非情さを併せ持っている気がして、怖かった。
信じ続けていたものにを、それが高尚であるほど、ある日突然諦めてしまう自分を、想像することは…
そうだな。
自らの命を終わらせるのに、似ているのだと思う。
君の息子の、死の淵への供述が、腑に落ちた。
或いは、そんな危険な思考の淵に立つことのスリルを味わってほくそ笑むんだ。
危ないなあ。後ほんの少し、道を踏み外せば。
俺の生半可な意思も、本物になってしまうのだと。
「怖いって言ったけど、諦めてしまう誘惑が絶えない。」
ほんの、冗談のつもりでいるのかもとさえ思う。
まだ、本当に死ぬ覚悟も、実は伴っていないのかも知れない。
「今も…そんな心持ちでいる。」
「でも、俺は諦めない。」
ずっと考えて来た。
Fenrirが、何故死を自ら選ぶに至ったのかを思索するように。
俺は、何故Fenrirのことを救おうと思い立ったのか。
偽善者の俺に、何がそうさせるのか、と。
初めはね、きちんとした見返りを、見ぬふりしていたんだと思う。
穴埋めというか。落ちぶれた神様の威をもう一度纏おうとか。
彼女にもういちど振り向いて欲しいな、とか。
口には決して出さなかったけれど、傍から指摘されることを極度に怯えるほどには、俺はそれらから目を逸らして、狼に近づいたんだ。
今はそうだったのだと、振り返ることができる。
Fenrirは、生半可な気持ちでこの森へ足を踏み入れた俺のことを、愉快そうに笑ったよ。
こんなことを言ったら、Fenrirはさぞかし怒り猛るだろうと思っていたから、黙っていたけど。
父親にそっくりだった。
まるでLoki、君が俺をニヒルに微笑むようだった。
でも今になると、やっぱりFenrirに、ちゃんとお前の息子であることを、伝えてあげれば良かったのかなって思っている。
絶対に嫌がって、否定したくて、苦しむだろうけれど、それでも。
何度、この狼を救えないと絶望したか、分らない。
彼は、俺よりも遥かに聡明で、十分すぎるぐらいの時間をかけて、強固な思想を自らに根付かせてしまっていた。
言うなれば、狼である道しか選べなくなった怪物。
何も分かっていなかった。
Fenrirが、心の奥底では、人間と一緒にいたがっていることを知っていたつもりでいたから。
それが正しいことだと信じて、どうにか証明しようと、あの手この手で、この領界を渡らせようとしていた。
それで、なんだかんだで、喜んでくれているのは知っていたからさ。
猶更、自分がやっていたことが正しいと思ってしまっていた。
俺は嘗ての人間への羨望を充足させるだけじゃなくて、本当に共生が叶う世界の領主となってやろうと。
そに、Fenrirを迎え入れるんだ。
本気でそう企てていた。
それがこの土地。
図らずして、ヴェズーヴァは目の前に現れたんだ。
運が良いよね、本当に。
でもね、昨冬の最中。狼の盛りの季節。
決定的に、俺の信念を転換させる事件が起きた。
Fenrirが、とある狼となった、あの日。
Loki、お前は、そのことを知らないだろう。
お前は、その場にいなかった。
その時、はっきりと、知ってしまえたんだ。
「Fenrirは…狼になりたかったのだ、と。」
「そして、狼となれたのだと…!!」
“俺は狼だ。狼だから、俺は人と生きられなかった。そう信じてきた。
でも時々、そう思えなくなるのだ。“
“今までずっと、俺が狼だからだと思って来たけれど…。
もし俺が怪物だからだったとしたら…?“
“…俺は時々、お前にも “俺は狼なのだ” という言葉に頼りなさを覚えて、 “怪物なのだ” と言ってしまったと思う。”
“狼として憎まれるよりも、怪物として憎まれる方が、よっぽど辛いのだ。
わかるか…?もし俺が怪物だったとしたら…俺は以前と同じように、狼ですらいられなくなるんだ…!!“
“もうどれだけ醜くても、狼であることに縋っていたかった!!
そうでないと、俺はもう、生きて行けなかったのだ!!“
「だが俺の… “お前は人の心を持った優しい狼だって信じてる” という言葉は、もうFenrirを狼でいられなくしたんだ!!」
「どうしてかわかるか!? 俺が人だからだ!!」
「…。」
声は震えていた。
これから何を言われるのか、見当もつかなかったろう。
「そして狼であるとも言った!!」
「そのときは考えもしなかったよ。Fenrirが、ああ、やはり自分はどちらでもないのだと打ち拉がれていたなんて…。」
急に語尾に力がこもらなくなったかと思うと、でもTeusは喰らいつくようにして迫った。
「でもFenrirは、Fenrirはぁっ…」
「はじめて、他の誰にもしてもらえなかったような優しい言い方で、“怪物“ だと言ってくれたって…!!」
「…。」
「それは悪いことだ、とも…!」
「でも、森の中に閉じ込められたFenrirにとっては、前が言ったことが全てなんだ!!」
“…はじめて俺は怪物に戻って来れて嬉しいと思っている!!”
“やっと新しい生き方を探せると思うから…!!”
「俺が救おうと誓った狼は、今も、生きたいと必死に叫んでいる。」
「そうだ。答えはもう、導かれていたのさ。」
「彼は、もう怪物なんかじゃない。」
良い仔たちだよ。みんな。
俺たちがいなくても、きっと大丈夫なんだ。